きみ は きれい だ。 ファーストサマーウイカ 『東野幸治の幻ラジオ』名物リスナー・クレーマークレーマーについて語る。「ディスってるじゃないけども、やいやい言ってくるファンの方がいて」

#1 きみはきれい。

きみ は きれい だ

ブログを書いたのですが、なぜかtwitterからスパム認定されてつぶやけないので、一旦noteに移すことにしました。 一応ブログも貼っておきます。 お好きな方でどうぞ。 アイドルマスターシャイニーカラーズに先日された【チエルアルコは流星の】八宮めぐるがやばいのでちょっと話をさせてください。 ネタバレだらけなので注意です。 めぐるは明るくてクラスの人気者でいろんな部活の助っ人をしていて、といういかにも元気っ子なキャラクターです。 そのめぐるが、決まっていた役を失うところからコミュは始まります。 アイマスって割とマイナスなことが起きてもなんとか元通りやれました、やったね!が多い中で、ただ役を失うだけのコミュが出てきたことにまず驚きました。 選択肢によっては普通に落ち込んだまま終わります。 トゥルーのコミュではプロデューサーのかけあいにより、別の役をやることになるのですが、その2つの間に挟まれた、一見すると関連性のないアクアリウムショップでのやりとりと相まって、全体がとても情緒あふれるものになっています。 暗喩、でもそれだけじゃない コミュでは「青い目の女の子」と「一匹だけ色の違う魚」が登場します。 これらがめぐるの暗喩であり、彼女も過去にこうした周囲から浮く経験を経ていまがあるのだと読むことは間違いではないでしょう。 実際、ハーフという属性を持っためぐるが、小学校や中学校での同調圧力の強い中で周囲から浮く経験をしなかったとは言い切れないですし、その中でいまの友達との付き合い方を獲得していったのだと考えることも不自然でないと思います。 ただ私は、暗喩だったね、で終わらせると「この魚の気持ちはこの魚にしかわからない」と言っためぐるの優しさを見落とすように思います。 めぐるは青い目の女の子になる機会を永遠に失いますし、魚とは水槽で隔てられています。 同じような立場にいる人を、私達はそれだけですべて理解できるような気がしてしまいます。 けれど、どんなに境遇が似ていても他人は他人で、自分は自分。 他者を本当に理解することは誰にもできません。 めぐると重ね合わせられるような女の子や魚だって、他者であるとめぐるは自覚しています。 私は「分かりあえないけどそばにいられる」という関係性や思想が好きなのですが、めぐるはそれに近い思想の持ち主なのだと思います。 (めぐるは、と書きましたがこれはシャニマス全体の意識のような気もします。 とても呼吸がしやすい。 すきです。 ) 自分を重ねているからではなく、過去の自分を救うためではなく、ただ魚のことを思って「きみの色はとってもきれいだよ」と声をかけていることが大事だと思うんですよね。 それはめぐるの優しさと賢さと真摯さであり、真乃や灯織への態度に繋がっていくものでもあります。 めぐるはイルミネーションスターズのコミュでたびたびふたりを救う言葉や事態が好転するきっかけになる言葉を発します。 それらが快活なキャラによくある「馬鹿だけど核心をつく」ものではなく、めぐるの思案や優しさから生まれているのだと確信を持てるようになりました。 それがとても嬉しいです。 ただ隣にいる優しさ、力ずくで救う優しさ シャニマスにはめぐるのほかにもう一人、明るく他者を照らすようなキャラクターがいます。 月岡恋鐘です。 (果穂ちゃんもその系譜なのですが、彼女の無邪気さには子供であることが大きな要因としてあるのでいったんは除外させてください) めぐると恋鐘は多数のヒロインがいるコンテンツにに1人2人いる太陽のように明るいキャラだと思っていて、ただシャニマスは「太陽キャラ」という記号として象徴や宗教的な解釈することを良しとしません。 