大原麗子。 元女優、大原麗子の高画質な画像まとめ!

元女優、大原麗子の高画質な画像まとめ!

大原麗子

気がつけば、姿を見なくなっていた。 あれほどの人気と出演本数を誇りながら、最後の10年は女優として活動しなかった。 「親友」が回想激白する。 鹿沼は日活映画の名作に出演し、共演を機に俳優・古尾谷雅人と結婚。 それが大原と親しくなったきっかけでもあった。 「麗子さん主演の『さりげなく憎いやつ』(82年、TBS系)で共演したんです。 実は私、よく声や雰囲気が似ているって言われていたの。 それもあって親しくなったら、麗子さんに『彼氏はいるの?』って聞かれて、古尾谷の名前を出したんです」 とたんに大原は、注目している俳優が古尾谷だと、驚きの声を上げた。 古尾谷と鹿沼の挙式では、森進一と夫婦(当時)で媒酌人も引き受けてくれた。 鹿沼は結婚と同時に仕事をセーブしたが、大原との家族ぐるみのつきあいは続いた。 やがて、大原からマネージャーをやってくれないかと頼まれるようになる。 「2人の子育てに加えて、古尾谷という手のかかるダンナがいるわけですよ。 とてもじゃないけど、麗子さんのことまで手が回らないとお断りしました」 古尾谷は03年3月25日、自宅で首つり自殺を図る。 長らく躁うつ病に苦しみ、また仕事を選びすぎたあまり借金苦となり、鹿沼に対してもDVが絶えなかった。 鹿沼は夫の死に、どこか大原との共通点を見た。 「古尾谷は5歳の時に父親が再婚し、継母からは愛情を得られず、父親からもストレス解消のため虐待を受けていました。 麗子さんも父親の虐待で絶縁にまで至っていますが、そのせいで2人は似た部分があったと思います。 自分のイメージを大事にするあまり、仲よくなるとぶつかってくる性格は同じでした」 古尾谷と同居する鹿沼はそれでも、ギリギリまで夫のグチを聞いてやれる環境にあった。 ところが1人で過ごす大原は、そのはけ口を失っていた。 鹿沼は出産後に大原を自宅に招いた日のことが忘れられないという。 「私が出前のお寿司を取ろうとしたら、麗子さんが『お寿司はいつでも食べられるから家庭料理が食べたい』って言うの。 もちろんそうしてあげたいけど、私は小さい子を2人も抱えていたから、『えぇーっ!』と思ったわ。 でも麗子さんはスーパーにも行きたいって言うので、一緒に買い物をすることになって」 寄せ鍋の食材を買っていると、大原は「ハムの切り落とし」がどうしても食べたいと言いだす。 父親と離れて貧しい暮らしをしていた少女時代、それが唯一のごちそうだったのだ。 やがて大原が芸能活動をセーブすると、さらに鹿沼に依存してきた。 真夜中だろうとかまわず電話をかけてきては、一方的に自分のグチを聞かせる。 後見人だった森光子も、大原の晩年には縁を切っている。 唯一、手を差し伸べたのが大原の初婚の相手で、最後まで最愛の男だった渡瀬恒彦だ。 渡瀬は自身の主演ドラマ「十津川警部シリーズ」(04年、TBS系)に大原をゲスト出演させている。 結果的に、これが大原の遺作となってしまった。 だがそこに美人女優の面影はなかったと鹿沼は言う。 「その前にも目の奥二重を整形したことで顔が変形し、決まっていた映画を降ろされたこともありました。 亡くなる3カ月前に電話があって『会いたいね』と言ったら、ポツンと『今の麗子は会わないほうがいいかもしれない』と言いました」 また、3億円の豪邸に1人で住んでいたが「お金は使えばなくなるの」とも漏らしている。 鹿沼は、最後に食事した日のことを鮮明に覚えている。 ギランバレー症候群の再発だと口にしていたが、それ以上に自律神経に支障を来しているように見えた。 「スプーンがうまく握れず、テーブルに水たまりができるほど泣きっぱなしなんです。 発見は3日後の8月6日であり、携帯電話まで3メートルと近づいたところでコト切れていた。

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大原麗子の若い頃が超美人!生い立ちが壮絶だった

大原麗子

スポンサーリンク 出典: 大原麗子さんは東京放映の社長・大野直さんにスカウトされ芸能界入り。 本格的な女優デビューは1964年NHKのドラマ「幸福試験」でした。 その翌年東映へ入社。 高倉健さんの「網走番外地」シリーズ、千葉真一主演作品、梅宮辰夫さんの「夜の青春」シリーズなどの映画に次々と出演しています。 1971年東映と契約が切れたことを機にプロダクションに所属し、そこからテレビドラマにシフトチェンジしイメージも「しっとりとした日本的美人象」に一心しました。 そして大原麗子さんの代表作となったのが、NHK大河ドラマ「春日局」での主演。 女優として輝く一方バラエティー番組などでもお見掛けすることが多くなりました。 CMでも和服姿で甘えた声で「すこし愛して、ながーく愛して」という台詞が何とも愛らしく、大原麗子さんと言えばこのCMというイメージもつきました。 大原麗子の生い立ちが壮絶 出典: 大原麗子さんは実のお父さんからDVを受けていて、顔が変形するほど腫れあがったという記憶も残っているそう。 両親が離婚して大原さんはお母さんに引き取られたのですが、弟はお父さんに引き取られたのでここで引き裂かれてしまいました。 シングルマザー家庭で貧しい生活だったけれど、お母さんは無理してでも大原さんにバレエを習わせていました。 バレエを続けていたことがのちに女優・大原麗子を誕生させました。 壮絶な生い立ちだった大原麗子さんは逆にそのことでハングリー精神を持ち、その恵まれた美貌も手伝い女優として開花したのだと思います。

