いきおいらんきんぐ。 【日米野球】ノーノー米国人が大激怒「日本ふざけんな!」「メジャーリーグの言い訳は聞きたくない」 : ジャックログ 2chJacklog

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はじめに~タイトルに「 仮 」をつけている理由 ええと、うん。 まずね。 記事タイトルに 「カッコカリ」を付けたことには理由があるんだ。 というのも、この記事の内容は筆者がずっと書きたかった内容で……。 何しろって、実は 日本音楽界においてすっごい影響力と立ち位置にいるミュージシャンのはずなのに、 私たちはどこかまだ彼らを「総括」できていない。 音楽ライターがその都度だらだらインタビューを書き流しているだけで、 「が現れたことで、この日本に起きた影響って何なんだろうか」「が未だに特別扱いされる理由は何だろうか」ということをしっかり考察している記事が、まだないような気がしていたのだ。 けれど私はいわゆる 「信者」なのだ。 さらに言うと、中の人はアラサーではあるけど 初期のにリアルタイムで触れてはいない人で、その頃の時代の空気については、後から調べたり、読んだり、辿ったりでしか見聞きしていない。 なので、 これから書いてある記事に誤解があったり、思い込みがあったり、見落としがあったり、間違いがあったりするのでは……と思っているのです。 自信満々でこの記事を発表出来ない理由はそこにあるんだ。 なので、特に 10代・20代前半ファンの方は、この記事については楽しんでほしいと思いつつも、 すぐ鵜呑みにはして欲しくない気持ちも、ちょっとあるんだ。 でも、誤りばかり恐れていては、いつまでも何も発表ができない。 そこで長らく書きためていたこの記事を、 「(仮)」をつけた暫定稿として発表して、皆さんからのツッコミを待とうと思ったのです。 なので今回の記事については、 特にコメント欄からのツッコミや、賛同や、証言をお待ちしています。 もちろん全部読んで反映させようとしたら気が狂ってしまうので、そこは恣意的に切り落とすことはあるかもしれないけれど、是非ご協力願いたいのでございます。 では、お届けします。 今年2月11日で「20周年イヤー」が終わる、デビュー以来ほぼノンストップで走り続けてきたバンド、・オブ・チキン。 彼らが本当にすごいと言われる理由。 その中でも、特に 「斬新だった」「革新的だった」3つのポイントについて。 そして、その背景について。 【要約】のどこが「伝説」なのか?• 「」をヒットさせ、日本に「歌」主体のギターロックを取り戻した• ロック音楽の歌詞に「物語」を取り入れ、現在のボカロカルチャーの基礎を作った• プロモーションにインターネットを活用し、その最初の成功例となった BUMPは、日本に「歌」主体のギターロックを取り戻した! 2001年3月14日、はセカンドシングル 「」をリリース。 大阪のラジオ局の猛プッシュなどもあり、徐々に口コミで火が点き、最終的には 50万枚超の大ヒット。 バンドは社会現象を巻き起こしました。 はなぜ「本当に凄い」のか?なぜは「特別」な扱いをされるのか? がいなければ起きてない未来は、実はたくさんあります。 その中でも世間に与えた一番のトは、これだと断言できます。 は「」のヒットによって、日本に「歌を聴かせる」ロックミュージックを復活させたのです。 ……そもそも「」がヒットしたのは、一体どのような時代だったのでしょうか? 90年代中盤、ロックミュージックの中心は、、などのロックバンドでした。 そして彼らの勢いがやや陰りをみせた97年から、日本のCD売上はピークを迎えます。 、といった、いわゆる のロックバンドが大ブームとなり、爆発的なセールスを記録したのです。 一方で同時代、インディーズではなどの 、のような ガレージロックが流行していました。 これら90年代末期に活躍したロックバンドには、実は大きな共通点があります。 これらはいずれも 「歌よりはリズム」重視で、 歌詞をしっかり聴かせるタイプの音楽ではなかったのです。 ひとつ付け加えれば、 どのバンドも「歌詞がつまらなかった」わけでは決してありません。 