相馬野馬追。 福島旅行に行こう!「相馬野馬追」の日程や楽しみ方をご紹介

野馬追特集

相馬野馬追

相馬野馬追2011 23日「復興〜時代を継承する使命」 2011 相馬 三社 野馬追 23日 復興 〜時代を継承する使命〜 大津波を受けた被災地・相馬市 緑豊かな田んぼも、風光明媚な松川浦も もう面影はない…… それでも連綿と紡がれる歴史は途切らせまいと サムライ達は立ち上がる 相馬中村神社にサムライの声が響く そう、今年も相馬野馬追が始まるのだ 平成23年7月23日 相馬中村神社に 宇多郷のサムライ達が集まる。 午前9時。 すでに社では出陣の儀式が始まっていた。 神社には相馬野馬追を見るために訪れた観覧客で溢れている。 その中には震災で出陣できなくなった他郷の人たちも大勢いた。 午前9時半。 社での儀式が終わったようだ。 甲冑を纏ったサムライ達が走ってくる。 「馬を引けーっ!」 「騎乗準備っ!」 威勢の良い声を張り上げてサムライ達は馬の元にむかっていった。 平成23年度 相馬野馬追っ! 宇多郷騎馬陣立てを行うっ! 宇多郷の出陣が始まった 名前を読み上げられた騎馬武者達が 行列を成して進軍していく 馬のいななき、蹄の音 威風堂々と進む騎馬武者達 『 あぁ、野馬追だ。 』 何度も見ているその光景がただただ嬉しかった 平成23年度 相馬野馬追 総大将 相馬 行胤(みちたね)公 相馬家第三十三代御当主の御長男 震災直後から相馬に入り 様々な支援活動を行われていた総大将 その存在はとても心強く 穏やかな表情は多くの人たちに 安心を与えていたことでしょう 相馬家御次男で行胤公の弟君 相馬 陽胤(きよたね)公 平成19年に総大将を務めた陽胤公も 兄君と共に支援活動に奔走しておりました 被災した中で危ぶまれた相馬野馬追の開催 野馬追は行えるのだろうか? 誰もが不安を口にします しかし陽胤公はTwitterで、こう述べました 「時代を継承することが使命の人間に 野馬追開催の有無を本気で聞いているのだろうか」 御兄弟の強き信念があったからこそ 今年の野馬追は執り行うことができた 野馬追の歴史は相馬家と共に、 相馬家の血は今なおこの地を守っているのです 「馬ぁ前に出せぇー」 「禰宜殿通せぇー」 訛り交じりで支持を出す騎馬武者 「後ろ危ねぇぞー。 蹴っから、この馬!」 と言いながら馬がくるくる回る。 巧みに操ってるのか、操りきれてないのか 馬の尻がコッチ向いたときはチト怖かった。 (^^; これだけ馬がいるのに柵もロープも無い。 いつもの野馬追の観覧スタイルとはいえ 普通に馬の後ろ歩いてる人もいて危険でした。 行列の陣立て読み上げが終わり 参道には騎馬武者の行列ができていました。 と、行列始まりの花火が上がり 空からボンッボンッと音が響きます。 花火の音に驚いて暴れる馬達。 それでも落馬することなく馬を操るサムライの 手綱捌きの見事さか、暴れる馬に驚いてか 観客からは小さく歓声もあがってました。 威風堂々と行列を開始する宇多郷騎馬隊 騎馬の数は少ないけれど いつもと同じ騎馬武者の姿と出陣式 震災で大きく名を広めた今年の野馬追には 大勢の観覧客や報道関係が集まっていました 行列は相馬市中心部を周り 国道6号線沿いのジャスコに向います 自分はまもなく始まる北郷出陣を見るため 行列は見ずに副大将邸に向いました 午前10時。 鹿島区・国道6号線から望むことができる北郷・海老原邸。 副大将・海老原永明殿の元に出陣を控えた 北郷騎馬が集結する。 平成23年度 相馬野馬追 副大将 海老原 永明 殿 鹿島に本陣を置く北郷の大将にして 相馬野馬追の副大将 北郷の勇ましいサムライ達をまとめる 精悍なる大将です 副大将の元には次々と 北郷のサムライ達が挨拶に訪れます 申し上げますっ! 菅野 長八! 一般騎馬他一名! 菅野 茂基! 