ガンニバル 妻。 ガンニバル 6巻 ~子どもたちの監禁場所に突入した大悟に逃げるようにいう恵介 のネタバレ・感想、無料試し読み紹介します!

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人が人を喰う?『ガンニバル』戦慄の村八分サスペンス漫画のネタバレ感想 「この村の人間は人を喰ってる」という強烈なパワーワードで話題となっている村八分サスペンス漫画の『ガンニバル』。 主人公の大悟が駐在として赴任した供花村では、よそ者を排除する空気が充満していて、前任の駐在は謎の失踪を遂げていた…。 村の潜む異様な一族、そして意味深な発言の数々に、得体の知れない恐怖を感じてしまう作品となっています。 食人をテーマにした衝撃作である『ガンニバル』のあらすじや登場人物、見どころをネタバレや感想を含めてご紹介していきます。 出典:「ガンニバル」、著者:二宮正明、出版社:日本文芸社 独自の掟がある供花村を舞台にした驚愕のサスペンスが繰り広げられる『ガンニバル』の設定やあらすじをご紹介していきます。 食人をテーマにした衝撃作です。 作品の設定や概要• 著者:二宮正明• 出版社:日本文芸社(漫画ゴラク)• ジャンル:ミステリー・サスペンス• 巻数:6巻(連載中:2020年5月14日現在) 設定として、供花村(くげむら)という村が舞台となっている。 その供花村には「後藤家とは関わるな」という暗黙のルールが存在する。 そして、後藤家の一族は皆が粗暴で、奇妙なしきたりを持っている。 あらすじ 山間の村「供花村」に赴任してきた駐在の阿川大悟。 刑事時代に問題を起こした大悟は心機一転、供花村で生きていくことを決めた。 そして、大悟一家は村の人々にも暖かく迎えられた。 しかし、供花村の元駐在が「この村の人間は人を喰ってる」という狂気の言葉を残して謎の失踪を遂げているのであった。 そして、供花村で1人の老婆の遺体が見つかり、大悟は村の人々の異常性に徐々に気づいていく…。 また『ガンニバル』はアプリ「マンガBANG! ) 意味深な発言が多い『ガンニバル』の主なキャラクター 『ガンニバル』に登場する人物は何かと意味深な発言が多いです。 そして、皆がなにか秘密を隠しています。 そんな謎に包まれた『ガンニバル』の主な登場人物をご紹介していきます。 阿川大悟(あがわ だいご) 新参者として供花村の駐在になった主人公の元刑事。 前任の駐在が狂って失踪したことと、自身が警官時代に問題を起こしたことが原因で、供花村にやってきた。 暴力的だったが、昔は優秀な刑事だった。 しかし、ある事件をきっかけに刑事を辞めて、供花村の駐在になった。 元駐在の娘である狩野すみれと供花村の真相を探っていくと約束をする。 阿川有希(あがわ ゆうき) 大悟の巨乳の妻。 前の失踪した駐在が残した、柱に刻まれた「逃ゲロ」という文字を見つけて、供花村に不信感を抱いている。 強気な性格で、大悟が弱気になったときも喝を入れたりする。 また、大悟のことを本当によく考えている。 阿川ましろ(あがわ ましろ) 大悟の娘。 ある事件をきっかけに表情を無くし、言葉も話せなくなった。 しかし、供花村に来てからは徐々に笑顔を取り戻すようになる。 後藤恵介(ごとう けいすけ) 後藤家の人間。 駐在である阿川大悟に猟銃を突き付けて脅したりと粗暴な性格が目立つ。 しかし、おかしな人間が多い後藤家の中で、恵介は主人公らを守るために行動している節がある。 また、いい関係を築くための行動をするように何かと大悟に忠告する。 後藤洋介(ごとう ようすけ) 後藤家の若い少年で、恵介の弟。 昔からトロかったらしく、山を登っていてもすぐにバテテしまう。 しかし射撃の腕はすさまじく、飛んでいる鳥の頭を銃を構えてから一瞬で打ち抜いてしまうほどの命中率を誇る。 よそ者である大悟を毛嫌いしている。 後藤岩男(ごとう いわお) 恵介といつも一緒にいる後藤家の人間。 2m近くある巨体なうえに山道でも平気で駆け上がる俊敏さもあり、大木を投げ飛ばすほどの力もある。 後藤睦夫(ごとう むつお) 後藤家の中でもかなり野蛮な太っている男。 大悟に対しても、銃を向けて発砲までしたりとイカれている。 あの人 あの人と呼ばれる大男。 後藤家の人間ですら恐れる謎の人物。 尋常じゃないほどの獣臭さを放っているのが特徴的。 後藤家の問題は「あの人」の裁量で決まる。 狩野治(かりの おさむ) ヒマすぎて借金作るまでパチンコにはまったあげく、失踪したと言われている供花村の元駐在。 失踪前に村の人たちともトラブルを起こしていた。 また、失踪前は「この村の人間は人を喰ってる」とふれまわっていた。 狩野すみれ(かりの すみれ) 父の狩野治と一緒に京花村にやってきた娘。 父の「この村の人間は人を喰ってる」という言葉を信じていて、その証拠を探すために1人で行動している。 後藤家の人間相手にでも無謀なふるまいを見せていて、死ぬことを恐れていない様子。 