けれどどちらかといえば、歌詞の世界をしっかり届けるというよりも、音楽のグルーヴやリズム、肉体的なバンドサウンド……つまり演奏やパフォーマンスそのものを、より重要視していました。 かつてやが歌っていたような、 日常から生まれる平易な言葉とセンスは、インディーズからも、ヒット・チャートからも失われていたのです。 そんな中、ほうき星のように現れた「」はーー歌詞がよく聴こえる、そして商業的な匂いからも縁遠い、 「普段着」の若者が歌い上げた久々の「叙情的」な楽曲でした。 気づけばヒット・チャートから長年消えていたーーやに連なるような、そして紛れもなく 新時代を感じさせる「歌を聴かせる」ロック・ミュージックが、「」によってこの国に戻って来たのです。 タイアップもない、無名の22歳の若者たちのよるささやかなロックバンドの会心のヒットは、世間に 世代交代を強く印象付けました。 ですから当時のメディアは「」のヒットを、 「王道ギターロックの復活」と表現して報じていたのです。 「」のヒットから2年後、の流れを組みながらも「歌」と「歌詞」、そして「インディーズ性」の流れを見事に汲んだ が記録的ヒットを飛ばしたことで、この新しいジャパン・ロックの流れは確立します。 その後の、、、そして……の活躍は、 すべてBUMPのヒットがその先陣となったのです。 BUMPがいなければ、も、も、そもそも現在のロックカルチャーすらも…… この国にはなかった「かも」しれないのです。 は、ロック音楽の歌詞に「物語」を取り入れ、現在のボカロカルチャーの基礎を作った! のメンバーが多感な時期を過ごした90年代中盤は、若者のカルチャー ()に大きな変化があった時代でもありました。 下北沢時代、そして「」を生んだ 『』は素晴らしいアルバムですが、 が現在のになったのは、ある意味、その次の(2枚目の)アルバム『』からです。 このアルバムはすごく特異な作品です。 収録されている全10曲が、まるで短編小説のような物語になっていたのです。 1曲目「Opening」の歌詞は、さながら登場人物のセリフのように書かれており、 彼から「いくつかの物語」をプレゼントしてもらった、というテイでそれぞれのアルバム曲が展開します。 ある収録曲の登場人物が、別の曲にも登場します。 ふたりの男女のやりとりが、まるでセリフのように交互に歌われます。 黒い猫が主人公——という絵本のような世界観で、とても残酷な物語が展開します。 この斬新な構成、そして描かれていた情熱的な物語が、あの当時の思春期の若者たちを魅了していったのです。 藤原は、 なぜこのような曲が書けたのでしょうか? 藤原は当時のインタビューで、 影響を受けた音楽は何だ、という質問に 「(『』)のサントラ」と答えています。 アルバム2曲目の由来となった「」は、 『』に登場するの武器から着想を得たそうです。 ちょうどメンバーは小学生の頃に、高校生の頃にの発売を迎えています。 メンバーが10代を過ごしたのは、正にテレビゲームの黄金時代……特に『』のような、ドラマ性の色濃いが大ヒットしていた頃でした。 もちろん藤原たちも、大いにこれで遊んでいたといいます。 また1994年〜95年ごろは 『』の全盛期。 雑誌発行部数の世界記録である653万部は、実はこの頃に記録しています。 メンバーはデビュー後も毎週購読を欠かさなかったというほどの『ジャンプ』ファンで、2003年にバンドの成功を決定づけた『』劇場版の主題歌(「」という曲です)オファーも受諾しています。 また96年には、その後の日本のを塗り替えることになるテレビアニメ 『』が放送開始。 特に藤原がこれに強く影響を受けたようで、 ヒロインのと結婚したいあまりに(笑)「アルエ」という名曲を執筆(ベスト盤でも聴けるよ!)、そして10年後には『』のリバルにインスパイアされ、幼い日を回想するような 「」というシングル曲も書いているほどです。 つまり 藤原が一番多感だった頃、周りには、こういった「若者」が熱狂する「物語」のようなものがゴロゴロしていたのです。 サブカルを音楽性に取り入れたバンドは数あれど、それを完全に自分のものにした上で特有の「匂い」を引き剥がし、そして21世紀の若者の音楽としてそれを昇華させたのは、 間違いなくが先駆者でしょう。 