鹿野靖明 画像。 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」

大泉洋の「そんなバナナ!」なエピソードとは?映画『こんな夜更けにバナナかよ』の裏話を暴露

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鹿野靖明の経歴や生い立ちは? 先に申しますと、今回モデルとなった鹿野さんは2002年に永眠されています。 一体鹿野さんのどういったところが、映画化されることになったのでしょうか? 鹿野靖明さんの経歴や生い立ちを見ていきましょう!• 名 前:鹿野靖明(しかのやすあき)• 生年月日:1959年12月26日札• 出身地:北海道札幌市• 学 歴:北海道立真駒内養護学校高等部卒業• 享 年:43歳 鹿野靖明さんの画像>>> 鹿野靖明さんは小学6年生の時に全身の筋肉が衰えていく進行性筋ジストロフィーを発症。 35歳の時には、呼吸筋の衰えによって自発呼吸が難しくなり、ノドを切開し、「人工呼吸器」の機械を装着しました。 一日24時間、誰かが付き添って痰の吸引を行わなけれいけませんでした。 一言で言うなら鹿野靖明さんはかなり ワガママで介護をしていただいている腰の低さも無かったと言われています。 鹿野さんの介護にはこのような状態となっていて、私達が思うような介護では無かったとのこと。 支援する側と支援される側の地位の逆転現象が起きていた。 生き生きとし、張りのある声でボランティアたちに指示を出す。 逆に新人ボランティアたちは、生きた研修を行う鹿野氏に統率され、支配下に置かれる。 鹿野氏は新人ボランティアに無料で知識を提供し、指導を行う感謝される存在であり、それは、何事も「できない」という「弱者」ではなく、「できる」というポジションを得た「強気の存在」であり、それによって彼は自身のアイデンティティを確保していた。 dinf. 通常介護している場合は「ありがとう」が先にありますが、鹿野さんはボランティアに暴言やワガママを言ったり、振り回してる時もあります。 超個性的な障害を持った鹿野靖明さんを通じて、障害者支援を受けながらの人間らしい暮らしとは何か?を考えさせるのではないでしょうか? 筋ジストロフィーは、 身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称です。 国内の筋ジストロフィーの患者数は、 約25,400人(推計)です。 人間には遺伝子の中にたくさんの変異を持っていますが。 何も表に現れない変異が大半です。 いくつかの変異が筋ジストロフィーという症状になって現れます。 平成29年7月現在、根本治療薬はありません。 しかし、近年の医学の進歩はめざましく、複数の疾患で新薬の開発が進められています。 (一部引用:) 重度となっていくと、鹿野靖明さんのように呼吸も自力でできなくなるので24時間体制の介護が必要です。 鹿野靖明さんの介護生活をまとめた書籍がこちら。

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渡辺一史 (作家)

