スンニ 派 シーア 派。 スンニ派とシーア派の違いを中学生でもわかるようやさしく解説します。

スンニ派とシーア派

スンニ 派 シーア 派

概要 イスラム教は、宗派は分かれていますが日本では断食や女性は顔を隠すなど、 厳格な宗教としての認識が強いと思います。 しかしながら、ルーツはキリスト教とユダヤ教と言われますとおり、先の宗教の流れを汲んだ部分もありますが、 祈れば良いという点ではにおいては、あまり厳しい印象ではないのかもしれません。 祈る回数は多いですが。 また、多神教や偶像崇拝を戒め徹底的に排除するといった、 強烈な信仰心と唯一神の影響を強く受けます。 発祥は イスラム教は、アラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれた事から、アラビア語を公用語とする国と地域から広がりました。 アラビア語圏のメッカ(サウジアラビア)からエルサレムにやってきたムハンマドが、「聖なる岩」(ユダヤ教)に手をついて 昇天し、天の声を聞き再び地上に戻り、その教えをクルアーンによって広めたことからイスラム教は始まります。 ムハンマドとは ムハンマドは、イスラム教を始めた人物であり、アッラーの預言者です。 メッカ(サウジアラビア)の有力な氏族の出身です。 40歳の時、メッカ郊外のヒラー山で習慣の瞑想とお祈りをしている際、神の啓示を受けたといいます。 その啓示を集約したものが、次に説明するクルアーンです。 ですので、布教活動に入るのも40歳からの事です。 ユダヤ教やキリスト教の知識もあった為、 ムハンマドは両者の長所を取り入れたともいわれます。 聖書とは イスラム教の聖典は、日本ではコーランといった方が馴染みがあるかと思います。 クルアーンとも呼ばれ、神が最後に預言者を通して啓示されたといわれるこのクルアーンの教えを信じています。 クルアーンの内容は全て神の言葉であるという事から、 クルアーンの批判や破損に対し、死刑判決が下される事もある。 聖地は イスラム教には、聖地が複数存在します。 それが以下• メッカはムハンマドの出身地• エルサレムはムハンマドが昇し天神の啓示を受けた聖なる岩がある地• メディナはメッカに次ぐ第二聖地で、イスラム教が大きく広がった布教地• ナジャフは第4代カリフのアリーの墓があり、シーア派の重要な巡礼地• カルバラーは第3第イマームのフサインが殉教した地でシーア派法学者が集まる 何を信仰しているのか イスラム教は唯一神教であり、イスラム教の信仰対象は、 「神(アッラー)」です。 アッラーとは、もともとアラビアの多神教の神々の中の一柱でしたが、ムハンマドがメッカを占領した際、カーバ神殿に存在した全ての神々の像を破壊し、多神教及び偶像崇拝を戒め、アッラーのみを崇拝するようになりました。 イスラム教は神自身の意志を反映した完全な教えであるとされ、 他宗教よりも絶対的に優越であるという信念を持っています。 目的は イスラム教には、 六信五行(スンニ派)と五信十行(シーア派)があります。 シーア派• 五信…神の唯一性、神の正義、預言者、イマーム、来世• 十行…礼拝、喜捨、断食、巡礼、五分の一税、ジハード、善行、悪行の阻止、預言者とその家族への愛、預言者とその家族の敵との絶縁 といったところが、信仰行為としてあります。 そもそも、イスラム教は弱い立場から物事を考える宗教でしたので、「人を騙してはいけない」「人の物を盗んではいけない」「人に危害を加えてはいけない」「社会平等」といった、日本社会でも気持ちの良い道徳観から、平和的な宗教であるといえます。 昨今は、過激派などの印象が強いのでギャップがありますが、 本来は温和な宗教でり平和を求めている宗教であるのです。 スンニ派とシーア派 日本の仏教で宗派が異なるように教義に違いがあるわけではなく、スンニ派とシーア派の違いについては、 教義には大きな違いはないですが、 指導者の選び方に違いがある事で派閥が出来ているのです。 