食人が頭から離れない『ガンニバル』の3つの見どころ(ネタバレあり) 出典:「ガンニバル」、著者:二宮正明、出版社:日本文芸社 「この村の人間は人を喰ってる」という強烈な言葉が印象的な『ガンニバル』では、どの場面でもその言葉がちらつき、決して不気味さをぬぐえない物語です。 また次々起こる事件や意味深な描写の数々と見どころに溢れる作品になっています。 そんな『ガンニバル』の特に注目してほしいポイントを3つに厳選してご紹介してきます。 供花村で起こる不可解な事件 『ガンニバル』の見どころは次々に起こる不可解な事件です。 主人公の大悟が供花村に駐在してから、山にあった遺体に人の歯形がついていたり、大悟の娘のましろが元駐在の指を拾っていたりと何かと不気味で不可解な事件が多発します。 「この村の人間は人を喰ってる」という狂気のメッセージがテーマとなっているだけに、読んでいて、その言葉が事件のたびに思い返されて、村の底知れぬ狂気さに震えてしまうかもしれません。 食人という文化が残っているであろう供花村で起こる、事件の数々に細部まで注目してもらいたいです。 不可侵の「後藤家」の存在 また『ガンニバル』では、物語の中心となる「後藤家」の存在も見どころとなっています。 物語の舞台となる供花村という小さな村では、「後藤家とは関わるな」という暗黙のルールがあります。 そして、後藤家の人間は普通の人間とは違う価値観で生きていて、野蛮な性格をしていて、警察相手でも普通に銃を向けたり襲い掛かったりするのです。 事件の度に名前が浮かび上がる「後藤家」の存在、また後藤家に潜む「あの人」という謎の人物の存在など、よそ者を強烈に排除する思想を持った一族の秘密や言葉、表情などは是非注目してください。 供花村の正体 また、物語の舞台となる供花村の正体も見どころとなっています。 はじめのうちは京花村に赴任してきた大悟たちを温かく迎える村人たちでありますが、過去には元駐在を狂わせたという疑惑があります。 また村人たちと後藤家との確執や、村に充満するよそ者排除の空気感や、次々に起こる事件など、供花村には狂気が潜んでいることを感じざるを得ません。 一見優しさを見せる反面、村人たちの意味深な発言が多く、読んでいて何を信じているのかわからなくなります。 また常に事件が勃発するため、息をつかせぬ緊迫感を味わいながら読むことができます。 食人という衝撃のテーマで繰り広げられる供花村のサスペンスに是非心臓を震わせながら楽しんでみてください。 ) 得体の知れない恐怖に襲われる『ガンニバル』はこんな人におすすめ 『ガンニバル』は、ドキドキするような震える展開を味わいたい方にはおすすめの作品となっています。 この物語では、村人たちの優しい一面を見たかと思えば、主人公の大悟と村人とのいざこざや、人の歯形がついた遺体など次々と異常な事件も起こっていて、村人に対する信頼と疑念を交互に抱かされます。 そして、奇妙な一族の行動に翻弄され、次の展開も予測できずに緊迫感を持ったまま物語を楽しむことができます。 「この村の人間は人を食っている」というパワーワードが頭にこべりつき、そして奇怪な描写や意味深な発言の数々にドキドキせずには読めない漫画となっているので、心臓が震える展開を望んでいる方には、とてもおすすめです。 ) 管理人の思う『ガンニバル』が伝えたいこと(感想) 出典:「ガンニバル」、著者:二宮正明、出版社:日本文芸社 『ガンニバル』は、ある所ではある食人という文化を伝えたいように感じられます。 この物語の中では、「食葬」という死んだ人間に対する愛情や執着から、遺体を食べて自らの肉体の一部とすることで、その人の意志や魂を受け継いでいくと考える風習が実際にあったと語られています。 そして、供花村の後藤家も身内を食した動物の遺体を食べて、弔う姿が描かれています。 そういった話や描写から、もしかしたら今でも日本のどこかで食人の文化があるのではないかと不気味にも思ってしまいます。 『ガンニバル』を読むとそんな風に勘違いしてしまうほど、物語にのめりこんでしまう内容となっているので、この機会に是非多くの方にご覧になってもらいたいです。 また『ガンニバル』はアプリ「マンガBANG! ) 『ガンニバル』の評価まとめ 最後に記事執筆者の評価と他の漫画サイトからの評価をまとめてみました。 漫画を購入するときのひとつの指標として、よかったら周りの評価も参考にしてみてください。 当サイトの評価 4. 3(記事作成者の評価) コミックシーモア 4. 4(31件の評価) まんが王国 4. 7(12件の評価) Renta! 5(93件の評価) BookLive 3. これまでも見どころなどで詳しく紹介していきましたが、得体の知れない恐怖を演出する力が上手く、先が気になって仕方なくなるほどのめり込んでしまう作品なので、高評価をつけました。 是非あなたも不気味な恐怖を味わってみてください。

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ガンニバル 6巻 ~子どもたちの監禁場所に突入した大悟に逃げるようにいう恵介 のネタバレ・感想、無料試し読み紹介します!

