須磨の秋 現代語訳。 源氏物語『須磨』(月のいとはなやかにさし出でたるに、~)解説・品詞分解

源氏物語須磨の秋品詞分解現代語訳助動詞敬語

須磨の秋 現代語訳

7月に一時中断しましたが、注釈書を参考にすればなんとか読めることが分かったので、平成29年2月に本格的に読み始めました。 時間がかかります。 原文はおよそ90万字あります。 仮に一日500字読んだとしても、5年かかります。 毎日とてもそれだけ読めませんので、7~8年はかかるのではないか。 読んだしるしとして、現代文を付すことにしました。 まず全巻読み通すことが第一の目的、第二にできればあらすじ・各巻の要約を作りたいが、これはかなりのエネルギーを要するので、どうなることやら。 参考資料は以下の通りです。 Websites• 高千穂大学名誉教授 渋谷栄一氏の労作に深謝します。 by Masaaki Shibata による。 上記渋谷氏のサイトの原文校正版。 原文はすべてここからいただきました。 by 森永エンゼル財団 岡野弘彦氏による全巻の講義• web 版• その他多くのインターネット上のwebsite に感謝します。 図書関係• 源氏物語 古典セレクション 小学館(14 澪標まで)• 源氏物語 新潮日本古典集成〈新装版〉 新潮社(15 蓬生以後) 注釈が豊富で、日本語が実に適確です。 以後手放せなくなった。 源氏物語評釈 玉上琢弥著• 源氏物語 日本古典文学大系 岩波書店• パソコンは途中からwindows10になり、ブラウザーは、IE version11 Chrome を主に使っている。 これで左右のスペースができる限りそろうようにしている。 もちろんおおよそである。

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源氏物語「須磨の秋/心づくしの秋風」(須磨)1/2 問題

須磨の秋 現代語訳

旅立ち・行徳• らくの貞室、須磨のうらの月見にゆきて「松陰や月は三五や中納言」といひけむ、狂夫のむかしもなつかしきまゝに、このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり。 ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり、ひとりは水雲の僧。 現代語訳 京都の俳諧師安原貞室が須磨の浦の月を見に行って「松の梢に十五夜の月が出ている。 ここ須磨に流された中納言行平も、これと同じ月を見たのかなあ」と言った、風流に没頭した人の昔がなつかしさにまかせて、この秋(貞享3年(1687年)8月)、鹿島神宮の月を見ようと思い立った。 旅に伴う人が二人ある。 浪人一人。 もう一人は行脚の禅僧である。 この僧は烏のように真っ黒な墨染めの衣に、頭陀袋をえりにかけ、釈迦が山を出た時の像を箱にありがたく入れて後ろに背負い、禅僧の持つ杖をひきならして、悟りに至る門は無くても悟りに至る路は無数にあり、その途中の関所も問題ないと、天であろうと地であろうと、独り歩いて出発するのだ。 名は安原正章(まさあきら)。 松永貞徳の弟子。 貞門派では松江重頼と双璧をなす。 『おくのほそ道』「山中」でも言及されている。 「松陰や」となっているのは芭蕉の記憶違いか?「三五夜」は三かける五で十五夜のこと。 白楽天の詩に「三五夜中新月の色」とある。 「中納言」は須磨に流された在原行平。 「中」に「夜中」の「中」と「中納言」の「中」を掛ける。 とことん風流に没頭する人。 前回『野ざらし紀行」の旅から3年後。 浮浪する人。 河合曾良のこと。 行脚の僧。 深川芭蕉庵近くに住む禅僧宗波(そうは)。 「三衣の袋」はそれらを入れる袋。 また衣に限らず物入れ袋。 頭陀袋。 仏像を入れる箱。 扉が観音開きになっていてで、仏像を拝める。 主に禅僧が携える杖を言う。 この路の関を通り越せれば、天も地も独りで歩いていける。 いまひとりは、僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門よりふねにのりて、行徳といふところにいたる。 ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのちからをためさんと、かちよりぞゆく。 現代語訳 さてもう一人である私は、僧でもなく、俗人でもなく、ちょうど鳥でもなく鼠でもない、蝙蝠のように中途半端な姿であるが、「鳥なき島の蝙蝠」の諺通り、鳥…すぐれた人物のいない島にわたって蝙蝠…つまらない者が幅をきかせるべく、深川の庵の門前から船に乗って(小名木川に漕ぎ出し)、行徳という所に至った。 舟をあがると、馬にも乗らず、細い脛の力をためそうと歩いていくことにした。 僧でもなく俗人でもなく中途半端な自分の姿を重ねる。 「かうぶり」に「蝙蝠」を掛ける。 鳥(すぐれた人)のいない場所で蝙蝠(つまらない者)が幅をきかすたとえ。 また「鹿島」という地名の「島」も掛けている。 島崎藤村の詩に「鳥なき島」がある。 芭蕉は門前から船に乗り、小名木川を東へ、江戸川を横切って千葉方面に向かった。