副大将殿のお迎えに上がりましたっ! 副大将殿におかれましては 本日の御出陣まことにおめでとう存じます! 震災で家族を、家を、馬も失った菅野殿 「 供養のためにも出陣を決めた。 」 決意に満ちた口上は勇ましくも どこか悲しさも感じられました 海老原副大将殿に申し上げますっ! 北郷螺役長!他螺役五名! ただいま到着いたしましたっ! 副大将殿の御尊顔を拝し恐悦至極に存じます! なお!今回の震災に負けることなく! 北郷螺役一同!これからの野馬追に対し! 未来永劫っ!地域伝統を絶やすことなくっ! 今後も精進することをお誓い申し上げますっ! 今年度の野馬追においても半月の稽古を重ね! 準備万端!あい整っていることを 御報告申し上げますっ!以上っ! 北郷螺役長・濱名邦弘殿の力強い口上 震災に負けることなく 未来永劫 地域伝統を絶やすことなく 濱名殿の口上は強く心に響きました 左の写真は副大将の馬 大人しくて賢そうな馬でした。 午前11時。 副大将宅前に置かれた永田陣屋に北郷のサムライ達が集合する。 いよいよ北郷本陣に向けての出陣式が始まるのだ。 相馬野馬追は螺に始まる。 軍者が出陣の礼螺の指示を出すとサムライ達は再び海老原邸へと向かった。 礼螺は海老原邸の神棚に 先祖代々の御霊に対し奉り行われる 濱名螺役長の指示の元 螺役達が礼螺を吹く 部屋の中で反響した螺の音が 辺りに響き渡った 礼螺が止む いよいよ出陣だ 盃の酒を飲み干した海老原副大将が かわらけ(盃)を庭先でカチ割る 副大将殿、お発ちっ! 御使番が声を張り上げた 盃を割るのは厄除けとも カチ割るが 勝ちにつながるという 戦の前のゲン担ぎとも言われている 副大将殿の馬を引けぇっ! 出陣式が終わりサムライ達が馬に跨っていく 海老原邸前は騒々しくなった 馬のいななき、蹄の音 参れ参れっ! サムライ達の威勢の良い声も響き渡った 次々に騎乗して進み出る騎馬武者達。 人が向いてる方は馬も気になるのでしょうか? 馬のこういう仕草が何気に気に入ってます。 (^^ヾ 北郷騎馬隊が本陣に向けて進んでいく いつもなら緑一面の田んぼを進む 幻想的な騎馬武者の行列が見れるのに 今年は原発の影響で米を作れず 田んぼの緑は稲の緑ではない それでも、青々とした草むらを進む騎馬の姿は 戦国時代さながらの雰囲気を感じさせました 23日正午。 永田陣屋を出立した 北郷騎馬隊が鹿島の北郷本陣に入る。 北郷本陣は周囲に観覧席が設けられており大勢の観覧客が訪れていた。 ここでも今回出陣をしなかった宇多郷・北郷、そして他郷の人達が観覧に来ていた。 北郷本陣 海老原副大将や北郷の軍者達 南相馬市長・執行委員長の桜井勝延殿も到着した 大将達の席の前は大きな広場となっており 伝令が入ってきては副大将に報告していく 永田陣屋には総大将擁する宇多郷勢が入った やがて副大将より伝令の指示が発せられる 荒組頭と萩原中頭 二人の騎馬武者が最初の伝令だ これより永田陣屋におもむきっ! 相馬中村神社 御鳳輦っ!ならびに総大将殿! 永田陣屋出立の刻限を伺って参りますっ! ただちに参れっ! 承知っ! 二騎のサムライは永田陣屋に向けて駆けだした 北郷本陣から永田陣屋まで1km強 後を追おうとしましたがすでに姿も見えません さすがに人の足では馬には追いつけませんね ゆっくりと永田陣屋への道を歩いていると 後方から第二回目の伝令が来ました 車も通過する一般道路。 その道を進んでくる二騎の騎馬武者 この後、常磐線の線路をまたぎ 国道6号線も横切って永田陣屋に向います 一回目の伝令と二回目の伝令がすれ違う。 何かやりとりはあるのかと期待しましたが 特に言葉を交わすでもなくすれ違う二組。 沿道で見ている人もなく、 ただ車が行きかう道路を騎馬武者が歩いている。 見慣れた光景とは言え やはり不思議な感覚は拭えません。 