これは、 現在の・的カルチャーの基礎中の基礎にあたります。 音楽ライターのはある雑誌の中で、 「が居なければ今のカルチャーはここまで成長しなかった」と断言していますが、これは私も同意します。 ボカロP出身である 米津玄師については語るまでもなく、の 「」が「」の直接的影響を感じさせるように、が 「ロクベル」で「K」を翻案し、そして 「フラッグ」という大名曲で直接的かつ感動的にリスペクトを捧げているように……様々なボカロ楽曲から、その影響がそこかしこに見られます(もちろん、全部ではないですよ!)。 ですから、 がクリプトン社史上初となる公式コラボレーションの相手としてを選んだのは、正に必然だったと言えるのです。 『』は、90年代カルチャーを飲み込みながらも現在に連なる「物語音楽」の礎となった名盤であり、その最初の成功例でもあり、また「」カルチャーの産みの親といえる、正に 「歴史の証人」と呼べる存在なのです。 BUMPは、プロモーションにインターネットを活用し、その最初の成功例となった! は、最初のブレイク時、 地上波テレビにはまったく出演しませんでした。 特に、 音楽番組で演奏する、ということはまったく行いませんでした。 の初出演がブレイクから15年経過した2014年、出場が2015年だったことを考えれば、非常に長い間、彼らは地上波テレビから背を向けていたことになります。 これは、いわゆる「的」ロックバンドに共通する(共通していた)、非常に大きな特徴でもあります。 とはいえ、テレビ番組に出ないのも、雑誌中心に露出するやり方も、特にが初めてというわけではありません。 しかし、 そこに「インターネット」を取り入れ、それを積極的に活用したのは、間違いなくがその最初の成功例なのです。 日本の一般家庭に「インターネット」が登場したのは1998年ごろ。 1999年には人口普及率21. 、、が登場し、、が日本でサービスを開始させたのも、この頃です。 がCDデビューした時代、インターネットは日本の家庭に急速に普及してゆく、正に過渡期だったのです(そうそう、前述の「」というタイトルを曲名につけたとき、藤原は実母にお願いして、当時まだ普及し始めたばかりだったインターネットを使い「」の意味を調べてもらったとか)。 クリックすると引用元にジャンプします。 2000年ごろののオフィシャル・ウェブサイト。 そんな時代、黎明期から作られていたの公式サイトは「手作り感」に溢れていました。 メンバーの絵や文字がふんだんに使われたデザイン、クな言葉でも交えながら綴られていた年表欄、メンバー同士でやり取りされた交換日記のコーナー(イラストもそのまま掲載されていました)、そしてファンが自由に書き込める掲示板(あったんだよ!)。 リニューアル後にはマネージャーのあきさんが記す「TAKAHASHI DIARY」が連載され、 メンバーの素の姿をここでも楽しむことができました。 また インターネット上の露出にも非常に積極的でした。 初期のライブは、当時としては珍しくネット生中継が試みられていたことを皮切りに、まだ新しいメディアだった 「音楽情報サイト」でのインタビュー掲載(エキサイトミュージック、バークス等)、そして当時のエキサイトミュージックが連載を代行した 全国ツアーブログ、そして のネット配信……などなど、インターネットを使ったプロモーションを積極的に展開しました。 かつて雑誌を購入しなければ手に入らなかったインタビューや、(もないので)千葉まで行かないと聴けなかったレギュラーラジオ番組などが、インターネットから全て無料で楽しむことが出来たのです。 お金のない10代・20代が、こうして浴びるように「の情報」を手に入れることが出来たことは、どれだけ大きかったことでしょうか。 クリックすると引用元にジャンプします。 のファンサイトでは当時最大規模を誇った「vivid sky」(現在は閉鎖)。 そしてファンもまた、 触発されたようにのファンサイトを林立させていました。 携帯電話からも簡単なウェブサイトが作れるようになっていた当時、様々な年齢層・立場のファンたちがのサイトを競うように作っていたのです。 当時のには、「情報交換」するにはもってこいの要素で溢れていました。 