象徴や宗教的な解釈というのは、キャラクターの人間としての弱さなどの側面を無視して「神様」として扱うことを指します。 めぐるも恋鐘も、宗教視されるだけの強度はなく、そこにいるのは普通の優しくて賢くて弱いところもある、どこまでも生身の女の子です。 めぐると恋鐘はどちらもユニットの中でほかのメンバーの救いになるような動きをしますが、描かれ方は大きく異なっています。 例えば、めぐるは「この魚の気持ちはこの魚にしかわからない」「真乃の気持ちはわからない」といいますが、恋鐘は「泥んこで大丈夫って言っても駄目、絶対大丈夫じゃない」というんですよね。 これがイルミネーションスターズとアンティーカの大きな違いで、イルミネにはめぐるが必要だし、アンティーカには恋鐘が必要な答えなのだと思います。 イルミネに恋鐘がいたら、踏み込む際に真乃や灯織を傷つけてしまうこともあるかもしれないですし、アンティーカにめぐるがいたら、ほかのみんなと同じように優しく距離をとってしまうでしょう。 (といいつつも、シャニマスの書き方とやさしさなら全然平気な気もしますが、今とバランスは異なっているだろうなと思います) 浮遊と無重力、見える世界が違っても コミュのタイトルで使われる「浮遊」と「無重力」。 「浮遊」という言葉には一般的な「うかびただようこと」のほかに「居所が定まらないこと」のような意味合いがあります。 今回のコミュでは、青い目(異邦人)の内気な女の子が役として描かれますが、おそらくこの浮遊は、周囲から浮いている、などのマイナスなイメージとして使われた言葉でしょう。 trueでは同じ「浮いていること」が「無重力」という「重力から開放された状態」として表現されます。 女の子にかける言葉が見つかった、新しい役を手に入れた、というコミュの内容からしても、「無重力」はプラスの印象で使われていると思います。 浮遊も無重力も宙に浮いた状態であることにはかわらないのですが、イメージが反転しています。 それは無重力のウテナでめぐるの語った「色って、心で見てるんだねー」という言葉そのままです。 2つ目のコミュで気にしていた寝癖を、トゥルーのめぐるは気にしません。 気になっていたことだって、ほんの少し気持ちが変わるだけで全然気にならなくなります。 そしてめぐるは、気持ちの変化で感じた鮮やかな空を、ほかの人にも見せたいと願います。 同じ空を見ていても、それを美しいと思うか恨めしく思うかは人それぞれです。 分かり合えない他者ではあるけれど、それでも誰かとかかわることで見方を変えることはあるかもしれない。 プロデューサーとかかわって変わっためぐるのように。 それが、めぐるの望むアイドル像なのでしょう。 チエルアルコは流星の 1つめのコミュでめぐるは「青い目の女の子」にかける言葉が見つからないと言いました。 2つ目のコミュでは魚に「きみの色はとってもきれいだよ」と語りかけ、色の見え方は心次第だと気付いたトゥルーでは「かけてあげる言葉が見つかった」といいます。 ただ、異邦人には異邦人の言葉があり、魚には魚の言葉があります。 彼らはめぐるではなく、めぐるは彼らではありません。 「かけてあげたい言葉」が見つかったところで、きちんと伝わるのかわかりません。 ところで、世界には「共通の母語を持たないさまざまな国の人達の意思疎通」を夢見て作られた言語があります。 エスペラント語と呼ばれているその言語で、チエルアルコは「虹」を意味します。 色とその感じ方や見え方を主題に置いたこのコミュにおいて、さまざまな色を持つ存在である「虹」は、それらの色をつなぐものであり、架け橋であり、それがさらに世界共通語を夢見たエスペラント語で表されます。 だから、きっと、めぐるの思いは伝わるんでしょう。 私はそう願ってやみません。