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九 エピローグ :アフリカ奴隷貿易のその後 弥助とガンニバルは、奴隷貿易システムが生み出した東方のアフリカ黒人武人であり、その後、両者の再来と言えるような例は記録されていない。 その意味では、奴隷貿易システムの国際的な広がりを象徴する特異な事例だったとも言える。 三角貿易による利益は産業革命の物質的土台となったとも理解されているが、17世紀以降鎖国による自足体制に入る日本がこのシステムに参画することはなかったし、広大なシベリア開拓に注力するロシアも海外プランテーションに利害関心を示さなかったため、やはり奴隷貿易システムの当事者とはならなかった。 しかし、三角貿易は奴隷対象者の減少による奴隷価格高騰という経済的変化によってメリットが少なくなったところへ、次第に芽生えてきたキリスト教的人道主義の精神にも後押しされ、当の英国自身による提起により、19世紀前半期には廃止の潮流が起きる。 これは奴隷貿易システムを新たな帝国主義植民地支配に置換する契機となった。 ちなみに、東アフリカでポルトガルを駆逐して台頭していたオマーンは、1856年に全盛期を演出したサイード大王が没した後、跡目争いから分裂し、アフリカ側のザンジバルがブーサイード分家の下に分離独立していった。 こうして新生されたザンジバル・スルターン国も1870年には英国との間で奴隷貿易禁止を協定するが、その陰では通称ティップー・ティプのようなアラブ系の血を引くスワヒリ豪商が丁子等のプランテーションを目的とした私的な奴隷取引を展開し、アフリカ本土内陸部まで勢力圏を広げた。 一方、ロシアに拉致される以前のガンニバルが捕捉されていたオスマン帝国は1890年、ロシアを含む欧米列強にザンジバルも加えた17か国が集まったブリュッセル会議でアフリカ黒人奴隷貿易の禁止協定に調印したにもかかわらず、非公式の奴隷調達慣習は手放せず、帝国が終焉する20世紀前半まで温存されていたのである。 おそらく、彼の存在のおかげでガンニバルの名も後世に記憶されたと言えるかもしれない。 プーシキンはガンニバルの息子オシップの娘ナジェージダの息子であり、従って母方からガンニバルの曾孫に当たる。 プーシキンの父方プーシキン家もロシア人貴族であり、プーシキンは両親ともに貴族という名門家系に生まれている。 文学者プーシキンの業績はここでの主題から外れるので論及しないが、曽祖父との関わりでは、最晩年にガンニバルをモデルとする人物を主人公とする歴史小説『ピョートル大帝の黒人』(未完)を著した。 この小説は主人公をエチオピア人とする設定になっているが、これはガンニバルの女婿によるガンニバルの評伝の説を下敷きにしており、その根拠は疑われている。 おそらく数奇な経歴の家祖をアフリカでも長い歴史を持つ古王国であるエチオピアに結びつけたいという親族の念慮が働いたのだろう。 プーシキンは政治的には改革派に与し、当時の専制的な帝政ロシアには批判的な立場を採ったために当局からは迫害・監視の対象とされるなど、波乱の多い人生を送ったが、こうした批判的知識人としての生き方には、彼のアフリカ・ルーツのアウトサイダー的な自覚が投影されていたかもしれない。 プーシキンは決闘による負傷がもとで38歳にして早世したが、四人の子を残した。 このうち、末娘ナターリアは当初ロシアの軍人に嫁いだが、ドイツのナッサウ公国公子ニコラウス・ヴィルヘルム・フォン・ナッサウと不倫関係となった末に貴賎結婚するというこれまた波乱の生涯を送った。 この結婚の結果として、二人の子孫はメーレンベルク伯爵の称号を与えられた。 現在ドイツの貴族称号は形式的なものに過ぎないが、ガンニバルの血統はナターリアを通じてメーレンベルク伯一族に続いている。 またフォン・ナッサウとナターリア夫妻の長女でロシア皇族と貴賎結婚したゾフィーの二人の娘の子孫は英国貴族である。 中でもゾフィーの次女ナジェージダはヴィクトリア女王の曾孫に当たる英国貴族ジョージ・マウントバッテン(第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵)と結婚したため、英王室の縁戚でもあるミルフォード・ヘイヴン侯爵家にもガンニバルの血統が流れている。 このようにして、ガンニバルの血脈はプーシキンを経由しつつ、女系で欧州貴族家系に継続されているのである。 奴隷制がアフリカとヨーロッパを数奇に結合させたのであった。 しかし、最初の結婚は不幸な失敗に終わっている。 その相手はギリシャ人女性であったが、経緯は不明ながら、妻にとっては強いられた結婚だったため、妻は夫を嫌い、夫婦仲は不調であった。 この時期、彼はすでに一個の権勢家だったのだ。 ガンニバルは、最初の妻と法的な婚姻が続いている間に、今度は北欧とドイツにルーツを持つ貴族女性と同居し始めた。 これは重婚に当たるため、ガンニバルは処罰され、離婚後も再婚は非合法なままであったが、この事実婚はうまくいったようで、二人の間には長男イワンを筆頭に10人もの子が生まれた。 イワンの肖像画を見ると、父と同様明らかに黒人系の風貌をしており、父も今度は満足だっただろう。 彼は父と同様、職業軍人となり、海軍士官として栄進する。 特に露土戦争では黒海艦隊を率いてトルコ要塞の占領で軍功を上げた。 その後もいくつかの海戦で戦果を上げ、1777年には時のエカチェリーナ2世により、海軍トップである海軍総監に任命された。 