まずは何と言っても 「隠しトラック」——ほぼ全てのCDに隠しトラックを入れるバンドは、後にも先にも間違いなく彼らだけーー情報。 このシングルではこの曲が聞ける、プリギャップ(今は滅びてしまった、CDを巻き戻すと現れる特殊な隠しトラック)はこうして聞く……といった情報は、特にファンになりたての人々にとっては嬉しくて仕方がない情報でした。 そして 「ニケ」「ホッセ」「ポ」などといった、あまりにも特殊なバンドの 「用語解説」! メンバー4人の中だけで広がっていた「マイブーム」な言葉たちが、一方でバンドのパブリックな活動においても露出していた時代でした。 よくわからない言葉は、「さらに詳しいファンに聞」けばいい。 そういうとき、ファンサイトによく存在していた「用語解説」は、本当に楽しい読み物コンテンツのひとつとして機能していたのです。 そして、 何よりも「掲示板」カルチャーです。 露出が少ない彼らの情報を共有し、ライブレポをやり取りし、(ファンクラブが無いこのバンドにおいては死活問題である)チケット先行情報を手に入れ、さらにに「よく似た」バンドも調べ尽くす……。 あげくには 歌詞を読み解く掲示板、果ては 自作の詩を投稿する掲示板までもが(ギャー!)そこかしこに建てられていました。 ファンサイトにあった掲示板は、の、そして当時のロックバンド情報を、そして思春期の創造をもやり取りする、最もホットな場所だったのです。 これは記録が残っていない筆者の「実感」なのですが、2003年当時、 インターネットで隆盛を極めていたファンサイトって、だいたいか、か、だったように思います。 その中で言えば、 は圧倒的に若い存在でした。 これは非常に際立っていたと思います。 もうひとつあります。 2002年から2004年ごろにかけて、 インターネットでは「」アニメーションが大流行していました。 アニメーションは、まだ回線が脆弱な当時のインターネットにおいて、軽量なサイズで(当時としては)高音質なmp3音源とアニメーションを同時に再生することができる、マルチメディアに特化した最先端の技術でした。 まだ文字や、画像すらも少々ロードに手間取っていた時代に、動きがあるアニメーションを……しかも音付きで楽しめたことは、正に 衝撃といってよいほどの革命だったのです。 これを 作ることもまた簡単だったことから、 様々なアマチュア・アーティストが、の音楽を使って自分の「アニメーション」を発表しました。 物語カラーが強く、誰もが映像を思い浮かべることができる音楽……彼らの当時としては「特殊な」楽曲性が、ここでも強みを発揮したのです。 一度インターネットにアップしてしまえば、誰でも簡単にダウンロードしたり、転載して自分の「倉庫」に再アップすることも出来ました。 そうしてまた無限に広がり、「私もこの音楽にアニメをつけてみたい」と思わせる……誰もが絵をつけたくなる、アニメーションをつけたくなる音楽、それがだったのです。 このことは、少々「正の歴史」として取り上げるには躊躇してしまう部分があります。 いうまでもなく、CD音源のやり取りは当時でも違法なことでした。 けれどこのルートでもまた、 ましてやロックファンではない(重要!)、出てきたばかりのインターネットを凄まじい好奇心で泳いでいた少年・少女たちに、の音楽へ触れる機会を与えたのです。 彼らはやがてファンに成長し、テレビにも出ないのに20代以上へ圧倒的な知名度を(未だに)広げ、そしてちょっとファンを卒業した今でも、どこか不思議な親近感を感じさせるのは、このころののイメージがあることは紛れも無い事実でしょう。 インタビューなどのコンテンツだけでなく、 彼らの音楽そのものすらも、インターネットでは「無料で」聴くことができた……シングル曲はに丸々無料でアップする、今の音楽業界のプロモーションを、 は(皮肉にも)10年以上先取りしていたわけです。 単に「テレビに出ない」だけでなく、新しいメディアだったインターネットを遊び心と共に有効活用した。 そして彼らが想像もしなかった展開すら楽しみ、時代も味方していった……。 ・オブ・チキンは、まさに初期インターネット時代が生んだ、その申し子と言える存在なのです。 ……ツッコミ、賛同、証言、お待ちしています!(20周年ライブのブルーレイ、おすすめ!).