つまり、分裂は 7世紀のムハンマドの死後の世継争い。 経済的な利権争いと言えるでしょう。 スンニ派 スンニ派はイスラム教の大半を占めいて、約9割がスンニ派と言われています。 指導者の選出方法は、話し合いでの選出であり、ムハンマドの教え 「スンナ(慣行)」に従うものを重視すると考えるのがスンニ派です。 約9割がスンニ派ですので、政治的圧倒的優位なのです。 しかしながら、全体で見た時に約9割と言えば圧倒的ですが、アフリカや東南アジアの大半がスンニ派で、エルサレムもある中東に限れば、シーア派の割合も多くなります。 シーア派 一方でシーア派は、ムハンマドと血のつながりのあるアリーとその子孫から選ぶべきという考えです。 「シーア・アリー(アリーに従え)」ムハンマドの従兄弟アリーの子孫こそ、イスラム共同体を指導する資格があると主張する急進派の人たちがシーア派です。 因みに、シーア派とスンニ派では教義的には大きな違いはないと言いましたが、 スンニ派は1日お祈り5回で、シーア派は1日お祈り3回で、作法も少し違うようです。 また、偶像崇拝は禁止されていますが、 シーア派は指導者の肖像画については寛容なようです。 イスラーム過激派とは?ISISとは? ISISとは、 「イラク・シリア・イスラム国」の略で、イスラム教の中でも多数派であるスンニ派の武装勢力です。 イラク北部およびシリアを中心とする地域で、イスラム国家の樹立を目的として活動しており、ヨルダン生まれの活動家ザルカウィ氏がイスラム教過激組織アルカイダの傘下組織として2006年にISISを結成してから現在に至るまで、多数の自爆テロ、誘拐、暗殺などの事件を起こしています。 複雑な内容なので、別に記事をまとめたいと思います。 何故発展したのか もともと、ユダヤ教・キリスト教の流れから生まれたイスラム教は、先行の二大宗教よりも ルールが寛容になったことで、民衆にも受け入れられやすくアジアや中東に広がりました。 ユダヤ教はユダヤ人だけの宗教の為、大きく広がりませんでしたが、キリスト教は誰でも信仰できる世界宗教のポジションをとりました。 そのキリスト教は多くの戒律・ルールがありましたので、戒律・ルールが易しいイスラム教が受け皿となった流れです。 特に、コーランはアラビア語を用いられていますので、西アジア・中東で大きく支持されました。 また、イスラム教を推す国々は、 多子化であった為、信仰人口も大きく伸びています。 主な出来事・まとめ 主な出来事は、以下 年譜 570年前後 ムハンマド、メッカに生誕 610年 ムハンマド、預言者となる 622年 メディナへ移住 630年 メッカを占領し、アラビア半島統一 650年 クルアーンの正典化 661年 スンニ派とシーア派に分裂 1099年 キリスト教(十字軍)が、イスラム教を攻撃しエルサレムを占領 1402年前後 インドネシアにイスラム教が伝わる、マラッカ王国のイスラム教化 1948年 第1・2次中東戦争 1967年 第3次中東戦争 1973年 第4次中東戦争 1982年 第5次中東戦争 1991年 湾岸戦争 といったように、戦争が多い事が顕著に出てしまいますが、これも強烈な信仰心からだといえます。 イスラム教信徒は、 ユダヤ教やキリスト教の事は認めているものの、多宗教よりも優越性があると信じており、神を蔑ろにされる事が許せない事が特徴ではあります。 しかし、教義は本来であればユダヤ教やキリスト教よりも元々は民意に沿うものであったと思われます。 神の意志こそ全て、 絶対神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助や一体感(共同体)に重きを置く特徴のある宗教です。

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シーア派のスンニ派の違いは?過激派(ISなど)はどっち?

