おう せん キングダム。 人物紹介

王翦(おうせん)将軍とは?桓騎(かんき)とキングダム最強はどっち?

おう せん キングダム

政は自らを殺そうとした燕を滅ぼす 秦王政は自らを殺そうとした燕の太子丹に激怒。 王翦や王翦の息子であるなどの諸将に命じ、燕へ出陣させます。 王翦や王賁の活躍により、燕の諸城は次々と陥落し、ついに燕の都である 葪 けい を陥落させます。 燕王は命からがら遼東半島に逃れ、自らの息子である太子丹を殺害。 その首を秦王政に送り、許しを請います。 政は太子の首を見て満足し、一時的に燕王と和議を結びます。 こうして燕の討伐に成功した王翦は、秦の首都咸陽へ凱旋します。 進言を聞いてもらえず家に閉じこもる 趙が滅び、燕は滅亡寸前、魏は王翦の息子王賁の活躍により、滅亡。 こうして残っているのは超大国楚と斉です。 秦王政は自らのお気に入りの将軍であるに 「信よ。 楚を滅ぼすのにどれくらいの兵力が必要だ」と尋ねます。 すると信は「政。 俺に20万の兵力をくれれば、楚を倒して見せるぜ。 」 と強気の発言をします。 政は信の強気の発言を聞き、頼もしく思います。 次に重臣である王翦に「王翦よ。 楚を滅ぼすのにどれくらいの兵力が必要だ。 」と尋ねます。 すると王翦は「60万は必要ですな。 」と告げます。 政は王翦の言葉を聞き「王翦よ。 そのように弱気では、楚を滅ぼすことなんて 出来んぞ」と言い、李信に副将としてを付け、 蒙武と共に20万ずつ兵を与え、出陣させます。 王翦は自らの進言が聞き入れられないと分かり、 拗ねて家に閉じこもります。 関連記事: 関連記事: 関連記事: 関連記事: 蒙武と信の楚遠征軍は大敗北 蒙武と李信は軍を分けて楚に侵攻を開始。 二人の軍勢は楚の城を次々に陥落させていきます。 しかし楚の最後の名将・項燕の軍が秦の軍勢を打ち破り、 信と蒙武は大敗北。 信は自らの配下としてつけられていた武将七人を討ち死にさせ、 ほとんどの兵を失い咸陽へ帰還します。 【次のページに続きます】.

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【ネタバレ注意】キングダムの武将、王翦(おうせん)について現在分かっていることまとめ

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秦王政の11年に歴史書に初めて登場。 楊端和と共に鄴を攻め、陥落させた。 これより、政に目をかけられていたが、老年になってからは重用されなかった。 最後の国、楚を攻めるに当たり、政から各将軍へ見立てを聞かれた際に、王翦 おうせん は「兵60万必要」と慎重な意見を述べた。 それに対し、若い将軍・李信の「兵20万で十分」という勇猛に聞こえる意見を採用し、楚を攻めさせた。 ここで王翦 おうせん は自ら引退を申し出て隠居した。 しかし、楚へ侵攻した李信は、楚軍の奇襲を受け大敗。 楚軍はその勢いのままに秦へ向けて進軍し、楚の平定どころか秦が滅亡しかねない程の危機となった。 政は楚を止められるのは王翦 おうせん しかいないと判断し、王翦 おうせん の城を訪ねて将軍の任を与え、王翦 おうせん が先に述べた通り60万の兵を与える。 これは秦の全軍であり、反乱を起こすこともできる数だった。 そのため、臣下には疑いを抱く者もいるほどだった。 王翦 おうせん は、楚軍の迎撃に出るが、政自ら見送った席のみならず、行軍の途中ですら、勝利後の褒美は何がいいか、一族の今後の安泰は確かかなどを問う使者を政に毎日送った。 そして国境付近に到着すると、堅固な砦を築いて楚軍を待ち受けた。 楚軍も国境へ到着し砦を攻め始めたが、その堅牢さに苦戦した。 秦軍は、防御に徹して砦から出なかったため、膠着状態が続いた。 楚軍は、攻めても挑発しても秦軍の出てくる気配が全くなく、砦も固いため、戦にならないと引き上げ始めた。 しかし、これが王翦 おうせん の狙いであった。 後方から楚軍を破るため、砦に篭る間も兵達に食料と休息を十分に与えていたのである。 英気が余り遊びに興じる兵を見て、王翦 おうせん は「ようやく使えるようになったぞ」と喜んだという。 秦軍は、楚軍の背後から攻めかかり、楚軍を散々に打ち破った。 王翦 おうせん は、そのまま楚を攻め立て、翌年、ついに楚を滅ぼした。 こうして中華が統一された。 王翦 おうせん は、政に毎日送った使者について、部下から「余りに過ぎます。 あなたはもっと欲の無い人だと思っていましたが」と言われた際、 「お前は秦王の本性を知らない。 今、私は反乱を起こそうと思えば、たやすく秦を征し得るだけの兵を率いている。 秦王様は自ら任せたものの、疑いが絶えないだろう。 私は戦後の恩賞で頭が一杯であると絶えず知らせることで、反乱など全く考えていないことを示しているのだ」と答えた。 王翦 おうせん は政の本性を良く理解していた。 引退を申し出たのも、政は役に立つ人間は大切にするが、役に立たないと判断した人には冷淡で、特に力のあるものはどれだけ功績があろうとも些細な疑いで処刑・一族皆殺しにしかねないのである。 自分の意見が採用されなかったことで、政が「王翦 おうせん は老いて衰え、弱気になった」と思っていると察し、素早く将軍の座から退いた。 実際に引退を申し出た際、政は全く引き止めなかった。 このため、政本人から将軍に請われ、ほぼ全軍を与えられてもいい気にならず、猜疑を打ち消す心配りを絶やさなかったのである。 王翦 おうせん は、楚の平定後も政に疑いを持たれることなく、天寿を全うすることができたと言われる。