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須磨 (源氏物語)

須磨の秋 現代語訳

動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 御遊び=名詞、管弦や詩歌などの貴族にとっての娯楽 月がとても明るく出たので、今夜は十五夜であったなあと思い出しなさって、殿上での管弦の御遊びが恋しく、 ところどころ ながめ 給ふ らむ かしと思ひやり 給ふにつけても、月の顔のみ まもら れ 給ふ。 ながめ=マ行下二段動詞「眺む(ながむ)」の連用形、じっとみる、眺める。 物思いに沈む。 「詠む(ながむ)」だと詩歌などを読む、つくるといった意味もある。 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。 動作の主体である(都にいる)あの方やこの方を敬っている。 作者からの敬意。 らむ=現在推量の助動詞「らむ」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。 基本的に「らむ」は文末に来ると「現在推量・現在の原因推量」、文中に来ると「現在の伝聞・現在の婉曲」 かし=念押しの終助詞、文末に用いる、~よ。 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 まもら=ラ行四段動詞「守る(まもる)」の未然形、目を離さずに見る、じっと見つめる、見守る。 れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。 「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。 自発:「~せずにはいられない、自然と~される」 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 (都にいる)あの方もこの方も(この月を)眺めていらっしゃるだろうよと思いなさるにつけても、月の面ばかりをじっと見つめていらっしゃる。 「二千里外故人心。 」と 誦じ 給へ る、 例 の涙もとどめ られ ず。 誦じ=サ変動詞「誦ず(ずず)」の連用形、声に出して唱える、口ずさむ。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいくらかある。 例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 例=名詞、いつもの事、普段。 当たり前の事、普通。 の=連用格の格助詞、「~のように」と訳す。 散文の場合は「例の+用言」と言う使い方で「いつものように~」と訳す。 韻文(和歌など)の場合は2句と3句の末尾に「の」来て、連用格として使われることがよくある。 また、その場合序詞となる。 られ=可能の助動詞「らる」の未然形、接続は未然形。 「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。 平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられることが多い。 平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。 鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。 ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形 「 二 に 千 せん 里 り の 外 ほか 故 こ 人 じん の 心 こころ。 」と口ずさみなさると、(周りの人々は)いつものように涙を止めることができない。 入 にゅう 道 どう の 宮 みや の、「 霧 きり や 隔つる。 」と のたまはせ しほど、 言はむ方なく恋しく、折々のこと思ひ出で 給ふに、よよと泣か れ 給ふ。 や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。 係り結び。 隔つる=タ行下二段動詞「隔つ(へだつ)」の連体形。 係助詞「や」を受けて連体形となっている。 係り結び。 のたまはせ=サ行下二動詞「宣はす(のたまはす)」の連用形、「言ふ」の尊敬語。 「のたまふ」より敬意が強い。 おっしゃる。 動作の主体である入道の宮を敬っている。 作者からの敬意。 し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形 言はむ方なく=言いようもなく 「言は(動詞・未然形)/む(婉曲の助動詞・連体形)/方(名詞、方法)/無く(ク活用形容詞・連用形)」 む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。 この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。 直後に体言があると婉曲になりがち。 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。 「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。 自発:「~せずにはいられない、自然と~される」 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 入道の宮(=藤壺の宮)が、「霧が 隔 へだ てたのだろうか。 」とおっしゃったころが、言いようもなく恋しく、折々のことを思い出しなさると、おいおいとお泣きになる。 「夜 更 ふ け 侍り ぬ。 」と 聞こゆれ ど、なほ入り 給は ず。 