次の

ときみのリフレッシュコーナー 富士ゼロックス新潟

きみ は きれい だ

きみはきれいだから、きえて あおい はる 朝のばけものと、夜のばけものと、わたしと、きみが、友だちだったのは、いつのことだったかしら。 わたしは、朝のばけものも、夜のばけものも、すっかりみえないからだに、なってしまった。 おとな、になったからだ、きっと。 生理がきて、胸がふくらみ、おおきくなるにつれて、次第に朝のばけものと、夜のばけもののからだが、薄くなっていった。 朝のばけものと、夜のばけものが、この世界から消滅しそうになっているのではなくて、わたしが、彼らがみえない体質に、なりはじめているのだと気づいたとき、わたしはおとなになりたくないと、こころから思った。 しにたい。 完全なおとなになるまえに、こどものままで、しにたい。 そうぼやくわたしに、きみは言うのだった。 「しにたいなんて、軽々しく口にしないでよ」 わたしは、べつに、いいお天気ね、なんて軽さで、しにたい、と言ったつもりはない。 けれど、じゃあ、いますぐ包丁を突き刺せ、とか、ビルの屋上から飛び降りろ、なんていわれて、できるかといえば、きっとできないだろう。 みずうみには花が、浮いている。 このみずうみは、いつもそうだ。 花が浮いている。 赤い花のときもあるし、白い花のときもある。 黄色い花のときも。 いずれも花は花ひらいた状態で、湖面を漂っている。 その光景を美しいというひともいれば、奇妙だともいうひともいる。 みずうみに浮いている花が、どこからやってきた花なのか、わからないからだ。 どこで咲いた花なのか、まるでわからないからだ。 だれにも、わからないからだ。 「わたしは好きよ、この景色」 と言ったのは、朝のばけものだった。 もう、わたしにはみることも、声をきくこともできない、朝のばけもの。 朝のばけものは、朝起きるとかならず、みずうみの花を眺めるのだと言った。 朝のばけものの家は、みずうみの近くにあった。 「霧深い朝なんて、絶景なの。 白く煙る湖面をゆらめく、赤や、白や、黄色の花。 花にだけ、色がある。 色があるから、なんとなく匂いも、わかる。 霧のたちこめる朝って、なんだか不吉なことが起こりそうで、あまり好きじゃないのだけれど、でも花を愛でるときは、気にならない。 ふしぎね」 むしゃむしゃ、むしゃむしゃ、なにかのお肉をたべながら、朝のばけものは教えてくれた。 朝のばけものがたべているお肉がなんのお肉かは、教えてもらえなかったけれど。 それから七色に光る、あの山。 あの山には、夜のばけもののお屋敷があった。 夜のばけものは、語るのだった。 「私はこの山が放つ、七色の光に包まれて眠りたいと思い、屋敷を建てたのですが、しかしなかなか、夜というのは眠気が襲ってきませんで、私が眠る時間には、七色の光はすっかり太陽の光に負け、輝きを失ってしまうのですな。 いやはや、残念でなりません」 ワイングラスをぐるぐるまわしながら、夜のばけものは言った。 夜のばけものがまわすワイングラスのなかには、赤でも、白でもないワインが、そもそもワインかどうかも不明な液体が、波打っているのだった。 それはジュースなの、とたずねると、夜のばけものは、 「ジュースではありません。 アルコールの類いではありますが、なにかは秘密です。 おとなになりつつあるとはいえ、あなたはまだ、こどもですから」 と微笑んだ。 クソ紳士やろう、と、わたしはこころのなかで言った。 おとなになりたくないくせに、こども扱いされることを腹立たしく思う、わたしだ。 その頃にはすでに、夜のばけものの姿は、ぼやけてみえていた。 夜のばけものの、にんげんよりも太く、ゾウより細い脚は、はんぶん、わたしの視界からきえていた。 それから、きみ。 きみは、きれいなひとだった。 肌はつやつや、玉のようだったし、髪はすとん、とストレート、ほっぺたはほのかに色づき、ぷくんとふくらむ胸の感触は、平凡な例えだけれど、おかしのマシュマロを想わせた。 団地の五階に住んでいたきみは、団地の屋上にある、丸い貯水タンクが好きだった。 気づけばいつも、そこにいた。 貯水タンクの陰で、きみは、マンガを読んでいた。 音楽を、きいていた。 ぼーっとしていた。 マンガは、ちょっとエッチな少女マンガで、音楽は、がちゃがちゃうるさいやつで、わたしはどちらにも、興味がなかった。 北欧神話と、静かで冷たい音楽が好きだったわたしを、きみは、つまらないやつ、と言った。 きみは、思ったことを言葉にしないと気がすまないひとだったので、わたしが趣味で書いたポエムを、ありきたりだ、と指摘した。 わたしも、おなじことを思っていたので、怒りも、かなしみも、なかった。 丸い貯水タンクを撫でながら、きみは、 「ひんやりしているの、しんだひとのからだみたい」 と言った。 お姉さんが、みずうみに浮かんでいたことは、この町では有名な話だった。 赤い花にかこまれて、お姉さんは浮いていた。 「わたしきのう、セックスしたよ」 となりのクラスの、すごい好きなわけじゃないけれど、嫌いでもない男の子と、したよ。 そう言ったら、きみは、怒ったね。 きみは、わたしのことを、裏切り者だと、不潔だと、すごい好きでもないひととそういうことするなんて最低だと罵って、団地の屋上から、わたしを追い出した。 ちょっとエッチな少女マンガしか、読まないからだ。 きみは。 わたしは思った。 思いながら、朝のばけものの家に行ったけれど、朝のばけものは、いくら呼んでも、出てこなかった。 夜のばけもののお屋敷も、たずねてみたけれど、夜のばけものも、いくら呼び鈴を鳴らしても、あらわれなかった。 どちらも、玄関のかぎは開いていたので、おかしいな、と思っていたのだけれど、つまり、このときわたしにはもう、ふたりの姿がみえていなかった、ということで、声もきこえなくなっていた、ということで、気配も感じ取れなくなってしまった、ということだった。 そして、きみも、次の日にはいなくなっていて、きみがいなくなってから三週間後に、きみのご両親が遠くの街に引っ越したと、きいた。 それからさらに二週間経った頃に、山奥にある無人の大きなお屋敷で、きみがみつかったと、きいた。 三年のかっこいい先輩と、これからデートに行くという放課後のこと、だった。 きみはきれいだから、きえて.

