バーネット ニューマン。 絵&写真10:写真と抽象芸術 ~アンドレアス・グルスキー~

【美術解説】バーネット・ニューマン「カラーフィールド・ペインティングの代表格」

バーネット ニューマン

こうした視線で眺めるとき、世界が美で覆い尽くされていることが理解できる。 ぼくが今いるここも、あたなが今いるそこも、隙間なく美に満たされている。 現にグルスキーはどこにでもあるような川面からバーネット・ニューマンやワシリー・カンディンスキーの美を表現した。 きっとグルスキーならここでも、そこでも、美しい写真を撮影して見せるだろう。 「世界の存在は美的現象としてのみ是認される」(ニーチェ著、秋山英夫訳『悲劇の誕生』岩波文庫より) 世界というのは写真のようなものだ。 ちょうどフィルムを現像して写真が焼き上がるように、人は五官を通して感じた色や味や香りや音や肌触りといった「感じ」、つまり「美」を加工してこの世界を描き出す。 ぼくらが見ている映像は美という素材を人の思考が現像した「作品」であって、世界という「客観」ではない。 思考を経たあとのその「作品」は地域や時代や民族や国ごとの文化の影響を大きく受けていて、それぞれの世界観に彩られている。 同じものを眺めても、ぼくの見ている世界はあなたが見ている世界とは似ても似つかぬものなのだろう。 生きるということは、こうして美から世界を描き出すということだ。 そして。 アートは生きることと反対に、世界を削り、人の思考を廃してもとの美を抽出すること。 あらゆる先入観を廃し、主観を消し、思考を止め、「私」をどこまでも透明にして、その奥底に潜む「人間」にたどり着くこと。 これをするために、写真はとても幅広い表現法であることがよくわかる。 グルスキーは場面を選ぶことで写実画も印象画も抽象画も描き分けてしまう。 彼は写真を加工することでしばしば批判されてきたが、彼にとってそれが写真であるか否かはたいした問題ではないのだろう。 問うているのはその色と形がもたらす感覚なのだから。 こういう写真を見ていると、無性に写真が撮りたくなる。 ぼくが今まさに見ているこの空間のこの美。 これをなんとか表現したくなる。 うーん、しばらく撮影していなかったけれど、また写真はじめようかな。 <関連記事&サイト> ・All About 世界遺産 新記事 ・ Bizコンパス 世界の名言 ・Bizコンパス 国際情勢連載 ・Bizコンパス 世界遺産連載 ・その他 『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。 『Fine』自然遺産特集執筆。 『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。 『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。 『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。 『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。 エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。 RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。 その他企業・大学広報誌等。 <旅論:たびロジー> 1. <エロス論:エロジー> 1. <絵と写真の話> 8. <哲学的探究:哲学入門> 1. 以下続く。 <哲学的考察:ウソだ!> 7. <世界遺産NEWS> ・ <世界遺産ランキング集> ・ ・ ・ ・ ・ <UNESCOリスト集> ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ <世界遺産の見方> ・ ・ ・ ・ ・ <味わう世界遺産> 1. <世界遺産で学ぶ世界史> 01. 以下続く。 <世界遺産で学ぶ世界の建築> 01. 以下続く。 <世界遺産写真館> 1. 以下続く。 <世界遺産攻略法> 1.

次の

バーネット・ニューマン「十字架の道行き」 : Living Well Is the Best Revenge

バーネット ニューマン

語源 [ ] もともとは巨大な絵を制作することを通して、観客を包み込むような「場所」を作り観客に超越的な感覚を与えたいと語っていた画家の絵画を評して、批評家がに使った言葉であった。 この言葉は、色彩( カラー)を使ってキャンバスに「場( フィールド)」を出現させようとした同時代の抽象画家、特に などの作家について説明するためにも使われるようになった。 色彩と場 [ ] グリーンバーグの説明する「場」とは、部分や要素の集合ではなく全体性や構造こそ重要視されるべきとしたを応用したものである。 カラーフィールド・ペインティングで作られる絵画平面では、色面に中心や焦点がなく、「地」と「図」(柄と背景)の区別もなく、厚みもなく平面的で、どこをとっても均質で、画面を越えて色面がどこまでも続いているように見える、「オールオーバー」といわれる画面作りがされている。 ここでは、絵画はのぞき窓ではなく、を乗せた単なる平面だと認識された。 そのため、画面の中に三の奥行きや世界があるように錯覚させる陰影や透視法などヨーロッパ絵画の伝統的な「イリュージョン」は否定されている。 また花や人物、幾何学的図形といった主役となる中心(ヒエラルキー)は「地」と「図」の区別をつくってしまうためこれも否定されている。 色彩はこうした陰影や物を描くために従属的に使われるのではなく、平面自体が主役となるような場を作るために使われている。 クレメント・グリーンバーグは、これら色彩や輪郭線の区別のあいまいな絵画作品を、に自ら企画した展覧会名にちなみ「 ポスト・ペインタリー・アブストラクション」(「絵画的抽象以降の抽象」、「地」に何か「図」が描いてある絵画的な状態を克服して、平面的で一切のイリュージョンを廃した抽象画)と呼んだが、最初にニューマンを評した際に使ったカラーフィールド・ペインティングが定着した。 フォーマリズムとモダニズム [ ] グリーンバーグは、同時期の絵画を評して使われた「」という用語の、美術家の 行為を重視する見方より、美術家が作り出す絵画の 形態を重視するの立場を強調し、内容よりも形態こそが美術を批判的に評価して前進させる原動力と考えていた。 彼は、 美術は自己批判を繰り消しながら余計な物をそぎ落とし根本的な要素までし、形態・輪郭・色彩が平面上ですべて一つになる「形態的な純粋性」にいたる途上にあるとして、カラーフィールド・ペインティングをモダニズムの前衛として評価した。 他の時代の美術との関係 [ ] 還元的になりすぎたカラーフィールド・ペインティングは1960年代には一旦下火になりグリーンバーグも大きな批判を受けたが、その作家たちは以後も試行錯誤を続け後進の美術家たちに影響を与え、1990年代以降にはグリーンバーグも再評価の動きがある。 カラーフィールド・ペインティングの原点を、20世紀前半のに求める考えもある。 また、観客を包み込み空間を変容させる作品、というアイデアは、1970年代以降のにもつながっている。 カラーフィールド・ペインティングの代表的な画家 [ ]• (Yoshiro Negishi) 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ].