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王翦(おうせん)将軍とは?桓騎(かんき)とキングダム最強はどっち?

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所属国 秦 地位 大将軍 使用武器 矛 初登場 19巻 王翦の見た目の特徴は、仮面でしょう。 これが不気味さを演出していて、まだ素顔は明かされていません。 また、の父親であることが有名ですね。 ただ、親子関係はあまり円滑ではありません。 性格としては、冷静沈着、無駄な事は一切せず、戦に勝つのであれば、手段は選ばず最短ルートで片付けるような、そんな人物です。 王翦の史実における情報 王翦は史実でも登場した人物のようです。 加えて、史実上でも秦国にとってかなり重要な役割を果たしているため、それを紹介していきます。 まず、趙のギョウ、アツ与を落とします。 趙はこれにより防御力の落ちることとなり、滅亡へと向かいます。 その後、燕との大戦にも勝利。 これらだけでも十分な功績ですが、王翦の活躍で、1番多く語られているのが「項燕の戦い」です。 このとき既に老齢に差し掛かっていた王翦ですが、政に、「楚を落とすのには兵はどの程度必要か」と問われた際、「60万」と答えます。 一方で、政が李に同じ質問をすると、李信は「20万」と答えます。 政は李信を信用し、20万の兵で楚を攻めますが、あえなく失敗。 次に60万の兵を王翦に任せると、王翦は見事に楚を討ちます。 首都まで陥落させ、滅亡にまで追い込みました。 作中では「危険人物」として見られている王翦ですが、史実を見ると天下統一に欠かせないはたらきをしたのが分かります。 作中でも頭脳戦に強く、慎重な性格ですが、それは史実通りなようで、楚を討つために60万の兵が与えられた際、王翦は「褒美に土地をくれ」と政に頼むのです。 これは自分に反乱の意思が無いことを暗に伝えるためだったとされています。 謀反の疑いで、処されることを想定しての予防線だったようです。 史実の情報を見ると、今後の王翦の出番が期待できますね。 ここで王翦は、蒙驁将軍の副官として登場するのです。 秦軍左翼を任された王翦ですが、対峙した廉頗四天王の1人、姜燕に対し見事に軍略で勝り、囲地を奪います。 けれどもここで登場したのが、廉頗でした。 廉頗は王翦の動きを読んでいたのですね。 最高潮に高まった士気から、ここで王翦がどう反撃の手を撃つのか、廉頗は期待して構えたのですが、王翦は全軍退却の指令を出したのです。 この時に、自ら「私は絶対に勝つ戦以外興味は無い」と口にします。 肩透かしを食らった廉頗でしたが、この王翦の判断を、かつての六将を思い出させると評します。 随所に見られる王翦の野望 王翦は、秦国側としては非常に頼りになる将軍ですが、一方で、思想を危険視されている場面も目立ちます。 というのも、王翦は自らが国王になるという野望を持っているのです。 これにより、他の武将には見られない行動を取ります。 まずは自分の保身を最優先すること。 先述した廉頗と対峙した際、退却した王翦は戦中に築城した天然の砦に籠城します。 これにより廉頗は王翦を討てなくなりますが、逆に王翦も城から動けません。 蒙驁軍、ひいては秦国の勝利を考えた時、この判断には致命的な欠陥があると、廉頗は王翦の本質的な部分に疑問を呈します。 さらに、もう1つが敵のスカウトです。 敵国の将を追い詰めた際、王翦自らが軍に勧誘する場面がいくつかあります。 戦中にも関わらず、自分の国の戦力の底上げを図るという行為には、王翦の野望に対する異様な執着心が伺えます。 これらから秦国は王翦に対し、未だ絶対的な「信」を置けずにいるのです。 