アンナ カレーニナ。 アンナ・カレーニナ (2012年の映画)

[速報]シアターコクーン2020年8月公演『アンナ・カレーニナ』上演決定!

アンナ カレーニナ

アンナ・カレーニナの感想・考察(ネタバレ有) ここからは、本作に関する解釈や考察を含めた感想を述べていきたいと思います。 なお、記事の構成上多くの ネタバレを含みますので、その点はご了承ください。 愛するが愛されず、ラストは身を投げるアンナの悲劇が美しい 身を投げるアンナ(出典:Wikipedia) 前から読んでいただいている方には分かりやすいかと思いますが、私は「悲劇」というものが非常に好みなのです。 特に、何もかもを手にしているような人物や組織が没落していく様は、もはや性癖といっても過言ではないレベルで心に刺さります。 そんな私がアンナの行動に興味を惹かれないはずはなく、彼女が 「ヴロンスキーに愛し愛されること」だけを追い求める姿は実に魅力的だと感じました。 考えてもみてください。 確かにカレーニンは理想の夫ではなかったかもしれませんが、地位も名誉も、さらには美貌までもをアンナは手にしているのです。 こうした全てを捨ててでも盲目的にヴロンスキーを求めるアンナの姿は、呆れてしまうと同時に燃えるような情熱がまぶしく映りました。 加えて、これだけ愛しているにもかかわらずヴロンスキーからのリターンは決して満足のいくものではなく、絶望の淵に立たされて投身してしまうというオチも非常に美しいと感じました。 全てを捨ててただ一人の青年に愛を注ぐものの、その見返りが得られることはただの一度もない。 この光景は、道徳的に考えれば穢れて忌まわしいものにしか思えない一方で、魔性の魅力を有している、というのが私的な感想です。 私も身を滅ぼすほどの愛を注がれてみたいものですね。 ヴロンスキーが決して魅力的に見えないところも良い さて、アンナがまさしくすべてを捧げて愛しているヴロンスキーという青年将校ですが、私としては彼がそれほど魅力的な人物には感じられませんでした。 これは男の視点でそう思えるだけなのかもしれませんが、いかにもキザったらしいというかなんというか…。 設定上、優秀でハンサムに描かれているというのを理解することは出来るのですが、個人的にはあまり内面を好きになることができませんでした。 しかし、皮肉なことに 「ヴロンスキーがそこまで魅力的に見えなかった」ことで、私の中ではアンナの愛がさらに魅力的なものに昇華されたのです。 先に挙げたように、全てを投げうって愛した男からは満足のいく愛を受けられなかったアンナ。 これに加えて、 「私からすればそれほど魅力的に感じないような人物を愛していた」という要素が加わると、悲劇性がより際立つのを理解していただけるでしょうか。 仮に「私が降参するほかない最高の人物」を愛していたとすれば、彼女に同情する部分も大きくなってしまうでしょう。 しかし、私からすれば「どうしてこんな男と…」と思うヴロンスキーに傾倒していたと考えれば、よりアンナが滑稽なものに思え、恋愛悲劇としての完成度が高まると感じるからです。 分かりやすく言うと、昨今しばしば名前を聞く 「日本の某皇女」と 「皇女の婚約者になった男K」の関係性がいい例でしょうか。 この場合も、相手のKは決して誰もがうらやむような容姿やステータスを有しているわけではありません。 そのため、我々からすればやはり「どうして…?」と思うわけですが、この 「道理では説明できない恋愛の奥深さ」のようなものが本作中に描かれている魅力の正体でしょう。 Kが万人にとって納得のいく人物でない一方で皇女の愛を一身に受けているように、ヴロンスキーもまたこの図式にあてはめることができると、私は考えます。 もっとも、某皇女の容貌はアンナに比べて(ry トルストイの思想自体はやや説教臭く、教科書的と感じた ここまで 「アンナの愛が見せる悲劇的な美しさ」について語ってきました。 しかし、1ページ目の作品紹介を思い出していただければ分かるように、この読み方はどう考えても 不正解です。 あくまで想像にはなってしまいますが、トルストイはアンナのような人物、つまり浮名を流し欺瞞にまみれた都市社交界で生きる女を 「愚かしい」と考えていたことでしょう。 こうした「恥ずべき」人物と対称にして描かれた 「素晴らしい」人物こそがリョーヴィンであり、自身の人生哲学こそが崇高なものであることを示していたように思えました。 ただし、トルストイが本作で打ち出したであろう上記の「正しい」価値観は、ハッキリ言ってつまらないものだと思いました。 もちろん、彼の言っていること・やっていることは道理に則っていますし、社会の正義と呼ぶにふさわしいものでしょう。 とはいえ、 「苦難の道を歩んだ純真な男が報われ、そうでない女性は死を選ばざるを得なかった」という解釈は、いかにも教科書的だと思いませんか? トルストイの考えは正しくも魅力的に思えなかった理由は、やはりこの「説教臭さ」に他ならないでしょう。 ただし、そもそも私が「アンナ」の視点で物語を読み、それを楽しめたこと自体にトルストイの優れた観察眼や表現力が現れていると思います。 本人が想定したであろう読み方をされても一流の作品を描いてしまうとは、さすがはトルストイ。 脱帽です。