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本のタイトルが風変わりなので、いったい何の本なのかと聞かれることも多いが、「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」という副題があるとおり、進行性筋ジストロフィーという難病を抱えた鹿野靖明(しかの・やすあき)さんと、鹿野さんを24時間体制でローテーションを組んで支えるボランティアたちとの交流を、私が取材して書いたノンフィクションである。 筋ジストロフィーは、全身の筋力が徐々に衰えていく難病で、今なお治療法が解明されていない。 筋ジス患者の多くが、一生を施設や病院で終えるケースが多い中、しかし、鹿野さんは、どんなに障害が重くても「地域で普通に生活したい」という主張を貫いた人だった。 とはいえ、「普通に生活したい」といっても、手が動かない、足も動かない鹿野さんは、介助者なしに生きていくことができない。 おまけに、30代の頃から呼吸筋の低下にともない、人工呼吸器という器具を装着することを余儀なくされた。 この器具を装着すると、呼吸器と気管の間に不定期に痰(たん)が詰まるようになり、その詰まった痰を、そばにいる介助者が「吸引器」という機械を使って取り除かなければ窒息してしまうおそれがある。 そんな大変な困難も背負っていた。 とにかく1日24時間、つねに他人がそばにいないと生きていけないという境遇を鹿野さんは生きていた。 ともあれ、鹿野さんは、病いや障害に攻め込まれれば攻め込まれるほど、異様に「しぶとさ」を増していった。 どんな困難に見舞われようと、どこかに可能性があるはずだと信じて、「こっちはどうだ、あっちはどうだ」と、もがき続ける。 そして、小さな可能性をこじ開けるようにして、どこまでも生きていく。 メゲない。 あきらめない。 それが、鹿野さんの「強さ」であり、「たくましさ」の根源だった。 鹿野さんは、強い面も弱い面も、ずるい面もみにくい面も、すべてを人目に晒(さら)すことでしか生きていけない。 ボランティアはボランティアで、そんな鹿野さんとの格闘を重ねながら、気づけば自らの生き方を見つめ直し、人間的にも大きな影響を受けてゆくのだった。 結局、自分の生きる意味や役割を与えてくれるのは、深く関わった他者でしかない。 「自分って何だろう?」と自分一人で考えていても結論は出ない。 鹿野さんとともに過ごし、格闘した日々は、そのことを肌身で実感させてくれる歳月でもあった。 私が、この本の取材に取り組もうと思ったもう一つのきっかけは、「ボランティア」に対する興味からだった。 そもそもボランティアをしている学生や主婦たちは、「いったい何を好きこのんでボランティアしているのだろう」という素朴な疑問があったからだ。 私はこの本を書く過程で、何十人ものボランティアにインタビューをすることになったが、たとえば、こんな学生ボランティアがいた。 大学に入学したものの、大学の授業はつまらないし、自分はどうして大学なんてところに入ったんだろう、自分の「生きる意味」とはいったい何だろう、というような問いにつまずいてしまう学生である。 そんなとき、大学の掲示板に貼られていた「ボランティア募集」のチラシを見て、「これだ!」と思ってやってくる。 鹿野さんのところには、他にも、マージャン三昧の怠惰な生活を「なんとかしたい」と思って来る学生や、あるいは、冷え切った夫婦関係の末に、「夫にとって私って何?」といった根源的な不安を抱えているような主婦もいた。 そして、「なぜボランティアをするのか?」という問いを重ねる途上で、一人の女性ボランティアがつぶやいた言葉にはドキリとさせられた。 《一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる》という言葉だ。 ボランティアとは、ヒマと余裕があるからするものではない、という事実を知った。 むしろ、そこは、幸・不幸のパイをめぐって、食うか食われるかのシビアな争いが繰り広げられる戦場であった。 一方の鹿野さんもまた、少しも「不幸な人間」らしいところがなく、したたかにワガママに自己を主張する人だった。 頼りないボランティアには「帰れ!」と一喝し、生活上の「あれしろ、これしろ」を容赦なく突きつける。 彼の欲求は「普通に生きたい」という切実かつ正当な要求なのであり、その根底には、「障害者が介助者にものを頼むのは当然の権利」という思いがある。 ときに「弱者」であるはずの鹿野さんに押しつぶされるボランティアもいるなど、両者のやりとりは、鋭い対立や葛藤を生む。 「愛」と「憎」がない交ぜになった濃密な人間関係がそこにはあった。 私は取材しながら、いったいどちらが「障害者」でどちらが「健常者」なのか、どちらが「支える側」でどちらが「支えられる側」なのか、わからなくなることがしばしばだった。 asahi. com・本の達人「」(ノンフィクションライター・最相葉月氏評)/平成25年(2013)10月4日.

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こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