函谷関の裏を守る王翦は、燕軍総大将と対峙します。 山岳族の王であるオルドは、山読みの能力に突出しているため、山間部の戦いはオルド優位に進められているように見えました。 オルドが王翦軍の心臓部を見抜き、主攻隊を送ると、王翦は即座に退却、行方をくらませます。 廉頗戦の時のように守りに入ったように思えたところ、これは王翦の作戦だったのですね。 この展開を先読みしていた王翦は予め、隊を山間部に伏せていたのです。 オルド軍の背後を取り、猛攻、主力を奪います。 山という環境のハンデを背負いながら、オルドをハメるわけですから、これだけでも王翦の並外れた軍略が伺えますが、ここからさらに活躍します。 再び、王翦軍はオルドの視界から消えます。 1度背後を取られたオルドはもう簡単には動けないことを読み、何と、王翦は持ち場を放置してそのまま函谷関の援護に向かうのです。 これが見事に嵌ります。 函谷関が楚軍に裏を取られていたのです。 大戦の最大の要所が危機に陥ったタイミングで、王翦の援軍が登場するわけです。 すぐさま土地を取り返し、危機を救います。 まさに秦国の命運を左右する活躍でした。 軍師として唯一六将に名を連ねた胡傷が、王翦を「軍略の才だけで六将の席に割り込んでこれる逸材」と評した過去があり、は王翦に総大将を任せるのです。 昌平君の戦略としては、当初、列尾城を落とし、そこを補給線として確保して王都、邯鄲を攻めるのが戦略でしたが、列尾城にはのある仕掛けが施されていました。 それは意図的に弱く作ることにより、敵に奪われても奪い返しやすくするというものでした。 これに気付いた王翦は、昌平君の戦略を棄て、自ら作戦を組みます。 ここが名シーンです。 列尾を落とされる前に、全軍で趙の第二都市、ギョウを落とすことは可能かどうか、王翦は自ら見に行くのですが、そこでギョウが完璧な城であることを知ります。 打ち落とせないと悟るやいなや、その場で軍略を練るのです。 王都圏内ですから、すぐに趙兵に見つかります。 けれども王翦は敵をに任せ、戦いのど真ん中で計略をめぐらすのですね。 この光景は印象的ではないでしょうか。 そうして出た作戦がなんと、趙が秦に仕掛けていた兵糧攻めを、今度はギョウに趙の難民を集め、兵糧攻めで返すというものでした。 つまり、兵糧攻め合戦です。 この作戦は、敵対する李牧も虚を突かれる形となり、味方であるすらも「ぶっ飛んでる」と評します。 戦局は一任されていましたが、開始序盤で、ここまで戦略を変化させるのは予想外で、この柔軟性こそ、王翦の軍才が光ったシーンではないでしょうか。 軍略以外でも名シーンがあります。 王翦軍が李牧軍と直接対峙した際です。 李牧が、合従軍戦でと手を合わせた経験のみで、本能型の戦法を自軍に取り入れ、本能と知略の異種混合軍を作り上げていたのです。 それに気付いた王翦は、「認めざるを得ぬな李牧、私と同じ怪物と」と口にします。 これは名言ですね。 ここからさらに凄いのが、李牧を見て、王翦も本能型の戦い方をすぐに取り入れ始めることです。 まさに三大天、六将級の戦ですね。 そこから、王翦と李牧が直接対峙する状況ができるのですが、ここで王翦が口にしたのがなんと、李牧の勧誘です。 先述しましたように、王翦には国王になる野心があります。 新しい国を作るにあたり、李牧という最強の味方を手に入れようと誘うわけですね。 これを総大将同士の立場でも行うわけですから常軌を逸してますね。 「ギョウ攻略編」の王翦の言動は、多くにおいて強いインパクトを残しているのではないでしょうか。 王翦のまとめ.

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