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アンナ・カレーニナ(中) (新潮文庫)

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カレーニンは妻・アンナの不倫告白により、むしろ、虫歯をやっと抜き取った人のような解放感めいたものすら感じている。 自分は不幸になってはならないし、不貞の妻は幸福になってはならない、妻に罪の報いを受けさせねば、と決意。 アンナにとって唯一気がかりなのは一人息子。 その一方、アンナは不安感からかヴロンスキーに嫉妬の感情を露わにすることがあり、ヴロンスキーは少し冷めてきたところもある。 カレーニンは離婚手続きを行い、息子のセリョージャは連れて行くとアンナに宣告。 カレーニンはセリョージャをもはや愛していないが、アンナに渡す気にもなれない。 アンナは息子と離れることに苦しむ。 やがてアンナは女児を自宅出産。 アンナ自身は重体となり、ヴロンスキーが駆けつけているところへカレーニンが帰ってくる。 産褥熱にうかされたアンナはカレーニンに謝るようなセリフをつぶやき、カレーニンは許しの感情とそれにともなう喜びに満たされる。 カレーニンは、妻を許す、とヴロンスキーに伝える。 ヴロンスキーは、少し見下していたカレーニンが突然高みに持ち上げられ、それとともに自分の卑小さを痛感させられ、絶望的な気持ちとなり、ピストル自殺を図るのだがしくじる。 アンナは奇跡的に命をとりとめる。 アンナはカレーニンをその善行ゆえに憎む、という。 カレーニンの寛大さゆえに憎らしい。 つまり、どうにもならない。 ちなみに、カレーニンとアンナは20歳以上も歳が離れている。 ヴロンスキーは退官し、アンナは離婚不成立のまま、ヴロンスキーと外国への旅立つ。 息子と別れたのは苦しいが、ヴロンスキーといっしょにいられることでそれ以上の幸福を感じる。 アンナはそんな自分に罪の意識を感じることは感じるのだが。 旅から帰ってきたアンナは、カレーニンのいないスキに息子に再会し、パパを好きになるように、というが、そこでカレーニンに鉢合わせするとやはり嫌悪、憎悪、我が子を独占していることへの羨望の感情に襲われる。 一方、リョーヴィンはキチイと再会し、二人はめでたく結婚する。 リョーヴィンは幸福の絶頂。 ただし、結婚後しばらくすると現実が見えてくる。 リョーヴィンの兄が死にそうなときに、キチイがいっしょに行きたがるなど、なんとなく面倒も感じることがある。 読み始めてから読み終わるまで半年かかってしまった。 上中下合わせて1600ページを超える 大作。 トルストイが5年の歳月をかけて何度も書き直したという、「戦争と平和」と両翼を担う作品。 この作品の登場人物のなかで私はリョーヴィンが好きだったのだが、リヨーヴィンがトルストイの分身だったなんて。 読み終わるまでわかりませんでした。 宗教、哲学、農業、経済、政治、戦争、人間関係、この小説には全ての要素が含まれています。 ドストエフスキーやレーニンが賞賛するのもわかります。 ただ、登場人物が150人近く現れ、物語も複雑に絡み合っていくので、細切れに読んでいくと内容がわかりずらくなるかも。 最後にリョーヴィンが神の存在に気づくのが印象的でした。 作家は書き出しに全神経を集中する。 『アンナ・カレーニナ』(レフ・トルストイ著、木村浩訳、新潮文庫、上・中・下巻)の「幸福な家族はどれも似通っているが、不幸な家族は不幸のあり方がそれぞれ異なっている」という有名な書き出しは、レフ・トルストイが17回も推敲に推敲を重ねたと伝えられている。 この長編小説はこれまで多くの訳者によって翻訳されているが、トルストイ苦心の書き出しに限って言えば、どの訳者の訳ももう一つしっくりこない。 そこで、己の非力を省みず訳(英語からの重訳)に挑戦してみたのが、上掲のものである。 美貌の人妻アンナの不倫・転落物語と、身近なカップルの着実で幸福な人生を対比させているところに、この作品の尽きせぬ魅力があるのだと思う。 映像で楽しみたい向きには、DVD『アンナ・カレニナ』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ヴィヴィアン・リー、ラルフ・リチャードソン出演、ファーストトレーディング)を薦めたい。