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スンニ派とシーア派はなぜ分かれたのか? 分かれたきっかけは「 ムハンマドの後継者争い」です。 西暦 632年、イスラム教の創始者である後継者を指名しないまま、亡くなりました。 そこで、共同体の指導者をめぐって分派が生じます。 ここでムハンマドの子孫こそふさわしいと考えたのが「 シーア派」。 血統ではなく能力で決めるべきと考えたのが「 スンニ派」です。 シーア派は、ムハンマドの娘婿・アリーとその子孫を正当な指導者( イマーム)としました。 スンニ派は後に 「スンナ ムハンマドの言行)」を重視するという意味で「スンニ派」と呼ばれます。 つまり分かれたのはムハンマドの死後。 その前は分かれていませんでした。 スンニ派・シーア派の分布 出典: スンニ派が多数派で全体の9割・シーア派は全体の1割です。 シーア派が最も多い国はイランで、 世界のシーア派人口の3分の1がイランに住んでいます。 そのほかバーレーン、レバノン、パキスタン、湾岸諸国などにもシーア派が暮らしています。 スンニ派とシーア派の違い 教義の違い イマーム・アリの肖像画の横に立つイラン人女性。 イマーム・アリはイスラム教シーア派の初代イマーム。 スンニ派はコーランの「 偶像崇拝禁止」の教えを重視して肖像画を掲げることが少ないが、シーア派はこの点、考え方がゆるやかである。 スンニ派・シーア派で 教義に大きな違いはありません。 コーランと スンナ(預言者ムハンマドの言行)に従うという原則はいっしょです。 (参考:) 違いがあるとしたら、シーア派が 「イマームの教え」を重視する点です。 歴代イマームを敬愛し、神やムハンマドと同様に崇めます。 中でも特別愛されているのが 3代目イマーム・フサイン(アリーの息子)です。 彼はスンニ派のウマイヤ朝の軍隊と戦い、その不義に対する戦いで殉教死したからです。 聖地の違い イスラムの 3 大聖地()はスンニ派・シーア派共通です。 シーア派はこれに 歴代イマームの殉教地も聖地に加わります。 代表的なものは、イラクの カルバラーと ナジャフです。 ・ナジャフ=初代イマームの アリーの墓がある。 ・カルバラー= フサイン(最も敬愛されているイマーム)の墓がある。 イランのマシュハドには、8代イマーム・レザーの墓があり、いつも大勢の巡礼客でにぎわっています。 祭りの違い アーシューラーで、鎖で体を打ちながら町中を行進する「シーネザーニ」の儀礼を行う男性たち。 アーシューラー期間中は、フサインの死を悼むために黒いシャツを着る人が多い。 シーア派だけが行う祭りに、フサインの死を悼む「 アーシューラー」があります。 この祭りがユニークなのは「悲しみに包まれた」祭りという点です。 なぜなら フサインの殉教を追悼する行事だからです。 フサインは先に書いたように、イラクのカルバラーでウマイヤ朝の軍隊に破れ、殉教しました。 これがイスラム暦の「ムハッラム月」の 10日( 10はアラビア語で「アーシューラー」)です。 そこでシーア派の人々は、彼を助けられなかったことへの悔しみと後悔の念から、この日に追悼の儀式を行うようになったのです。 フサインの殉教劇を上演したり、彼の苦痛を理解するために鎖で体を打ちながら町中を行進したりします。 (この儀礼を「シーネザーニ」と言います)。 このアーシューラーについて、よくテレビなどで体から血を流している男性の映像が流れますが、現在イランではもっと穏やかで、血を流すようなことは行いません。 (他の地域では行われているようです) 礼拝作法と礼拝時間の違い 自宅で礼拝するイラン女性。 礼拝マットに上に「モフル」という丸石が置かれている。 シーア派信徒は礼拝の際にこの石におでこをつける。 1日5回礼拝するのはスンニ派もシーア派も同じですが、「 礼拝できる時間」が少し違います。 ちなみに、こちらが本来の時刻です。 働いている場合、何度もモスクに行くのが難しかったりするからです。 