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幼少から全身の筋肉が徐々に衰えてゆく難病・筋ジストロフィーを患い、人の助けがないと生きていけないにも関わらず、病院を飛び出して、自ら募集したボランティアの力を借りながら、約20年間にわたる風変わりな自立生活を送りました。 夜中に突然「バナナが食べたい」と言い出す、わがままで、ずうずうしくて、ほれっぽくて、よくしゃべる鹿野さん……。 多くの若者たちが、ときにぶつかり合い、葛藤を重ねながらも、鹿野さんの生き方から大きな影響を受けて成長していく人々の人生を、笑いあり涙ありで描いた感動作です。 僕と同じ北海道出身で、全身の筋肉が徐々に衰えていく難病『筋ジストロフィー』を患っていました。 大抜 大泉さんは、鹿野さん本人に容姿を似せるため、かなり減量して撮影に臨んだそうですね。 大泉 撮影に入るまでに6キロくらい痩せて、撮影中に病気が進行していく様子を見せたかったので、さらに絞り込みました。 最大10kgくらい減量しましたね。 西代 今回の撮影場所は大泉さんの地元・北海道ですよね? おいしいお店もたくさんご存知だと思いますが、共演者と食事に行ったりしなかったんですか? 大泉 食事は行きましたよ。 北海道なので、みんなをジンギスカンのおいしいお店に連れて行きました。 西代 でも、大泉さんは食べなかったんですか? 大泉 ジンギスカンだけ少し食べて、なるべく炭水化物は取らないように気をつけていました。 大抜 当時のボランティアや医師たちとの交流が映画のワンシーンにもなっているんですね。 それは、すごいですね! 大泉 鹿野さんは病気の進行とともに、呼吸もできなくなっていって、人工呼吸器をつけることを余儀なくされるシーンが映画の中にもあるのですが、人工呼吸器をつけて、話せなくなることを恐れて躊躇する鹿野さんに病院で主治医の先生が「どうすんの、あんた。 このままじゃ死んじゃうよ」と仰るんです。 この言っている台詞は、実際に鹿野さんを担当した先生が口にした言葉なんだそうです。 撮影現場には、 その言葉を仰った先生が横についてくれて、その場面を詳しく教えてくれました。 大泉 結婚して、離婚もしています。 大抜 西代 すごいですね! 大抜 この映画の良さは、悲しいだけじゃなく、ものすごい自由に生きた鹿野さんの生き様を見せているところですよね。 大泉 作品中には、「バナナが食べたい」と言い出して、夜中にボランティアスタッフに買いに行かせたり、入院中も「病院から出たい。 退院させてくれ」「あなたたちだって仕事が終わったら家に帰るだろう。 だったら、僕だって家に帰りたいんだ。 だから家に帰してくれ」と。 一見わがままを言っているようでいて、それはあくまで健常者から見た時にわがままに映るだけで、そのわがままの根底にあるのは、「僕たちだって、普通の人と同じことがしたいんだ」っていう、必死の思いなんです。 大抜 すごいパワーのある人ですね。 大抜 鹿野さんは、最後どのようにして亡くなられたんですか? 大泉 最後は病院で亡くなられたそうです。 具合が悪くなって、病院に駆け込まれて……そこにまたボランティアの方が来たそうですが、その日の限って、鹿野さんは、「もう大丈夫だから」と、みんなを帰したそうです。 プロの介助の人だけ一人残して、その人にも「もう寝て良いよ」「ありがとう」って。 はじめて「ありがとう」って言って、それでそのまま亡くなったそうです。 自分の家でボランティアに囲まれながら、死んだとしたら、さすがにボランティアの人は一生悔いたと思うんですよ。 西代 慈悲深い方ですね。 大抜 見終わった後にいろいろ考えさせられる映画でした。 関西の皆さんもぜひ見ていただきたいですね。 大抜 どれくらいの近さですか? 大泉 もう肩と肩が触れ合うくらいの距離です。 至近距離すぎて、こちらが驚いていると、関西の方は『なんで?』『ええやんか』という風に、ぐいぐい来られますね。 西代 すみません。 関西人の気質で、つい近づきたくなっちゃうんですよね(笑) 大泉 あと、舞台の時は、関西が盛り上がるんです。 拍手喝采で、みんなスタンディングオベーションもしてくれて。 西代 そんな関西の人たちに、今回の作品をどんな気持ちで見てもらいたいですか? 大泉 笑える場面もある明るい映画ですので、軽い気持ちで見てほしいです。 見終わった後に、わがままに聞こえる振る舞いや言動、映画のタイトル『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』も、初めとはまた違う聞こえ方をするんじゃないかと思います。 西代 映画を見た後で、関西で大泉さんを見かけたら、「映画良かったよ」って、近づいて行ってもいいですか? 大泉 映画を見てくれた人だったら、至近距離で写真撮ってもらってもOKです(笑) 鹿野靖明さんの生き方を通して、自分らしく生きることの意味を改めて考えさせられる映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は2018年12月28日公開です!(文/原田静香).

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