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『アンナ・カレーニナ』のあらすじや感想、解説・考察!アンナとリョーヴィンの愛に注目

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新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の状況、並びに、4月7日 火 に発令された緊急事態宣言と東京都からの緊急事態措置要請を受け、DISCOVER WORLD THEATRE vol. 8『アンナ・カレーニナ』公演の実現に向け、演出のフィリップ・ブリーン氏をはじめとする英国のクリエイティブチームと協議を重ねてまいりました。 現時点におけるあらゆる可能性を検討した結果、誠に残念ではありますが、本公演の上演を中止することにいたしました。 公演を心待ちにされていたお客様におかれましては、大変なご迷惑をおかけすることになり、誠に申し訳ございません。 何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 これに伴い、ご購入いただいた全公演のチケットの払い戻しについて、以下ご案内申し上げます。 お手数をおかけしますが、下記払い戻し方法をご確認の上、手続きをお進めくださいますようお願い申し上げます。 「アンナ・カレーニナ」はロシアを代表する文豪であるレフ・トルストイが1800年代後半に書き上げた小説で、これまで世界各国で何度も舞台化・映像化されてきたロシア文学の最高峰の長編大作です。 アンナ、ヴロンスキー、カレーニンの三角関係が中心に描かれることが多い作品ですが、この度の上演ではイギリス気鋭の演出家フィリップ・ブリーンが新解釈で戯曲化し演出。 タイトルロールのアンナ・カレーニナを演じるのは、宮沢りえ。 そして、恋には不器用ながらも真実の愛を手に入れる誠実な男コンスタンチン・リョーヴィンを宮沢氷魚。 アンナと道ならぬ恋に堕ちる、若き美青年将校アレクセイ・ヴロンスキーを白洲 迅。 リョーヴィンと結ばれるドリーの妹カテリーナ・シチェルバツカヤ キティ を川島海荷。 オブロンスキーの妻ダリヤ・オブロンスカヤ ドリー を大空ゆうひ。 アンナの兄ステパン・オブロンスキーを吹越 満。 更に、愛に不器用なアンナの夫アレクセイ・カレーニンを段田安則と、若手からベテランまで豪華キャストが結集しました。 フィリップ版「アンナ・カレーニナ」では、多様な「愛」の形が描かれる中で、破滅に向かうアンナとヴロンスキーの「愛」、カレーニンの敬虔な信仰心に寄る「愛」、未来への希望を感じさせるリョーヴィンとキティの「純愛」を対照的に描きます。 真実の愛を追い求め揺れ動く人間たちが奏でる恋愛叙事詩にご注目ください。 19世紀ロシア。 美しく魅惑的な社交界の華アンナ・カレーニナは、著名な政府高官の夫カレーニンと一人息子と共にサンクトペテルブルクに暮らしていた。 ある日、モスクワを訪れたアンナは、若き青年将校ヴロンスキー伯爵と出会う。 一目で惹かれ合う二人。 熱烈なヴロンスキーからのアプローチを拒絶し続けるアンナだったが、自分の心を偽ることができず、ついにヴロンスキーと恋に堕ちる。 カレーニンは妻アンナの気持ちと行動を知りつつ、体面を保つために妻に忠告するにとどめていたが、当然心中穏やかではいられない。 そんな夫にアンナは、堂々と「ヴロンスキーを愛している」と告げるのだった。 カレーニンとの離婚が成立しないまま、アンナはヴロンスキーとの間に娘をもうけ、一緒に暮らし始める。 だが社交界の掟を破ったアンナに周囲が注ぐ視線は、当然冷たい。 ヴロンスキーとの愛に全てを捧げる覚悟を決めていたアンナだったが、次第に精神的にも追い詰められていく。 一方、アンナの兄オブロンスキーは、自身の浮気が原因で妻ドリーとの夫婦仲が危機に瀕していたが、アンナの取りなしでどうにか事なきを得ていた。 オブロンスキーの若き友人リョーヴィンはドリーの妹キティに一度求婚するも、ヴロンスキーに夢中だったキティにあえなく振られ、田舎で農地経営に精を出していた。 キティもまたヴロンスキーへの淡い恋心を踏みにじられ、愛を信じられなくなっていたが、勇気を出したリョーヴィンからの二度目のプロポーズを受け入れる。 リョーヴィンとキティは真実の愛を手に入れ、地に足の着いた暮らしを始めるのだった。 不安定なアンナを支えるヴロンスキーには、母が勧める縁談が持ち上がっていた。

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