ただ、より功徳が大きいのは本来の時間帯で礼拝を行う方だとされています。 礼拝作法にも少し違いがあります。 イスラム教徒は礼拝時におでこを床につけますが、シーア派は「 モフル」という丸石におでこを当てます。 モフルはイマームが葬られている聖地の土からできています。 スンニ派とシーア派は対立している? エジプト・カイロにあるフセインモスク。 シーア派で最も敬愛されている イマーム・フセインの首が安置されているとされ、多くのシーア派信者が巡礼に訪れる。 エジプトのイスラム教徒のほとんどはスンニ派。 本来仲が悪いわけでは全くありません。 同じモスクで一緒に礼拝することができます。 そもそも自分がシーア派かスンニー派かよくわかっていない人もいますし、シーア派とスンニー派の結婚もあります。 イランとサウジアラビアの対立は宗派争い? シーア派国家イランとスンニ派国家サウジアラビアの敵対関係は「 シーア派対スンニ派」の対立として描かれがちです。 果たしてどうなのでしょうか? 実際には「ペルシャ人対アラブ人」といった民族対立や、地域の覇権争いなど様々な要素が複雑に絡み合っています。 日本人になじみが薄い中東の政治事情を、とてもわかりやすく明快に解説している良書です。 イランとサウジアラビアの対立、イラン・イラク戦争など中東の問題は宗教をベースに語られがちです。 しかしこの本を読むと、宗派対立が本質ではなく、利権の問題などで争いが続いていることがよくわかります。 スンニ派とシーア派の違いまとめます。 ・分かれたきっかけは預言者ムハンマドの後継者争い ・基本的な教義は同じ(神とコーランを信じる) ・シーア派の意味:アリーの党派(シーア・アリー) ・スンニ派の意味:スンナ ムハンマドの言行)に従う人々 ・スンニ派が9割・シーア派が1割 シーア派・スンニ派について詳しく知る本• イスラムの基礎的な内容を知るには、これ1冊でほぼ足りるでしょう。 とてもわかりやすく書かれている上に内容が深いです。 シーア派・スンニ派については1章まるまる使って解説しています。 イスラムの歴史の流れの中でシーア派・スンニ派の分派を位置付けて理解することができます。 世界でなぜイスラム教徒が増え続けているかがわかります。 これ1冊でイスラムのイメージが変わります。

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【イスラム世界】スンニ派とシーア派の違いをわかりやすく解説

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ハローベイベー! こんにちは杉森です! さてさて今回は、 イスラム教の教派の違いでございます! キリスト教のカトリックやプロテスタントの様に、イスラム教でも教派の違いがあります。 それでは早速いきましょう! イスラム教には、どんな教派があるの? 主に「シーア派」と「スンニ派」に大別できる まずは下図をみてみましょう! うわお!ほぼスンニ派!そして次にシーア派!そして申し訳程度のその他! ということで、とりあえずスンニとシーアだけ抑えていたらOKです! どこの国がスンニ派で、どこの国がシーア派? 下の地図をご覧ください! 濃い茶色= スンニ派で、 明るい茶色= シーア派です。 具体的に国名をあげていきます! まずは少ない方の シーア派から! シーア派の代表の国といえば、 イラン! 国民の95%ほどがシーア派です! その他は、 イラク、アゼルバイジャン、バーレーン、レバノンはシーア派が主流の国です。 次に多い方の スンニ派! スンニ派の代表の国といえば、 サウジアラビア! 国民の90%弱がスンニ派です。 その他は、 シーア派で挙げた国以外の国は、基本的にスンニ派の国になります。 このように分かれているシーア派とスンニ派ですが、宗教的な基本的な教義はほぼ同じものですし、どちらもクルアーンを大切にしています。 