翌年には現ウクライナ領に属するヘルソンの要塞司令官となり、エカチェリーナ女帝の事実上の夫でもあったグリゴリー・ポチョムキン公爵の指揮の下、ヘルソンの都市建設にも関与した。 その功績で、イワンは女帝から叙勲された。 ヘルソンは後に、重要な軍港都市として発展する。 しかし、イワンは84年、上司に当たるポチョムキンと衝突して引退に追い込まれた。 引退後は3年前に没した父の領地で余生を送り、1801年に死去している。 最終階級は、父と同じ大将だった。 こうしてイワン・ガンニバルは軍人として父にもひけをとらない成功を収めたが、父とは異なり生涯独身を通し、子孫を残さなかった。 六 ピョートル1世とガンニバル ポルトガルが斜陽化していった17世紀には、北方でも変化が起きていた。 ロシアにロマノフ朝が成立したのである。 当初は中世的な性格を脱し切れなかったこの王朝を北方の新帝国に押し上げたのが、大帝を冠せられるピョートル1世である。 彼の終生の課題はロシアの西洋化であった。 そうした西洋化政策の付随的な結果として現れたのが、後にオスマントルコ黒人奴隷からロシア軍人となるアブラム・ガンニバルである。 ガンニバルもまた奴隷の常として本名は不詳であり、ガンニバルは古代カルタゴの英雄ハンニバルにちなんだものである。 ガンニバルの出身地については諸説あり、従来の通説ではエチオピアとされてきたが、近年はこれを否定し、より西のチャドないしカメルーンとする説も有力化している。 当時、オスマン帝国の奴隷調達地が内陸アフリカにまで広がっていたことを考慮すると、彼はエチオピアのコプト派教会経由でオスマン帝国に売られた黒人奴隷だった可能性は高いだろう。 ガンニバルの匿名の評伝によれば、彼は貴族家庭の子女を人質として差し出す当時の慣習に従ってオスマン宮廷に連行されたという。 いずれにせよ、彼は7歳の頃にオスマン帝国のコンスタンティノープルに連行された。 そのままであれば、宮廷で黒人宦官として栄進する道もあっただろう。 ところが、どのような経緯か、ガンニバルは間もなく、ロシア外交官の手で拉致され、北のロシアへ再連行されるのである。 この拉致はピョートル1世の命令に基づくものだったという。 彼の意図は明確でないが、当時西洋宮廷でも黒人児童を珍重することが流行していたといい、西洋化を推進していたピョートルも模倣したのかもしれない。 ピョートルは聡明なガンニバルが気に入り、洗礼を受けさせ、自ら名付け親となるほどの寵愛ぶりであった。 この点、やはり黒人奴隷の弥助が気に入り、武士として登用した織田信長に似て、珍奇なものに並々ならぬ関心を示す革新的なピョートルの性格が現れている。 成長したガンニバルは当時西洋における学術の中心地であったパリへの留学を命じられ、5年間にわたり多方面の高等教育を受けた。 その間、当時のフランス啓蒙思想家らと交流し、中でもヴォルテールはガンニバルを「濃い肌の啓蒙の星」と称えたとされるが、これには異論もあるようである。 いずれにせよ、ガンニバルが才覚を発揮したのは人文学よりも軍事科学であり、当時のフランス軍でも従軍経験を得た彼は職業軍人・工兵士官の道を歩むことになった。 彼は1722年にパリ留学を終え、帰国したが、不運にもパトロンのピョートルは25年に死去してしまう。 このような経緯も主君信長を失った弥助に似ている。 27年、ピョートルの幼い孫ピョートル2世が即位すると、敵視されたガンニバルはこうした場合の慣例としてシベリア送りの憂き目を見るが、3年後に赦される。 幸いにも41年にはピョートルの娘エリザベータが女帝に即位したことから、ガンニバルは女帝の宮廷で軍事顧問として重用された。 彼は少将に昇格するとともに、レバル(今日のエストニアのタリン)総督にも任命され、52年まで務めた。 そのうえ、プスコフに農奴付きの土地を安堵され、地主貴族にも叙せられたのだった。 奴隷身分から貴族身分への階級上昇であった。 最終的に大将まで昇進した彼はエリザベータ女帝が没した62年に公職を退き、エカチェリーナ2世女帝時代まで生きて85歳の長寿を全うした。 彼のような存在は長い帝政ロシアの歴史の中でも唯一無二であり、ピョートル1世という「玉座の革命家」の存在なくしては、おそらくあり得なかったであろう。 五 オマーン海洋帝国の台頭 弥助が日本から姿を消した後、彼の出自した東アフリカ情勢も転換期を迎える。 16世紀初頭以来、ポルトガルの支配下に置かれていたアラビア半島南端のオマーンが台頭してくる。 そのきっかけは17世紀前半、イスラーム少数宗派イバード派を奉じるヤアルビー家が台頭し、イマーム王朝を樹立したことにある。 王朝創始者ナースィル・イブン・ムルシドは、ポルトガル勢力の放逐を掲げて分裂していた部族の統一を図り、強力な軍隊を組織して、各個撃破的な戦略でポルトガルが陣取る沿岸部の要塞を順次落としていった。 一方で、彼は西欧の新興列強であった英国の東インド会社と手を組み、通商条約を締結することで、ポルトガル貿易圏への割り込みを図るという巧みな通商政策も展開した。 彼は目標達成寸前にして没したが、後を継いだ従兄弟のスルターン・イブン・サイフが1650年に中心都市マスカットを占領し、オマーンからのポルトガル勢力一掃は完了した。 その勢いで、インド洋を越えて東アフリカやインド西部のポルトガル勢力圏への進出も図る。 特に16世紀初頭以来、ポルトガルが占領してきたザンジバル島の奪取を目指して40年近くもポルトガルと攻防戦を繰り広げた末、ついに17世紀末、これを攻略した。 