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試合中からファンが怒りと嘆息。 試合後は「世界中から良い選手を集めてこれかよ」「言い訳は聞きたくない」などの辛辣な声も。 熱かったのはなんといってもメジャーリーグ情報の総本山「MLB. com」だ。 MLB. comには試合中から「もう七回だよ」「日本のテレビは『これは大変なことだ』とか言い出したよ」などリアルタイムで野球ファンから嘆きの声が上がり、試合後には嘆息と怒りの声が書き込まれている。 MLB. comに寄せられたアメリカの野球ファンの声(抜粋): 「おいおい、冗談だろ?!」 「日本ふざけんじゃねえよ!」 「メジャーリーグは全世界から優秀な選手を集めているのに、日本人だけのサムライに負けるなんてバツが悪いな…」 「私は大リーグの方が日本プロ野球より強いと思っていたんですが…でも、現実はこうなんですね。 大リーガーの言い訳は聞きたくないですね」 サイトには菊池涼介二塁手の守備でのファインプレイを賞賛する記事も掲載されている。 コメント一覧 5• 名無しのジャック• 2014年11月16日 10:45• これが孫六ボールじゃ• 名無しのジャック• 2014年11月16日 11:24• カノの骨折はマジ申し訳ない• 名無しのジャック• 2014年11月16日 13:46• 名無しのジャック• 2014年11月16日 16:02• 試合見れんかったんやけど、カノ骨折したんか…• 名無しのジャック• 2014年11月19日 17:41• そりゃ死ぬ気でってほどじゃないだろうけどさ プロスポーツ選手が負けてもいいやなんてメンタルで試合やるわけないじゃん コメントする.

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はじめに~タイトルに「 仮 」をつけている理由 ええと、うん。 まずね。 記事タイトルに 「カッコカリ」を付けたことには理由があるんだ。 というのも、この記事の内容は筆者がずっと書きたかった内容で……。 何しろって、実は 日本音楽界においてすっごい影響力と立ち位置にいるミュージシャンのはずなのに、 私たちはどこかまだ彼らを「総括」できていない。 音楽ライターがその都度だらだらインタビューを書き流しているだけで、 「が現れたことで、この日本に起きた影響って何なんだろうか」「が未だに特別扱いされる理由は何だろうか」ということをしっかり考察している記事が、まだないような気がしていたのだ。 けれど私はいわゆる 「信者」なのだ。 さらに言うと、中の人はアラサーではあるけど 初期のにリアルタイムで触れてはいない人で、その頃の時代の空気については、後から調べたり、読んだり、辿ったりでしか見聞きしていない。 なので、 これから書いてある記事に誤解があったり、思い込みがあったり、見落としがあったり、間違いがあったりするのでは……と思っているのです。 自信満々でこの記事を発表出来ない理由はそこにあるんだ。 なので、特に 10代・20代前半ファンの方は、この記事については楽しんでほしいと思いつつも、 すぐ鵜呑みにはして欲しくない気持ちも、ちょっとあるんだ。 でも、誤りばかり恐れていては、いつまでも何も発表ができない。 そこで長らく書きためていたこの記事を、 「(仮)」をつけた暫定稿として発表して、皆さんからのツッコミを待とうと思ったのです。 なので今回の記事については、 特にコメント欄からのツッコミや、賛同や、証言をお待ちしています。 もちろん全部読んで反映させようとしたら気が狂ってしまうので、そこは恣意的に切り落とすことはあるかもしれないけれど、是非ご協力願いたいのでございます。 では、お届けします。 今年2月11日で「20周年イヤー」が終わる、デビュー以来ほぼノンストップで走り続けてきたバンド、・オブ・チキン。 彼らが本当にすごいと言われる理由。 その中でも、特に 「斬新だった」「革新的だった」3つのポイントについて。 そして、その背景について。 【要約】のどこが「伝説」なのか?• 「」をヒットさせ、日本に「歌」主体のギターロックを取り戻した• ロック音楽の歌詞に「物語」を取り入れ、現在のボカロカルチャーの基礎を作った• プロモーションにインターネットを活用し、その最初の成功例となった BUMPは、日本に「歌」主体のギターロックを取り戻した! 2001年3月14日、はセカンドシングル 「」をリリース。 大阪のラジオ局の猛プッシュなどもあり、徐々に口コミで火が点き、最終的には 50万枚超の大ヒット。 バンドは社会現象を巻き起こしました。 