永田陣屋から戻ってくる二回目の伝令 以前見た永田陣屋でのやりとり 今年も同じようなやりとりが行われているのでしょう 電話もメールもない戦国時代 サムライ達はこうやって伝令を走らせ 他所との交信をしていたのでしょう 伝令ーっ! 北郷本陣に伝令達が戻ってくる 道を開けろっ! 入口に立つ組頭が陣屋内に向けて声を張り上げる 伝令達は副大将の前まで進み出でて 伺ってきた内容を伝えた 午後13時。 永田陣屋を出立した 総大将と宇多郷騎馬隊が北郷本陣に到着する。 しかし北郷のサムライ達に止められ本陣内に入れさせてもらえない。 本陣前で宇多郷と北郷のサムライが睨み合う。 総大将殿をお待たせしないように お通しなさいっ! 宇多郷先頭軍者・武澤殿が声を上げる しばらくお待ちくださいっ! 北郷のサムライも丁寧に受け答える 本陣内では騎馬武者が副大将に報告している 待たされる宇多郷騎馬隊 次第に苛立ちを募らせてくる 馬達も落ち着かなくなってきた 入っていいのか! いつまで待たせるんだっ! 声を荒げる武澤殿 しばし待てっ! 北郷のサムライも声を荒げた 総大将殿を待たせるとはどういうことだ! 別の宇多郷騎馬が声を上げる 宇多郷と北郷 一触即発の雰囲気が漂ってきた 総大将だ… 観覧客から声が漏れた 見ると赤い母衣に三本扇が入口に近づいてきた 総大将・相馬 行胤公が進み出る 宇多郷か北郷か、誰かが声を上げる 道を開けろっ! 威風堂々 総大将の登場に張りつめていた空気が緩む 相馬野馬追・総大将自らが 先陣に立ち北郷本陣に進み入った 相馬野馬追 総大将 と 副大将 宇多郷と北郷 互いに強い誇りを秘め 時代を継承する信念を持ったサムライ達 二つの郷が揃い 改めて出陣式が執り行われた 出陣式を終えて再び馬に跨るサムライ達 これより宇多郷と北郷によるお行列が開始される 本来ならば雲雀ヶ原に向けての進軍だが 被災した今年は街中だけの行列だ しかし出陣の行列、帰陣の行列(上り馬)も 相馬野馬追に欠かせない行事 相馬地方の復興に向けて 人々の心に元気を与えるため 二つの郷が合わさったお行列が始まった 例年ならばお行列の後、雲雀ヶ原で宵乗競馬を。 真野川河川敷では北郷の神旗争奪戦が行われていた。 しかし今年は震災と原発の影響でどちらの行事も行われない。 お行列の後、宇多郷勢は相馬市に戻り中村神社までの上り馬行列を行い 中村神社でお上りの式を行ったそうです。 23日の相馬三社野馬追。 いつもの野馬追の光景……威風堂々と進軍する騎馬武者と勇ましい口上。 馬のいななきと息遣い、道を歩く蹄の音。 それらを見ることができた。 野馬追を実施することができた。 それが本当に嬉しかった。 自分はこの後のお行列は見ずに鹿島を後にしました。 (^^ヾ 今回は観覧客や報道関係も多く、逆に知り合いの出陣が無かったことから普通に一般客としての観覧。 天気も途中で雨が降ってきたり地震(!)があったりで大変でした。 観覧客が多いのは嬉しいけれど人が多いと疲れますね。 相馬野馬追を一般客として見るのは意外に疲れることが分かりました。 (^^; 考えてみると今までは出陣する友人知人の側で見ていましたが 今回はそういう存在が無く、写真撮るのも外からだったのです。 北郷出陣の流れや見どころも知らなかったので何を撮影すれば良いか分からず 終わってから写真やビデオを見たら大事なとこがほとんど撮れていないという結果に。 それでもなんとかレポートを上げることができたので一安心です。 復興に向けての相馬野馬追。 勇ましい騎馬武者を見て、被災地に少しでも元気が出れば嬉しいですね。 さて、次は24日のレポートに取り掛かります。 (^^ヾ.

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相馬野馬追!2020祭り日程や総大将など・中止?コロナの影響は?