侍り=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連用形、丁寧語。 聞き手である光源氏を敬っている。 「夜更け侍りぬ。 」と発言した人からの敬意。 ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形 聞こゆれ=ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の已然形、「言ふ」の謙譲語。 動作の対象である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。 なほ=副詞、やはり。 さらに。 それでもやはり。 給は=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 」と(人々が)申し上げるけれど、やはり(光源氏は寝所に)お入りにならない。 見るほど ぞしばし 慰むめぐりあは む月の都ははるかなれ ども ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。 係り結び。 慰む=マ行四段動詞「慰む(なぐさむ)」の連体形。 係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。 係り結び。 む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。 この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。 直後に体言があると婉曲になりがち。 ども=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。 見るほどぞ しばし慰む めぐりあはむ 月の都は はるかなれども (月を)見ている間はしばらく心が慰められる。 再びめぐりあう月の都(=京の都)は、はるか遠いけれども。 (後半の意訳:再び京の都に帰ることができる日は、はるか遠いけれども。 ) その夜、 上のいと なつかしう昔物語などし 給ひ し御さまの、 院に似 奉り 給へ り しも、恋しく思ひ出で 聞こえ 給ひて、 上(うえ)=名詞、天皇、主上。 天皇の間、殿上の間、清涼殿。 ここでは朱雀帝のことを指している。 なつかしう=シク活用の形容詞「懐かし(なつかし)」の連用形が音便化したもの、親しみが感じられる、親しみやすい。 心惹かれる様子だ、慕わしい。 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。 動作の主体である上(=朱雀帝)を敬っている。 作者からの敬意。 し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形 院=名詞、上皇・法皇・女院。 または左記の者達の御所。 貴族等の邸宅。 ここでは桐壺院のことを指している。 奉り=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の連用形、謙譲語。 動作の対象である院(=桐壺院)を敬っている。 作者からの敬意。 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。 動作の主体である上(=朱雀帝)を敬っている。 作者からの敬意。 り=存続の助動詞「り」の連用形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形 聞こえ=補助動詞ヤ行下二「聞こゆ」の連用形、謙譲語。 動作の対象である上(=朱雀帝)を敬っている。 作者からの敬意。 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 源氏物語の序盤で登場した弘徽殿の女御の子供。 「 恩 おん 賜 し の 御 ぎょ 衣 い は今ここにあり。 」と 誦じ つつ入り 給ひ ぬ。 誦じ=サ変動詞「誦ず(ずず)」の連用形、声に出して唱える、口ずさむ。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいくらかある。 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形 「恩賜の御衣は今ここにあり。 」と口ずさみながら(寝所に)お入りになった。 」=菅原道真の詩の引用。 意訳:「主君からいただいた服は今でもここにございます。 」 御 おん 衣 ぞ はまことに身 放 はな た ず、 傍 かたわ らに置き 給へ り。 ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 り=存続の助動詞「り」の終止形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形 (朱雀帝からいただいた)御衣は(道真の詩のとおり)本当に身から離さず、そばに置いていらっしゃる。 憂し とのみ ひとへにものは 思ほえ で 左 ひだり 右 みぎ にも 濡 ぬ るる 袖 そで かな 憂し=ク活用の形容詞「憂し(うし)」の終止形、いやだ、にくい、気に食わない、つらい ひとへに=副詞、ひたすら、一途に 思ほえ=ヤ行下二段動詞「思ほゆ」の未然形、(自然と)思われる で=打消の接続助詞、接続は未然形。 かな=詠嘆の終助詞 憂しとのみ ひとへにものは 思ほえで 左 ひだり 右 みぎ にも 濡るる袖かな (帝に対して)恨めしいとばかりひたすらには思われないで、(恨めしさと懐かしさで)左も右も(涙で)濡れる袖であるよ。

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