はなぜ「本当に凄い」のか?なぜは「特別」な扱いをされるのか? がいなければ起きてない未来は、実はたくさんあります。 その中でも世間に与えた一番のトは、これだと断言できます。 は「」のヒットによって、日本に「歌を聴かせる」ロックミュージックを復活させたのです。 ……そもそも「」がヒットしたのは、一体どのような時代だったのでしょうか? 90年代中盤、ロックミュージックの中心は、、などのロックバンドでした。 そして彼らの勢いがやや陰りをみせた97年から、日本のCD売上はピークを迎えます。 、といった、いわゆる のロックバンドが大ブームとなり、爆発的なセールスを記録したのです。 一方で同時代、インディーズではなどの 、のような ガレージロックが流行していました。 これら90年代末期に活躍したロックバンドには、実は大きな共通点があります。 これらはいずれも 「歌よりはリズム」重視で、 歌詞をしっかり聴かせるタイプの音楽ではなかったのです。 ひとつ付け加えれば、 どのバンドも「歌詞がつまらなかった」わけでは決してありません。 けれどどちらかといえば、歌詞の世界をしっかり届けるというよりも、音楽のグルーヴやリズム、肉体的なバンドサウンド……つまり演奏やパフォーマンスそのものを、より重要視していました。 かつてやが歌っていたような、 日常から生まれる平易な言葉とセンスは、インディーズからも、ヒット・チャートからも失われていたのです。 そんな中、ほうき星のように現れた「」はーー歌詞がよく聴こえる、そして商業的な匂いからも縁遠い、 「普段着」の若者が歌い上げた久々の「叙情的」な楽曲でした。 気づけばヒット・チャートから長年消えていたーーやに連なるような、そして紛れもなく 新時代を感じさせる「歌を聴かせる」ロック・ミュージックが、「」によってこの国に戻って来たのです。 タイアップもない、無名の22歳の若者たちのよるささやかなロックバンドの会心のヒットは、世間に 世代交代を強く印象付けました。 ですから当時のメディアは「」のヒットを、 「王道ギターロックの復活」と表現して報じていたのです。 「」のヒットから2年後、の流れを組みながらも「歌」と「歌詞」、そして「インディーズ性」の流れを見事に汲んだ が記録的ヒットを飛ばしたことで、この新しいジャパン・ロックの流れは確立します。 その後の、、、そして……の活躍は、 すべてBUMPのヒットがその先陣となったのです。 BUMPがいなければ、も、も、そもそも現在のロックカルチャーすらも…… この国にはなかった「かも」しれないのです。 は、ロック音楽の歌詞に「物語」を取り入れ、現在のボカロカルチャーの基礎を作った! のメンバーが多感な時期を過ごした90年代中盤は、若者のカルチャー ()に大きな変化があった時代でもありました。 下北沢時代、そして「」を生んだ 『』は素晴らしいアルバムですが、 が現在のになったのは、ある意味、その次の(2枚目の)アルバム『』からです。 このアルバムはすごく特異な作品です。 収録されている全10曲が、まるで短編小説のような物語になっていたのです。 1曲目「Opening」の歌詞は、さながら登場人物のセリフのように書かれており、 彼から「いくつかの物語」をプレゼントしてもらった、というテイでそれぞれのアルバム曲が展開します。 ある収録曲の登場人物が、別の曲にも登場します。 ふたりの男女のやりとりが、まるでセリフのように交互に歌われます。 黒い猫が主人公——という絵本のような世界観で、とても残酷な物語が展開します。 この斬新な構成、そして描かれていた情熱的な物語が、あの当時の思春期の若者たちを魅了していったのです。 藤原は、 なぜこのような曲が書けたのでしょうか? 藤原は当時のインタビューで、 影響を受けた音楽は何だ、という質問に 「(『』)のサントラ」と答えています。 アルバム2曲目の由来となった「」は、 『』に登場するの武器から着想を得たそうです。 ちょうどメンバーは小学生の頃に、高校生の頃にの発売を迎えています。 メンバーが10代を過ごしたのは、正にテレビゲームの黄金時代……特に『』のような、ドラマ性の色濃いが大ヒットしていた頃でした。 もちろん藤原たちも、大いにこれで遊んでいたといいます。 また1994年〜95年ごろは 『』の全盛期。 雑誌発行部数の世界記録である653万部は、実はこの頃に記録しています。 メンバーはデビュー後も毎週購読を欠かさなかったというほどの『ジャンプ』ファンで、2003年にバンドの成功を決定づけた『』劇場版の主題歌(「」という曲です)オファーも受諾しています。 また96年には、その後の日本のを塗り替えることになるテレビアニメ 『』が放送開始。 