次の

「アンナの光」を探して・・・

バーネット ニューマン

バーネット・ニューマン(1905年1月29日-1970年7月4日)はアメリカの画家、彫刻家。 抽象表現主義運動の重要な人物で、 カラーフィールド・ペインティングの代表的な画家。 画家になる以前は、批評家やキュレーターとして活躍。 1944年から自ら画家として活動を始めるやいなや、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコらとともに新しいアメリカ現代美術の立役者とみなされるようになる。 ニューマンの作品は、局地的感覚、存在感、不測な事態などの感覚を鑑賞者に伝えるよう構成されている。 また、得意の理論武装能力を活かして、1948年にエッセイ『崇高はいま』を発表すると同時にワンメント作品を発表し、自らの作品を現代美術史の文脈に位置づけ正当化した。 2013年にバーネット・ニューマンの一面のコバルトブルーのキャンバスに白い線が一本入っている1953年の作品「ワンメント6」が、サザビーズのオークションで4380万ドルで落札された。 ニューマンはポーランド移民のユダヤ人両親のもと、ニューヨークで生まれた。 ニューヨーク市立大学シティカレッジで哲学を学んだ後、父親の服飾業を手伝う。 のちに教師、著述、批評で生活をたてる。 1930年から絵を描きはじめる。 初期は表現主義風のスタイルだったが、結局、それら初期作品はすべて捨てる。 1934年に画家の先生だったアンナリー・グリーンハウスと出会い、二人は1936年6月30日に結婚。 画家になる以前、ニューマンはカタログの序文やレビューを書いたり、展覧会をキュレーションしていた。 1948年、ベティパーソンズ・ギャラリーで前衛集団『アップタウン・グループ』のメンバーになった後、同ギャラリーで個展を開催。 初個展開催後すぐにニューマンは、抽象表現主義の作家20人が議論をかわしたイベント『Artists Sessions at Studio 35 1950 』の一人として注目を集めるようになった。 また、 ニューマンは自身の文章能力と理論武装能力をうまく活かして、新たに確立したイメージをアートワールドの文脈に組み込み、また自身の作品をプロモートした。 1955年4月9日の手紙には「シドニー・ジャニスへ、ロスコと激論を交わしたのは事実だ。 彼は俗物世界に屈服した。 ブルジョア社会に反対する私の戦いは俗物世界の全拒否だ」と書いている。 カラーペインティング以前、1940年代を通じてニューマンはシュルレアリスム風の作品を制作していた。 薄い垂直線で区切られた色の領域をニューマンは "ジップ"と名付けた。 初期作品はジップに焦点が当てられ、ジップをの 初期作品では色面はまだらになっていたが、やがて色面は単色で平坦なものになった。 ニューマンは1948年から始まる「ワンメント 」シリーズで完全に自己のスタイルを確立したと考えた。 ジップは絵画の画面構成を定義し、同時に構図を分割したり結合したりする。 1944年にはニューマンはアメリカの最も新しい芸術運動の絵画を説明し、また新しい芸術運動のメンバーとしてみなされるようになっていた。 ほかに当時、アメリカの新しい芸術運動のメンバーとしては、ロベルト・マッタのような元シュルレアリスト、ヴォルフガング・パーレーン、マーク・ロスコ、ジャクソン・ポロックなどがいる。 ジップはニューマンの生涯を通して、ニューマン作品の特徴となった。 1950年代の作品のなかには、『野生』のように高さ8フィート、幅1. 5インチ(2. 1センチメートル)のようなジップそれ自体が作品となったものもある。 また本質的に三次元のジップ彫刻作品もいくつか制作している。 ニューマンの絵画は純粋抽象でように見え、それらの作品の多くは無題であるが、のちに付けられた名前には、特定の主題を呼びかけるものであった。 (多くはユダヤ的主題)。 1950年代初頭に制作された2つの絵画『アダムとイヴ』や『ウリエル』などが代表的な作品である。 『アブラハム』という作品は、これらの非常に絵画のタイトルは、聖書に現れる家長の名前であると同時に1947年に死去したニューマンの父の名前である。

次の