以後、ザンジバル島はオマーンの東アフリカ側拠点として確立されていく。 弥助の故郷と目されるモザンビークは引き続き、ポルトガル領として維持されるが、王室のヤアルビー家の名をとってヤアーリバ朝と呼ばれたオマーンは斜陽化していくポルトガルを尻目に東アフリカ沿岸、紅海沿岸、ペルシア湾岸を結ぶ中継交易の利権を掌握する海洋貿易帝国として大いに繁栄した。 しかし18世紀に入ると跡目相続から内乱に陥ったところをイランに軍事介入され、マスカットもイラン軍の手に落ちた。 そのイランを駆逐して新たな支配者となったのが、やはりイバード派のブーサイード家であった。 ブーサイード朝は当初は不安定であったが、19世紀に入り、5代君主サイイド・サイード(サイード大王)が内乱期にオマーンの支配から事実上独立していた東アフリカ沿岸部の征服を進め、1840年にはザンジバルに遷都した。 50年間在位したサイード大王時代のオマーンは海洋貿易帝国オマーンの全盛期であり、東アフリカ沿岸部の貿易権益を英国と二分するほどであった。 彼が建設したザンジバルの旧市街地ストーンタウンは世界遺産にも登録されている。 ただ、オマーン海洋帝国の貿易手法は黒人奴隷ザンジュに由来するザンジバルを拠点とする奴隷貿易、しかも帆船を使った大船団交易という中世以来の伝統に沿った旧式のものであり、西欧に発する奴隷制廃止、さらには蒸気船の普及という技術革新の波を乗り切れず、間もなく消えゆく運命にあったのである。 四 信長と弥助 ここで、ようやく本連載の主人公弥助の登場である。 弥助は日本の歴史上、明確な活動記録の残る唯一の黒人武士である。 出身は当時のポルトガル領東アフリカに属したモザンビーク、日本へ連行してきたのは、イタリア人のイエズス会司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノである。 ヴァリニャーノは元来、イエズス会東インド管区の巡察師という地位にあり、ポルトガルのリスボンからモザンビークを経由して、ポルトガル領インドのゴアに渡航、そこからさらにポルトガル領マラッカ、さらにポルトガル居留地マカオを経て日本へ渡った。 この来日ルートのどこで弥助を入手したかは不明であるが、弥助がモザンビーク出自とすれば、モザンビーク滞在中に弥助を入手して従者にしたと考えるのが最も自然だろう。 いずれにせよ、司祭の従者になった弥助は、黒人奴隷としては幸運者だったと言える。 さて、記録によれば、日本入りしたヴァリニャーノは1581年に時の最高執権者織田信長と会見し、この時に弥助も信長に引き合わされている。 史書では「黒坊主」と表現されている弥助の本名は記録されていないが、名前の喪失は奴隷の宿命であった。 好奇心が強く、新奇なものに飛びつく信長は「黒坊主」が気に入り、ヴァリニャーノに掛け合って譲渡を受け、弥助と命名して自身の家臣としたのであった。 しかも、隷属的な奉公人ではなく、帯刀・扶持の武士として処遇したというから、信長の弥助に対する「愛情」は相当なものであった。 しかし、このような破格の待遇は多分にして信長の個人的な性格によっており、当時の日本に差別的な意識がないわけではなかった。 当時の記録では弥助を「黒坊主」とか「くろ男」などと表記しており、日本人が初めて見た肌の黒い人間に対する好奇の混じった蔑視的な視線も滲み出ている。 本能寺の変後、弥助を捕らえた明智光秀が「無知な動物」であることを理由に弥助の処刑を免除し、教会(南蛮寺)預かりとしたのも、弥助に対する温情というよりは、黒人を人間とはみなさない当時の日本人の意識を反映した処遇であったと言える。 信長は弥助をいずれは城持ちに昇格させる意向だったと言われるほど気に入っていたらしいが、弥助も体験した本能寺の変により、実現することはなかった。 上述のように、弥助は明智方に囚われたが、処刑は免れて教会預かりとなる。 以後の弥助の消息は記録に現れず、不明である。 信長後継の豊臣秀吉が弥助の行方に関心を持った形跡もない。 元主人のヴァリニャーノは変の前に天正遣欧使節に随行していったん日本を離れた後、1590年、98年と来日を重ねているが、彼も弥助の行方には関心を持たなかったようである。 こうして、弥助はわずか1年余りの活動を残して、忽然と消えてしまうのである。 黒人の存在は極めて珍しかった当時、どこかで存命していれば記録に残るはずである。 それが全く残されていないのは、いずれかの時点で日本を離れた可能性が高い。 その点、本能寺の変後の1584年、九州の戦国大名間の戦いである沖田畷の戦いでキリシタン大名有馬氏の軍中に黒人武士の存在が記録されており、弥助との同一性が問題となることもあるが、弥助が九州のキリシタン大名の下に移っていた可能性もゼロではなかろう。 あるいは南蛮寺で身柄を保護されていたとしても、1587年の秀吉によるバテレン追放令後、京都の南蛮寺は破却され、宣教師たちも平戸周辺に潜伏した。 目立つ黒人を連れているわけにもいかず、弥助のような黒人は真っ先に送還されたと考えられる。 いずれにせよ、弥助の存在は二度と記録に現れず、また彼の子孫を称するような家系も実在しないので、彼は本能寺の変後、出国したと見るのが自然である。 そして弥助を日本に登場させたポルトガルの奴隷貿易も、17世紀に入ると斜陽の時代を迎えるのである。 三 大航海と奴隷貿易 アッバース朝からオスマン帝国へと引き継がれ、確立されたアフリカ奴隷貿易システムに対する対抗者として現れたのが大航海時代を迎えた西欧である。 