特に藤原がこれに強く影響を受けたようで、 ヒロインのと結婚したいあまりに(笑)「アルエ」という名曲を執筆(ベスト盤でも聴けるよ!)、そして10年後には『』のリバルにインスパイアされ、幼い日を回想するような 「」というシングル曲も書いているほどです。 つまり 藤原が一番多感だった頃、周りには、こういった「若者」が熱狂する「物語」のようなものがゴロゴロしていたのです。 サブカルを音楽性に取り入れたバンドは数あれど、それを完全に自分のものにした上で特有の「匂い」を引き剥がし、そして21世紀の若者の音楽としてそれを昇華させたのは、 間違いなくが先駆者でしょう。 これは、 現在の・的カルチャーの基礎中の基礎にあたります。 音楽ライターのはある雑誌の中で、 「が居なければ今のカルチャーはここまで成長しなかった」と断言していますが、これは私も同意します。 ボカロP出身である 米津玄師については語るまでもなく、の 「」が「」の直接的影響を感じさせるように、が 「ロクベル」で「K」を翻案し、そして 「フラッグ」という大名曲で直接的かつ感動的にリスペクトを捧げているように……様々なボカロ楽曲から、その影響がそこかしこに見られます(もちろん、全部ではないですよ!)。 ですから、 がクリプトン社史上初となる公式コラボレーションの相手としてを選んだのは、正に必然だったと言えるのです。 『』は、90年代カルチャーを飲み込みながらも現在に連なる「物語音楽」の礎となった名盤であり、その最初の成功例でもあり、また「」カルチャーの産みの親といえる、正に 「歴史の証人」と呼べる存在なのです。 BUMPは、プロモーションにインターネットを活用し、その最初の成功例となった! は、最初のブレイク時、 地上波テレビにはまったく出演しませんでした。 特に、 音楽番組で演奏する、ということはまったく行いませんでした。 の初出演がブレイクから15年経過した2014年、出場が2015年だったことを考えれば、非常に長い間、彼らは地上波テレビから背を向けていたことになります。 これは、いわゆる「的」ロックバンドに共通する(共通していた)、非常に大きな特徴でもあります。 とはいえ、テレビ番組に出ないのも、雑誌中心に露出するやり方も、特にが初めてというわけではありません。 しかし、 そこに「インターネット」を取り入れ、それを積極的に活用したのは、間違いなくがその最初の成功例なのです。 日本の一般家庭に「インターネット」が登場したのは1998年ごろ。 1999年には人口普及率21. 、、が登場し、、が日本でサービスを開始させたのも、この頃です。 がCDデビューした時代、インターネットは日本の家庭に急速に普及してゆく、正に過渡期だったのです(そうそう、前述の「」というタイトルを曲名につけたとき、藤原は実母にお願いして、当時まだ普及し始めたばかりだったインターネットを使い「」の意味を調べてもらったとか)。 クリックすると引用元にジャンプします。 2000年ごろののオフィシャル・ウェブサイト。 そんな時代、黎明期から作られていたの公式サイトは「手作り感」に溢れていました。 メンバーの絵や文字がふんだんに使われたデザイン、クな言葉でも交えながら綴られていた年表欄、メンバー同士でやり取りされた交換日記のコーナー(イラストもそのまま掲載されていました)、そしてファンが自由に書き込める掲示板(あったんだよ!)。 リニューアル後にはマネージャーのあきさんが記す「TAKAHASHI DIARY」が連載され、 メンバーの素の姿をここでも楽しむことができました。 また インターネット上の露出にも非常に積極的でした。 初期のライブは、当時としては珍しくネット生中継が試みられていたことを皮切りに、まだ新しいメディアだった 「音楽情報サイト」でのインタビュー掲載(エキサイトミュージック、バークス等)、そして当時のエキサイトミュージックが連載を代行した 全国ツアーブログ、そして のネット配信……などなど、インターネットを使ったプロモーションを積極的に展開しました。 かつて雑誌を購入しなければ手に入らなかったインタビューや、(もないので)千葉まで行かないと聴けなかったレギュラーラジオ番組などが、インターネットから全て無料で楽しむことが出来たのです。 お金のない10代・20代が、こうして浴びるように「の情報」を手に入れることが出来たことは、どれだけ大きかったことでしょうか。 クリックすると引用元にジャンプします。 のファンサイトでは当時最大規模を誇った「vivid sky」(現在は閉鎖)。 そしてファンもまた、 触発されたようにのファンサイトを林立させていました。 