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概要 [ ] 馬を追う 野馬懸、原町区に所在する 雲雀ヶ原祭場地において行われる 甲冑競馬と 神旗争奪戦、街を騎馬武者が行進する お行列などの神事からなる。 これらの神事に関しては、国のに指定されている。 ののさきがけと見なされ、の1つとして紹介される場合もある。 までは、毎年からまでの3日間の日程で神事と祭りが一体となって開催されていたが、からは祭りと神事は日程が分離され、祭りを7月最終週の、、に開幕、神事を24日・25日に日程を固定して実施することが決まった。 2011年以後の詳細はとにより不明な点が多いため、以下には2017年までの日程等に基づいて記載する。 相馬野馬追の運営は、に発足した相馬野馬追執行委員会が取り仕切っている。 歴史 [ ] 起源は、開府前に、の遠祖である が、領内の小金原(現在の)に野生馬を放し、敵兵に見立ててをした事に始まると言われている。 成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。 公的行事としての傾向が強くなったのは、江戸時代のによる軍制改革と、による祭典化以降と考えられる。 ので中村藩が明治政府に敗北して廃藩置県により消滅すると、に旧中村藩内の野馬がすべて狩り獲られてしまい、野馬追も消滅した。 しかし、の相馬太田神社が中心となって野馬追祭の再興を図り、にはの許可が得られて野馬追が復活した。 祭りのハイライトの甲冑競馬および神旗争奪戦は、戊辰戦争後の祭事である。 相馬氏は将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬氏の守護神である「」に奉納した。 これが現在「野馬懸」に継承されている。 この祭の時に流れる民謡『』は、中村相馬氏の祖であるが住んでいた流山郷 (現在の千葉県)に因んでいる。 戊辰戦争後の祭りおよび神事の初日は、1872年(当初は太田神社のみの小規模な祭礼)以降、旧暦5月の申日に合わせて、以降、天候不順を回避するために、以降、さらに梅雨期そのものを避けるためにと変遷してきたが、からは小学校の夏休み開始に合わせてとなっていた。 から神事と祭りは日程が分離されることになり、神事は・に日にち固定で実施し、祭りは7月最終週のに開幕することになった。 ただし、7月最終週の土曜日に開幕すると8月上旬にまで日程が及ぶ場合は、祭りを前週に繰り上げて開催する。 騎馬武者を500余騎を集める行事は現在国内で唯一である。 は一部の旧中村藩士族の農家、や野馬追参加者により飼育されてはいるが、多くは関東圏からのレンタルによって集められている。 なお、2011年に開始された「 」では、この相馬野馬追の紹介は被災地の伝統行事であるにもかかわらずまだ行われていない。 開催地と三軍 [ ] 以北のうち、からにかけて相馬氏・中村藩(藩主:相馬氏)の領地に入っていたで開催される。 浜通り最北端にあるは・(藩主:伊達氏)の領地に、浜通り夜ノ森以南は・(藩主:、など)の領地に入っていたため、相馬野馬追に与らない。 各郷ごとに騎馬隊が編成され、さらにそれらが神社ごとに三軍に編成される。 中村城跡と相馬中村神社が所在するで編成される宇多郷勢の長は、中村藩主にならって全三軍を率いる総大将となる。 祭りのハイライトの甲冑競馬や神旗争奪戦は、の雲雀ヶ原(ひばりがはら)にある相馬野馬追祭場地( )で開催される。 現在の行政区域 旧郷名 所属神社 主な行事 7月第4土曜日 7月第4日曜日 7月最終月曜日 ( ) 総大将出陣式 北郷 総大将御迎 中ノ郷 ( ) 宵乗り競馬 お行列 甲冑競馬 神旗争奪戦 小高郷 ( ) 野馬懸 標葉郷 妙見三社の神事ならびにの行列のため、上から見下ろすのはいけないことだとされている。 そのため、出陣式の時に通る中村第一小学校前のは封鎖され、一部のカメラマン等を除いて上ることは出来ない。 また、付近の民家でも2階から見物することは自粛するのが通常。 移動などの為騎馬行列を横切ることもしてはいけない。 なお、行列の前に警察、市役所等により行列の横断を行わないように注意がなされているがこのような注意を無視し横断をする観客、報道関係者も多く見られる。 行事 [ ] 7月第4土曜日 宵祭り [ ] (各神社) のでは宇多郷勢が、のでは中ノ郷勢が、同市のでは小高郷・標葉郷勢が各々出陣式を行う。 