ポルトガルが先陣を切った。 アントン・ゴンサルベスなる15世紀のポルトガル人航海者が初めてアフリカ西海岸で奴隷狩りを行なった人物として記録されている。 初期の時代はシステム化された奴隷貿易というよりも、こうした航海者や商人による私費での粗野な「奴隷狩り」が中心であったが、1452年に時のローマ教皇ニコラウス5世がポルトガル国王アフォンソ5世に異教徒の恒久的な奴隷化を勅許したことが転換点となる。 これが一種の宗教的なお墨付きとみなされて、以後、奴隷貿易がシステマティックに行なわれるようになる。 ポルトガルのアフリカ大陸踏査はオスマン帝国の貿易ネットワークを避けて西海岸を南下する形で進められていったことから、西海岸地帯が西欧系奴隷貿易の中心地となっていく。 奴隷貿易すべてに共通することであるが、地元勢力の協力なしにはシステマティックな奴隷貿易は構築できない。 西アフリカ沿岸の奴隷貿易では、地元黒人部族勢力が同胞黒人を拘束し、奴隷としてポルトガル人に売り渡すという仕組みが形成された。 これら部族勢力はそうして奴隷貿易で蓄積した富を基盤に、強力な王国を形成すらした。 中でも最も著名なのが、今日のベナン共和国の前身となるダホメー王国である。 ダホメーは、奴隷の給源となる征服地の捕虜と西洋人の銃火器を交換して軍備の近代化を進め、専制的軍事国家を作り上げたのである。 ポルトガルに続きスペインが台頭すると、両国は1482年にポルトガルにより今日のガーナに築かれたエルミナ城を拠点に、奴隷貿易を本格化させていく。 特に、新大陸を次々と侵略して植民地を拡大していったスペインは、酷使や疫病による現地先住民の激減に伴い、新たな奴隷労働力として黒人の移入を必要とした。 他方、オスマン帝国系奴隷貿易ネットワークへの食い込みを図り、東アフリカ方面にも侵出していったポルトガルは15世紀末、今日のモザンビークを中心とするポルトガル領東アフリカを成立させ、ここを新大陸側植民地ブラジルへの奴隷供給基地とする。 本連載主人公の一人弥助もモザンビーク出自と伝えられるのも、このことに関わっている。 二 オスマン帝国と奴隷制 イスラーム世界における奴隷制はやがてイスラーム世界の覇者となったオスマン帝国に継承され、より大々的かつ体系的に制度化される。 帝国の奴隷制には、主としてコーカサス・東欧方面から調達される白人系奴隷と、従来のザンジュ奴隷を引き継いだ黒人系奴隷の二種があったが、ここでは、主題との関わりで後者の黒人奴隷のみを概観する。 オスマン帝国の黒人奴隷の供給源は、アフリカの大湖沼地域から中央アフリカなど比較的奥地にまで拡大されており、本連載の主人公の一人であるガンニバルも近年の研究では中央アフリカ付近の出身とみなされている。 かれら黒人奴隷の大半は男性であり、帝国領内に連行された後は、家事奴隷のほか、下級兵士などとして使役されるのが通例であり、その立場は白人奴隷よりも低く、奴隷間にも人種差別があった。 ただし、黒人奴隷にはもう一つ宦官の調達という別ルートがあった。 これにはエチオピアのコプト派キリスト教会が協力しており、教会が黒人の少年を拘束し、去勢を施したうえ、オスマン帝国に売りつけていたのだった。 このルートで購入された黒人去勢者は宦官として育成され、後宮に配属された。 その頂点の宦官長は元来、黒人に限られたものではなかったが、次第に黒人宦官の独占ポストとなる。 この黒人宦官長はスルターン及び後宮の実力者であるスルターン妃双方の権威を背景に、時に首相格の大宰相をも凌ぐ隠然たる政治的実力を備えるまでになる。 著名な例として、1716年から30年にわたり宦官長を務めたベシル・アガーがいる。 彼は時の大宰相によって引退に追い込まれかけると、対抗的にスルターン妃の力を借りて大宰相を罷免に追い込むほどの力を発揮したのだった。 しかし、このような宦官としての栄達は黒人奴隷のごく一部の「幸運な」例であって、大多数の黒人奴隷の境遇は過酷なものだった。 これらオスマン帝国の黒人奴隷の末裔たちは、現在でも「アフリカ系トルコ人」としてトルコ国民化されている。 とはいえ、本連載の主人公ガンニバルは、一度はオスマン帝国に売られながら、奴隷化を免れ、ロシア帝国に「救出」された幸運児であった。 一 プロローグ :アフリカ奴隷貿易の始まり アフリカ人を捕縛して連行、奴隷として市場で売買するアフリカ奴隷貿易の始まりを正確に捉えることは難しいようだが、少なくともこれをシステマティックに始めたのは、アラブ人商人であったことは間違いない。 アラブ人による奴隷貿易は預言者ムハンマドによるイスラームの創唱以前から存在していたと見られる。 ムハンマドは教理上、人種差別に否定的であり、彼の言行録ハディースでは「アラブ人の非アラブ人への優越、非アラブ人のアラブ人への優越、そして白人の黒人への優越、そして黒人の白人への優越も敬虔さによるもの以外は存在しない」と述べられている。 しかしながら、預言者も奴隷制には反対せず、自身も奴隷所有者であった。 同時に、ムハンマドは奴隷への温情を説き、奴隷主による奴隷解放を善行として奨励した。 ムハンマドの没後、イスラーム教団が征服活動により帝国化していくのに伴い、奴隷貿易も次第に拡大していくが、アフリカ大陸ではアラビア半島からも近い東アフリカ沿岸部が中心地として開拓されていく。 東アフリカ沿岸部からの黒人奴隷は、ザンジュと呼ばれた。 この人々は今日のバントゥー系諸部族と見られるが、かれら自身、商人としてアラブ人やペルシャ人とも交易していた。 