携帯電話からも簡単なウェブサイトが作れるようになっていた当時、様々な年齢層・立場のファンたちがのサイトを競うように作っていたのです。 当時のには、「情報交換」するにはもってこいの要素で溢れていました。 まずは何と言っても 「隠しトラック」——ほぼ全てのCDに隠しトラックを入れるバンドは、後にも先にも間違いなく彼らだけーー情報。 このシングルではこの曲が聞ける、プリギャップ(今は滅びてしまった、CDを巻き戻すと現れる特殊な隠しトラック)はこうして聞く……といった情報は、特にファンになりたての人々にとっては嬉しくて仕方がない情報でした。 そして 「ニケ」「ホッセ」「ポ」などといった、あまりにも特殊なバンドの 「用語解説」! メンバー4人の中だけで広がっていた「マイブーム」な言葉たちが、一方でバンドのパブリックな活動においても露出していた時代でした。 よくわからない言葉は、「さらに詳しいファンに聞」けばいい。 そういうとき、ファンサイトによく存在していた「用語解説」は、本当に楽しい読み物コンテンツのひとつとして機能していたのです。 そして、 何よりも「掲示板」カルチャーです。 露出が少ない彼らの情報を共有し、ライブレポをやり取りし、(ファンクラブが無いこのバンドにおいては死活問題である)チケット先行情報を手に入れ、さらにに「よく似た」バンドも調べ尽くす……。 あげくには 歌詞を読み解く掲示板、果ては 自作の詩を投稿する掲示板までもが(ギャー!)そこかしこに建てられていました。 ファンサイトにあった掲示板は、の、そして当時のロックバンド情報を、そして思春期の創造をもやり取りする、最もホットな場所だったのです。 これは記録が残っていない筆者の「実感」なのですが、2003年当時、 インターネットで隆盛を極めていたファンサイトって、だいたいか、か、だったように思います。 その中で言えば、 は圧倒的に若い存在でした。 これは非常に際立っていたと思います。 もうひとつあります。 2002年から2004年ごろにかけて、 インターネットでは「」アニメーションが大流行していました。 アニメーションは、まだ回線が脆弱な当時のインターネットにおいて、軽量なサイズで(当時としては)高音質なmp3音源とアニメーションを同時に再生することができる、マルチメディアに特化した最先端の技術でした。 まだ文字や、画像すらも少々ロードに手間取っていた時代に、動きがあるアニメーションを……しかも音付きで楽しめたことは、正に 衝撃といってよいほどの革命だったのです。 これを 作ることもまた簡単だったことから、 様々なアマチュア・アーティストが、の音楽を使って自分の「アニメーション」を発表しました。 物語カラーが強く、誰もが映像を思い浮かべることができる音楽……彼らの当時としては「特殊な」楽曲性が、ここでも強みを発揮したのです。 一度インターネットにアップしてしまえば、誰でも簡単にダウンロードしたり、転載して自分の「倉庫」に再アップすることも出来ました。 そうしてまた無限に広がり、「私もこの音楽にアニメをつけてみたい」と思わせる……誰もが絵をつけたくなる、アニメーションをつけたくなる音楽、それがだったのです。 このことは、少々「正の歴史」として取り上げるには躊躇してしまう部分があります。 いうまでもなく、CD音源のやり取りは当時でも違法なことでした。 けれどこのルートでもまた、 ましてやロックファンではない(重要!)、出てきたばかりのインターネットを凄まじい好奇心で泳いでいた少年・少女たちに、の音楽へ触れる機会を与えたのです。 彼らはやがてファンに成長し、テレビにも出ないのに20代以上へ圧倒的な知名度を(未だに)広げ、そしてちょっとファンを卒業した今でも、どこか不思議な親近感を感じさせるのは、このころののイメージがあることは紛れも無い事実でしょう。 インタビューなどのコンテンツだけでなく、 彼らの音楽そのものすらも、インターネットでは「無料で」聴くことができた……シングル曲はに丸々無料でアップする、今の音楽業界のプロモーションを、 は(皮肉にも)10年以上先取りしていたわけです。 単に「テレビに出ない」だけでなく、新しいメディアだったインターネットを遊び心と共に有効活用した。 そして彼らが想像もしなかった展開すら楽しみ、時代も味方していった……。 ・オブ・チキンは、まさに初期インターネット時代が生んだ、その申し子と言える存在なのです。 ……ツッコミ、賛同、証言、お待ちしています!(20周年ライブのブルーレイ、おすすめ!).

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