しかし、ニュースなんかで「スンニ派武装勢力が行ったテロで、シーア派の市民が数十名死亡しました」というようなことを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。 ニュースなどを聞く限り、このスンニ派とシーア派は、非常に仲が悪そうです。 ではそもそも、このシーア派とスンニ派、なにが違うのでしょうか? スンニ派とシーア派の違い そもそもなんでわかれてるの? イスラム教の誕生時まで遡りましょう。 イスラム教は、 ムハンマドが創始者かつリーダーとして作られました。 ムハンマドの死後、そのリーダーの座には アブー・バクルという人が座りました。 リーダーなので、 イスラム教で一番偉い人になります。 このポストを、 カリフと言います ! そしてこの初代カリフである、アブー・バクルの後は、 ウマル1世 2代目カリフ 、ウスマーン 3代目 、アリー 4代目 と続いていきました。 ところが、4代目カリフのアリーが死んだ際、5代目カリフの選出は揉めに揉めました。 揉めた原因は、 血筋です。 一方は、 「ムハンマド一家の血筋のものがリーダーになるべき!」と声をあげ、もう一方は 「血筋関係なく、リーダーとして一番ふさわしい人がなればいいやん!」と言いました。 この意見の別れによって、スンニ派とシーア派の対立が、大々的に表面化しました。 血筋関係無い主義の人たちは、ムアーウィアという新リーダーのもと、ウマイア朝という政府をつくりました。 これが スンニ派の始まりです。 一方、 血筋が大切主義の人たちは、 イマームという新たなリーダーの地位を作り、死んでしまった 4代目カリフのアリー ムハンマドの従兄弟 を 初代イマームとし、そのアリーの息子の ハサンという人を 2代目イマームに任命、その後もスンニ派のウマイア朝と戦ってきました。 この人たちが後の シーア派になるのですね。 で、実際なにが違うの? わかりやすい大きな違いとしては、 偶像崇拝に対しての考え方の違いというものがあります。 基本的にイスラム教は偶像崇拝を禁止しているので、神様や創始者ムハンマドの絵画や像などは作られません。 また、キリスト教の十字架のような、祈りの対象となるものも存在しません。 しかし、シーア派の大国・イランに行くと、街中やモスクなどの至る所で シーア派イスラム教指導者の写真が多く飾られているのですね。 こんな感じです! これはイランのスーク(商店街)の写真ですが、真ん中上部の旗の右が現在の指導者の ハメネイさん、左がイラン革命を起こした昔の指導者 ホメイニさんですね。 このような宗教的指導者の写真や絵画が飾られるということは、スンニ派の国えはほとんどありません。 これが、わかりやすい大きな差ですね! 他にも、1日のお祈り回数の違いや、イスラム教徒として抱える義務の違い( スンニ派:五行六信と シーア派:十行五信)などがありますが、両者ともアッラーとクルアーンを信じ、モスクでお祈りし、一年に一回は断食するなど、実際のところ、我々日本人からみてもわかるほどの大きな違いはほとんどない、といえるのではないでしょうか。 スンニ派とシーア派が仲が悪いって本当? 宗派戦争ってなんだ? そしてやはり、イスラム教の宗派のお話をする上では、この話題は避けて通れません。 長年、多くのメディアではこのスンニ派とシーア派による 宗派戦争が起こっていると言われております。 例えば、2011年から起こっている シリア騒乱。 このシリア騒乱は、簡単に言うと アサド政権vs 反体制派の対立です。 このアサド政権は宗派で言うと アラウィー派という宗派に属し、アラウィー派はシーア派の一派とされている宗派です。 一方の反体制派は大部分が スンニ派で占められています。 そこで、アサド政権にはイランやイラクなどシーア派の国が、反体制派にはサウジアラビアなどのスンニ派の国が支援をしているのですね。 また、イエメンという国でも大統領とフーシさんという人の対立による内戦が起きており、ここでは大統領派が スンニ派、フーシ派は ザイド派(シーア派の一派)という形に分かれております。 