しかし、東アフリカ沿岸部のスワヒリ諸都市の支配層は移住してきたアラブ人商人層が占めており、ザンジュは被支配層にして奴隷供給源に貶められていく。 特にイスラーム帝国としてのアッバース朝時代、ザンジュは兵士や農業労働力として使役させられた。 そうした状況下、9世紀後半のアッバース朝下に発生した大規模な奴隷反乱がザンジュの乱である。 もっとも、反乱首謀者はアリー・ブン・ムハンマドなる素性不詳のアラブ人であったが、反乱は彼に煽動されたメソポタミア南部のザンジュ農業奴隷が主体となって引き起こされた。 かれらは、その過酷な待遇に不満を募らせていたのだった。 ザンジュの乱は一過性にとどまらず、弱体化しつつあったアッバース朝の隙をついて10年以上に及ぶ一種の革命政権の樹立にまで至るが、最終的にはアッバース軍に敗北した。 このような大規模な反乱はあったものの、それが奴隷制廃止に結びつくことはなく、ザンジュ奴隷の供給は何世紀も続いた。 かれらは遠く中国にまで「輸出」され、ザンジュは中国語でも「僧祇」の漢字を当てられた。 序 本連載のタイトルに表れる弥助とガンニバルは、歴史上の人物として全く無名というわけではないが、頻繁に話題になるような人物ではない。 共通するのは、どちらもアフリカ人であること、そして奴隷身分から解放され、縁もゆかりもない東の国で武人として活動したことである。 弥助は17世紀後半、戦国日本の最高執権者・織田信長の家臣となったアフリカ人であり、記録に残る限り、おそらく唯一の黒人武士である。 その生没年は一切不詳で、子孫と思しき家系も残されていない。 彼はロシアに帰化・定着し、近代ロシアの文豪プーシキンは母方からガンニバルの曾孫に当たる。 このように、異なる時代と場所で活動した二人のアフリカ武人は、いずれもアフリカ奴隷貿易の数奇な副産物であった。 奴隷は通常、商品として市場で売買されてそれぞれの主人の下で労役に従事させられる運命にあるが、弥助とガンニバルは日本やロシアの最高権力者との奇遇により解放され、武人として働くことになった「幸運」な者たちであった。 彼らはもちろん奴隷貿易のシステムから生じた例外中の例外であり、他に記録の残る類例は見当たらない。 その意味では、一般化できない当該時代限定の特殊例として扱うべき人物なのであるが、本連載ではそうした際物的な列伝を回避し、特殊例の二人を通して、二人を生み出した二系統のアフリカ奴隷貿易を史的に通覧してみたい。 その際、弥助とガンニバルが組み入れられた中近世日本と近世ロシアという二つの辺境的な東方国家を奴隷貿易システムの中に位置づけ直すという稀少な試みにも出てみたいと思っている。 また前面に押し出すことはあえてしないが、通奏低音的には人種差別の根源に触れることにもなるであろう。

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【ガンニバル】ネタバレ最新刊6巻🤔!あの人とついに対決!後藤家と全面戦争へ

ガンニバル 妻

ガンニバル【7巻ネタバレ】 漫画「ガンニバル」第7巻では57話~65話までが収録。 57話ネタバレ 倒れていた大悟を保護、救出して手当してくれた宗近。 彼は恵介から 『逃げられるよう手助けしてほしい』と指示を出されていた。 宗近はこの村の狂った風習を終わらせたいと大悟に伝えていく。 そして大悟を匿っている場所。 そこは代々、集落の儀式が行われていた神社の神主しか知らない場所であった。 その場所は子供を殺して信仰していた場所であった。 大悟に昔話をしていく宗近。 ある儀式を境に神に捧げた子供の遺体が消えた事件が発生していた。 同じ時期、集落にはある一族が地に流れ着いたと明かす宗近。 それが後藤家の源流となる一族であった。 場面は変わって「あの人」と対峙する大悟。 死闘である。 大悟は拳銃で応戦。 あの人なる人物は草刈り鎌で大悟の命を狙っていく。 あの人との死闘を思い出しながらニヤリと笑う大悟。 『俺にも残ってんぞ…歯型が…一致すればあの野郎を…』 一方、山中にいた「あの人」を後藤家の面々が連れ帰っていく。 宗近は大悟にもうしばらくここで身を隠していて下さいと伝える。 そして彼は祭りの準備の為、神社へと向かっていく。 58話ネタバレ 祭りが始まろうとする中、大悟は宗近に伝えていく。 俺が逃げる事は許されない。 この手で奉納祭をぶっ潰すと…。 大悟の覚悟を見た宗近。 会って欲しい人がいると打診していく。 その相手は自分の父親であると伝えていく。 自身の父である神山正宗は後藤銀と並ぶ供花村の絶対的権力者だと伝える宗近。 正宗は後藤家と関わるなと伝えながら人知れず後藤銀と密会していた事を明かす宗近。 『父さんはこの村の全てを知っている』 一方、祭り会場では大悟の上司である所長と村長が探り合いをしていた。 会場で無事に最後の挨拶を終わらせた正宗。 お役御免といった具合で地面にひれ伏せていく。 そんな父に大悟と会って欲しい事を伝えていく宗近。 大悟も『もう一人会っておきたい人物がいる』と宗近に明かす。 それは恵介であった。 『アイツはことあるごとに俺を助けてくれた…アイツならきっと力になってくれる…俺はそう信じてる』 59話ネタバレ 恵介は人の目がない場所ですみれと出会っていた。 『子供は堕ろせ…俺とはもう…二度と関わるな』 すみれは恵介の手が震えている事を指摘。 彼が嘘をついている事は明白であった。 そして過去を思い出していく。 事あるごとにすみれを守っていた恵介。 すみれはそんな彼に好意を寄せていく。 