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大原麗子さん孤独死…自宅で警官が遺体発見…難病と闘病中/芸能/デイリースポーツ online

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Sponsored Link 悲惨な晩年~次々に友人達から見放される 大原さんは、1982年、映画 「さりげなく憎いやつ」での共演で、女優のさんと知り合われると、大原さんが当時注目していた俳優のさんが鹿沼さんの交際相手だったことや、鹿沼さんが大原さんに声や雰囲気が似ていると言われていたことなどから仲良くなり、 鹿沼さんと古尾谷さんの結婚式では、大原さん&さん夫妻(当時)が媒酌人を引き受けられるほど、親しくされていたそうです。 そして、その後も家族ぐるみの付き合いが続き、ある時、大原さんは、仕事をセーブして家庭に入った鹿沼さんにマネージャーをやってほしいと頼まれるのですが、鹿沼さんは断られます。 というのも、当時、鹿沼さんは、2人の子育てに加え、夫の古尾谷さんからDVを受けており、とても大原さんのことまで手が回る状態ではなかったのですが、それを知っていながら大原さんがマネージャーの話をしてこられたそうで、 古尾谷は5歳の時に父親が再婚し、継母からは愛情を得られず、父親からもストレス解消のため虐待を受けていました。 麗子さんも父親の虐待で絶縁にまで至っていますが、そのせいで2人は似た部分があったと思います。 浅丘ルリ子や森光子からも見放され・・・ また、女優のさんも、もともと、大原さんとは本当の姉妹のように親しかったそうですが、2007年頃から、大原さんが深夜の2~3時頃に浅丘さんへ電話をかけてきては、一方的に不平不満を延々と愚痴り続けたことで、最終的には、浅丘さんが我慢の限界に達し、 もう話したくない、絶交する! と、縁を切られたほか、 後見人を務めていたさんも、浅丘さん同様に、大原さんの長電話に苦しめられ、縁を切られたそうで、 大原さんは、次々と友人たちから見放されてしまったのでした。 生活が困窮 一方、大原さんは、仕事を休業している身の上で(わがままで干されていたに近かった)、豪邸の高額な固定資産税に光熱費のほか、自身の病気の治療、車椅子生活を送っていたお母さんの介護と経済的に苦しくなっていったようで、 所有する高価な絵画や骨董品などは全て売り払い、そのうえ、年金の受給開始年齢になる前に一部を受け取れる 「繰り上げ受給」を申請されると、 弁護士と一緒に、社会保険事務所を訪れて、 年金額がなんでこんなに少ないんですか と、抗議されていたそうで、そこには、すでに往年の大女優の面影はなかくなっていたのでした。 孤独死で死後3日後に発見!死因は? こうして、すっかり一人きりになった大原さんは、2009年8月6日、連絡が取れず、不審に思って警察に通報した弟さんらによって、自宅2階の寝室の床上で仰向けに倒れて死亡しているのが発見されます。 携帯電話を取ろうとして、15センチの距離で手を伸ばしたまま亡くなっていたそうで、解剖の結果、8月3日、 「不整脈による脳内出血」で亡くなったこととされたのでした。 (ただ、当初は、死後2週間と思われていたそうなので、夏ということもあって、遺体は相当傷んでいたようです) Sponsored Link お別れ会 ちなみに、大原さんの 「お別れの会」が開かれると、発起人の森光子さんは、 美しくて才気があって、でも寂しがりやでみんなにキツいことを言ったりもするハキハキした女優さん。 とても素晴らしい女優人生だったと思います。 でも病魔というものが麗子ちゃんには早くついてまわった。 難病にとりつかれてから心に傷を負ったようにとても辛い日々が続いたことと思います。 麗ちゃん。 あなたこんなに愛されていたのね。 とても辛かった思いでもあるでしょうけど、これから幸せになってください。 浅丘ルリ子さんは、 ここ数年、何度も言い争いになって距離を置いていた時期もあった 夜中に電話がかかってきて、人様への不平不満を言い続けるだけの電話。 もう麗子からの電話には出たくないって思いました。 本当にごめんね麗子。 今こうして再びあなたに話しかけていると、もう何のわだかまりもありません。 優しさ、かしこさ、可愛らしさだけを思い出しています。 私の妹、麗子へ。 心安らかに眠ってください。 と、弔事を読まれています。 大原さんの「お別れ会」より。 (奥から)加藤和也さん、渡辺美佐さん、浅丘ルリ子さん、さん、森光子さん。 さて、いかがでしたでしょうか。 やはり、大原さんは、度重なる病で性格が変わってしまわれたのでしょうか、それとも、鹿沼さんがおっしゃるように、幼少期のお父さんからの暴力によるトラウマが、病の苦しみにより、表面化してしまったのでしょうか。 いずれにせよ、そのため、孤独な晩年と死になったわけですが、見方を変えると、だからこそ、当事者でない人間には大原さんの生涯がミステリアスに見え、大女優と映るのかもしれませんね。 大原さんのご冥福をお祈りいたします。

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