次の

ときみのリフレッシュコーナー 富士ゼロックス新潟

きみ は きれい だ

ブログを書いたのですが、なぜかtwitterからスパム認定されてつぶやけないので、一旦noteに移すことにしました。 一応ブログも貼っておきます。 お好きな方でどうぞ。 アイドルマスターシャイニーカラーズに先日された【チエルアルコは流星の】八宮めぐるがやばいのでちょっと話をさせてください。 ネタバレだらけなので注意です。 めぐるは明るくてクラスの人気者でいろんな部活の助っ人をしていて、といういかにも元気っ子なキャラクターです。 そのめぐるが、決まっていた役を失うところからコミュは始まります。 アイマスって割とマイナスなことが起きてもなんとか元通りやれました、やったね!が多い中で、ただ役を失うだけのコミュが出てきたことにまず驚きました。 選択肢によっては普通に落ち込んだまま終わります。 トゥルーのコミュではプロデューサーのかけあいにより、別の役をやることになるのですが、その2つの間に挟まれた、一見すると関連性のないアクアリウムショップでのやりとりと相まって、全体がとても情緒あふれるものになっています。 暗喩、でもそれだけじゃない コミュでは「青い目の女の子」と「一匹だけ色の違う魚」が登場します。 これらがめぐるの暗喩であり、彼女も過去にこうした周囲から浮く経験を経ていまがあるのだと読むことは間違いではないでしょう。 実際、ハーフという属性を持っためぐるが、小学校や中学校での同調圧力の強い中で周囲から浮く経験をしなかったとは言い切れないですし、その中でいまの友達との付き合い方を獲得していったのだと考えることも不自然でないと思います。 ただ私は、暗喩だったね、で終わらせると「この魚の気持ちはこの魚にしかわからない」と言っためぐるの優しさを見落とすように思います。 めぐるは青い目の女の子になる機会を永遠に失いますし、魚とは水槽で隔てられています。 同じような立場にいる人を、私達はそれだけですべて理解できるような気がしてしまいます。 けれど、どんなに境遇が似ていても他人は他人で、自分は自分。 他者を本当に理解することは誰にもできません。 めぐると重ね合わせられるような女の子や魚だって、他者であるとめぐるは自覚しています。 私は「分かりあえないけどそばにいられる」という関係性や思想が好きなのですが、めぐるはそれに近い思想の持ち主なのだと思います。 (めぐるは、と書きましたがこれはシャニマス全体の意識のような気もします。 とても呼吸がしやすい。 すきです。 ) 自分を重ねているからではなく、過去の自分を救うためではなく、ただ魚のことを思って「きみの色はとってもきれいだよ」と声をかけていることが大事だと思うんですよね。 それはめぐるの優しさと賢さと真摯さであり、真乃や灯織への態度に繋がっていくものでもあります。 めぐるはイルミネーションスターズのコミュでたびたびふたりを救う言葉や事態が好転するきっかけになる言葉を発します。 それらが快活なキャラによくある「馬鹿だけど核心をつく」ものではなく、めぐるの思案や優しさから生まれているのだと確信を持てるようになりました。 それがとても嬉しいです。 ただ隣にいる優しさ、力ずくで救う優しさ シャニマスにはめぐるのほかにもう一人、明るく他者を照らすようなキャラクターがいます。 月岡恋鐘です。 (果穂ちゃんもその系譜なのですが、彼女の無邪気さには子供であることが大きな要因としてあるのでいったんは除外させてください) めぐると恋鐘は多数のヒロインがいるコンテンツにに1人2人いる太陽のように明るいキャラだと思っていて、ただシャニマスは「太陽キャラ」という記号として象徴や宗教的な解釈することを良しとしません。 