全三軍の指揮を執る総大将(中村藩公)の出陣式が行われる相馬中村神社では最も厳粛に行われ、相馬流れ山をする。 この後、各神社の神輿は御旅所へ、中ノ郷勢と小高郷・標葉郷勢の計二軍はそのまま原町の雲雀ヶ原にある祭場地へ向かう。 総大将御迎(南相馬市鹿島区) 12:00 - 総大将直属の宇多郷勢と、同隊が雲雀ヶ原へ向かう道中にいる北郷勢で行われる行事。 総大将を迎え入れたことで、宇多郷・北郷勢という騎馬軍を編成し、原町区の雲雀ヶ原にある祭場地へ向かう。 宵乗り競馬(南相馬市原町区) 14:00 - 雲雀ヶ原の相馬野馬追祭場地に三軍が集結し、を行う。 軍者会 7月第4日曜日 本祭り [ ] お行列(南相馬市原町区) 9:30 - 開催地の原町区にある相馬太田神社(中ノ郷勢)を先頭に、相馬小高神社(小高郷・標葉郷勢)、総大将がいる相馬中村神社(宇多郷・北郷勢)の順に総勢500余騎で、御本陣・雲雀ヶ原の相馬野馬追祭場地まで約3を行軍する。 甲冑競馬(南相馬市原町区) 12:00 - 騎馬隊が祭場地に到着し、山上の御本陣に神輿を安置した後に行う。 それまで被っていたを脱いで、をしめた姿の若武者の騎馬が、10頭立てで1周1000の速さを競う。 10回開催。 神旗争奪戦(南相馬市原町区) 13:00 - 打ち上げられたの中からゆっくり落ちてくる御神旗を騎馬武者たちが争奪する行事。 雲雀ヶ原の祭場地に隣接する本陣山からが鳴り響くと、雲雀ヶ原一面に500余騎が広がり、花火1発ごとに2本の御神旗が舞い降りる。 御神旗を勝ち取った騎馬武者は高々と御神旗を掲げ、羊腸の坂を本陣山( )山頂に向けて一気に駆け上がる。 旗は敵の首になぞらえてあるため、御本陣では旗軍者に審査される。 その後、騎馬武者は妙見神社から御札と副賞を受けて山を下りる。 この一連の流れが間を置いて行われ、花火は計20発(御神旗が計40本)が打ち上げられる。 なお、御神旗は、相馬中村神社が、相馬太田神社が、相馬小高神社がとなっている。 帰り馬(原町区以外) 原町区の中ノ郷勢以外の4隊は、騎馬行進を行いながら地元に戻る。 2017年 7月最終月曜日 野馬懸 [ ] 野馬懸(南相馬市小高区) 9:00 - 小高区の相馬小高神社で、裸馬を騎馬武者が小高区大井字岩迫から小高神社境内に設けられたに追い込む。 本来は野馬道(雲雀が原〜小高神社までの道路)を用いた(野馬懸)。 追い込み終了後、浄衣を着た御小人なる者が素手で捕え、小高神社に奉納する「上げ野馬の神事」が行われる。 この一連の行事が絵馬のルーツとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されるきっかけとなる。 奉納された以外の馬は、博労(馬喰、ばくろう)によりセリが行われる。 一連の神事は以上の3日間に渡るが、小高以外の地域では野馬追は2日間の祭事と思う人がいる。 その一例として、近年まで相馬太田神社の看板には野馬追祭事の日が7月23日、24日と書かれていた。 (1979年) - ・、・によるの 小説• 『』(2017年) テレビドラマ• (2017年、) 脚注 [ ] []• 2010年7月24日. 2011年4月11日閲覧。 682)• 江戸時代初期には将門の子孫が相馬氏であるという伝承が確かに存在している。 徳川幕府に仕えて旗本となった惣領家(本家)の相馬氏・政胤の代の『御家伝書』を秋、相馬則胤が書写したものにある(岡田清一:著)。 653)• 妙見大菩薩は神仏習合でと同一視された為、神仏分離が明治時代に行われてからは妙見大菩薩ではなく天之御中主神に奉納している。 にはというに属した。 相馬の野馬追 p24 相馬野馬追保存会(1985年発行)• 2017年以降は「」• 「プロダクションノート」 『戦国自衛隊』、角川春樹事務所、1979年12月15日、 26 - 27頁。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 国指定文化財等データベース()• ウィキニュースに関連記事があります。 【2012年9月30日】• ウィキニュースに関連記事があります。 【2016年7月30日】.

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相馬野馬追2011 23日「復興〜時代を継承する使命」

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