図にするとこんな感じです。 このように、スンニ派とシーア派で陣営が分かれている戦争を、しばしば「宗派戦争」と呼ばれたりします。 でも、実はスンニ派とシーア派の対立には、大きく分けて 2種類あるのです。 そして全てが全て宗派が原因で争っているわけではないのですね。 むしろ、宗派以外の理由で争っている方が多いです。 では、この 「宗派の争い」と 「宗派以外での争い」の違いを見ていきましょう。 宗派の争い 宗派の争いとは、文字通り 「自分の宗派の考え方をゴリ押しするがために起こる争い」です。 これは主に、 イスラム教過激派によるものが多いです。 イスラム教過激派とは、「自分たちの理想とするイスラムの教えを完璧に再現するためであれば、例え人を殺しても構わない」と考える人たちです。 ISや アルカイダなどが有名ですよね。 この人たちは、自分とは異なる考えを持つもの、すなわち他宗派や他宗教の人は殺しても構わない、と考える傾向があります。 したがって、この人たちは宗派の違いが原因で争っていると言えるでしょう。 しかし、この様なイスラム教過激派の人たちは、イスラム教全体でみると ごく一部しか存在しません。 宗派以外での争い 宗派以外の争いとは、目的が「自分の宗派をゴリ押しする」ことではなく、 利権や覇権を獲得したいがために起こる争いです。 そしてやはり利権となると、中東という土地柄 「石油」に関しては大きいですね。 そんな石油に関する利権で争っているのが、中東の2つの大国である サウジアラビアとイランです。 この2つの国は、中東での石油埋蔵量の1位2位を争う国であり、激しく対立しています。 そして、国際社会ではやはり対立した2つの国というのは、より多くの仲間を獲得し、その力を大きくたいと考えるのですね。 (サウジとイランの関係に関しては、別の記事で詳しく解説いたします!) 例えばシリア騒乱にしてみると、 イランとしては中東で数少ない親シーア派(親イラン)政権であるアサド政権に倒れて欲しくないと思うのと同時に、 サウジアラビアとしては反体制派に勝ってもらい、サウジアラビアの息がかかるスンニ派政権を樹立したいと考えています。 そしてこれは、イエメンでも同じですね。 同じ理由から、サウジサラビア・イランの両国はイエメン内戦にも介入しています。 このような中東の 覇権や 利権を獲得したいがために、この2つの大国は他の国の戦争に介入します。 そして、サウジアラビアとイランはそれぞれスンニ派とシーア派のリーダー的存在なので、イラクやカタールなどのその他の国もそれに連れて介入をする傾向があります。 したがって、このような対立は、 「宗派で対立している」のではなく、「 覇権争いのを有利に進めたいがために、宗派を利用して仲間を集めている」と言えるのではないでしょうか。 (少し悪意のある言い方ですが。 ) と、以上のように、決して「スンニ派とシーア派は仲が悪いから対立しているのだ!」とは 安直には言い切れない部分もあるのです。 実際のイスラム社会の中でも、一般の人々の間では自分の宗派を意識することはほとんどない人の方が多い様です。 中には、欧米のメディアがシーアとスンニの対立ばっかり言うので、それを聞いて逆に意識をしだした、という人もいるくらいです。 とは言っても、実際に国際社会ではシリア情勢の様に、シーア派とスンニ派で2チームに分かれる場合が多いので、ニュースを理解するためには「どの国がスンニ派で、どの国がシーア派の国」という点は理解しておいた方が良いのは間違いがないです。 ただし、 「スンニ派とシーア派で分かれているからといって、彼らは宗派で争っているとは言い切れない!」ということは重大な事実なので、覚えておきましょう! 以上!今回はここまでにします! それではまた別記事でお会いしましょう!チャオ!.

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