象徴や宗教的な解釈というのは、キャラクターの人間としての弱さなどの側面を無視して「神様」として扱うことを指します。 めぐるも恋鐘も、宗教視されるだけの強度はなく、そこにいるのは普通の優しくて賢くて弱いところもある、どこまでも生身の女の子です。 めぐると恋鐘はどちらもユニットの中でほかのメンバーの救いになるような動きをしますが、描かれ方は大きく異なっています。 例えば、めぐるは「この魚の気持ちはこの魚にしかわからない」「真乃の気持ちはわからない」といいますが、恋鐘は「泥んこで大丈夫って言っても駄目、絶対大丈夫じゃない」というんですよね。 これがイルミネーションスターズとアンティーカの大きな違いで、イルミネにはめぐるが必要だし、アンティーカには恋鐘が必要な答えなのだと思います。 イルミネに恋鐘がいたら、踏み込む際に真乃や灯織を傷つけてしまうこともあるかもしれないですし、アンティーカにめぐるがいたら、ほかのみんなと同じように優しく距離をとってしまうでしょう。 (といいつつも、シャニマスの書き方とやさしさなら全然平気な気もしますが、今とバランスは異なっているだろうなと思います) 浮遊と無重力、見える世界が違っても コミュのタイトルで使われる「浮遊」と「無重力」。 「浮遊」という言葉には一般的な「うかびただようこと」のほかに「居所が定まらないこと」のような意味合いがあります。 今回のコミュでは、青い目(異邦人)の内気な女の子が役として描かれますが、おそらくこの浮遊は、周囲から浮いている、などのマイナスなイメージとして使われた言葉でしょう。 trueでは同じ「浮いていること」が「無重力」という「重力から開放された状態」として表現されます。 女の子にかける言葉が見つかった、新しい役を手に入れた、というコミュの内容からしても、「無重力」はプラスの印象で使われていると思います。 浮遊も無重力も宙に浮いた状態であることにはかわらないのですが、イメージが反転しています。 それは無重力のウテナでめぐるの語った「色って、心で見てるんだねー」という言葉そのままです。 2つ目のコミュで気にしていた寝癖を、トゥルーのめぐるは気にしません。 気になっていたことだって、ほんの少し気持ちが変わるだけで全然気にならなくなります。 そしてめぐるは、気持ちの変化で感じた鮮やかな空を、ほかの人にも見せたいと願います。 同じ空を見ていても、それを美しいと思うか恨めしく思うかは人それぞれです。 分かり合えない他者ではあるけれど、それでも誰かとかかわることで見方を変えることはあるかもしれない。 プロデューサーとかかわって変わっためぐるのように。 それが、めぐるの望むアイドル像なのでしょう。 チエルアルコは流星の 1つめのコミュでめぐるは「青い目の女の子」にかける言葉が見つからないと言いました。 2つ目のコミュでは魚に「きみの色はとってもきれいだよ」と語りかけ、色の見え方は心次第だと気付いたトゥルーでは「かけてあげる言葉が見つかった」といいます。 ただ、異邦人には異邦人の言葉があり、魚には魚の言葉があります。 彼らはめぐるではなく、めぐるは彼らではありません。 「かけてあげたい言葉」が見つかったところで、きちんと伝わるのかわかりません。 ところで、世界には「共通の母語を持たないさまざまな国の人達の意思疎通」を夢見て作られた言語があります。 エスペラント語と呼ばれているその言語で、チエルアルコは「虹」を意味します。 色とその感じ方や見え方を主題に置いたこのコミュにおいて、さまざまな色を持つ存在である「虹」は、それらの色をつなぐものであり、架け橋であり、それがさらに世界共通語を夢見たエスペラント語で表されます。 だから、きっと、めぐるの思いは伝わるんでしょう。 私はそう願ってやみません。

次の