今も恵介に対する気持ちは変わらないと伝えるすみれ。 すみれのお腹に銃口を向けていく恵介。 彼の本心が手に取るようにわかるすみれ。 『あんな村捨ててっ…逃げればいいじゃん…恵介は優しすぎるんだよ』 その瞬間、恵介はすみれを抱きしめていく。 そして供花村から逃げる事は出来ないと伝え、自分と関わりは捨てて子供を育てて欲しいと伝えようとする恵介。 『それは困るぞ』 恵介は後藤家の仲間に尾行されていたのだ。 恵介以外に銀は遺言を残していた。 恵介は危険だから見張っていろ的な具合だろうか。 仲間達から銃口を向けられていく恵介。 大悟のもとへ知らない番号から着信が入る。 すぐに相手が恵介だと気づく。 監視されているので要件を手短に伝える恵介。 『子供らは生きとる、死なせたない、お前の協力が必要なんや』 60話ネタバレ 『その言葉を待ってた』 子供を救いたい二人の利害が一致する。 恵介は大悟に子供が移送された新たな監禁場所を伝えていく。 一方、電話を切った恵介。 信用されていない状況を打破すべく演技をする。 すみれを連れて皆の前で挨拶を行うと伝えていく。 署長は大悟からメッセージを貰う。 居場所を突き止めたと…。 祭り会場に帰ってきた恵介。 後藤家を集めてすれみのお腹に自分の子供がいる事を明かしていく。 『俺の後藤家の子や…血は受け継がれて生きていく…それが俺達後藤家の人生や』 仲間から再び信頼が回復されていく恵介。 祭りも本格的に始動させようと気合いを入れる後藤家。 しかし、異変に気付いていく。 後藤家の周りは重装備の警官隊が道を塞いでいた。 指揮を取るのは金丸。 『しまいじゃ…後藤家』 61話ネタバレ 睨み合う警官隊と後藤家。 金丸は後藤家が持っている猟銃全てを集めろと指示を出していく。 抵抗せずに登録されている猟銃42丁を全て提出する後藤家の面々。 しかし、金丸を煽る後藤家。 隠し持っている銃がある可能性を示唆して部下に家中を徹底的に調べさせていく金丸。 そんな中、金丸が床の軋みに気付く。 隠す気もなく岩男が床の隠し扉を明かしていく。 中は折檻部屋であった。 子供はいない。 金丸の表情を見て警察の狙いが一体何なのか辿り着く岩男。 金丸の警官舞台は後藤家の主力メンバーを足止めさせる為の舞台であった。 本命は大悟。 彼は恵介に教えてもらった子供の監禁家に辿り着いていた。 そこはハゲ親父・さぶの家であった。 62話ネタバレ 大悟に合流していく署長部隊。 さぶの家にガサ入れしていく。 一方、警察の狙いに気付いた後藤家。 岩男を筆頭に金丸と睨み合う。 そんな中、何故か後藤家の内情に詳しい金丸。 後藤銀の不可思議な事実…後藤家の血の正統性などを岩男に問いかけていく。 『おまえ何者や…』 一方、隠していた銃を取り出して後藤家の一人が暴れだして発砲していく。 警官隊対後藤家の口火が切られようとする緊迫の中、必死で争いを避けるように動く恵介。 『俺は誰にも死んでほしない』 後藤家当主として本心を打ち明ける恵介。 しかし、口火は切って落とされる。 動いたのは「あの人」であった。 63話ネタバレ 「あの人」を筆頭に後藤家も加勢。 警官隊vs後藤家の血生臭い抗争がスタート。 グロエグ描写が続いていく。 同時に責任を感じていく恵介。 自分が今の状況を招いたと…。 恵介はすみれとお腹の子を守る為に全振りしていく。 彼女達を守る為に後藤家として出来る事を最優先しようとする恵介。 しかし、村長が恵介とすみれの前に立ちはだかる。 『おまえもその腹の子にも死んでもらう』 64話ネタバレ 村長の過去が明かされていく。 彼は藍と結婚。 子供を授かっていく。 しかし、村長は子供頃に後藤銀に騙されて断種させられていた事が明かされる。 真実を知らない恵介は自身の父親だと思っている人物に手をあげていく。 『恵介…やめて死んじゃう…あなたのお父さんでしょ』 荒れ狂う恵介を止めていくすみれ。 『違う…血なんぞ…繋がっとらん』 恵介も初耳だったのか驚く表情を見せていく。 村長をそのままにすみれを安全な場所に連れて行く恵介。 村長の後藤家に対する復讐は失敗に終わる。 しかし、外では警官隊と後藤家が死闘。 警官部隊の最後の一人として残ったのは金丸一人であった。 後藤家も大半は死んだが岩男やあの人など主力メンバーは生き残っていた。 後藤家を褒め称える金丸。 同時に揶揄する。 『国相手に喧嘩売ったんや…あとは家潰れるだけぞ』 後藤家の一人が金丸を殺そうとする。 しかし、岩男が止める。 情報を流した人物を探ろうといった魂胆であった。 無線機をポケットから出す金丸。 『先程、監禁されていた子供達を無事に救出…現在、保護下にある』 後藤家はこれでお終いだと告げる金丸。 65話ネタバレ さぶの家にガサ入れして無事に子供達を救出した大悟。 今回の選出された子供達は皆、供花村で生まれた子供達であった。 何故、自分達の子供が食われるとわかっていながら後藤銀に差し出したのか怒りを覚える大悟。 『もうええ…全部話す』 娘の加奈子に謝罪して警察車両に連行されていくさぶ。 大悟に一言語りかける。 『僕らをこの村から解放してくれ』 次の瞬間…さぶの頭が銃弾で貫かれていく。 別部隊の後藤家がさぶ宅に到着。 銃を乱射していく。 岩男達は大悟だけは生きて捕らえろと指示を出していく。 『祭りで使うガキなら替えはきく…例えば阿川の娘なんか最高やないか』 ここで7巻は終了である。 ガンニバル【7巻の感想】 恵介が大悟を頼ったシーンは個人的に感動の場面でした。 そして最後。 大悟の妻・有希、娘・ましろは大悟の相棒であった刑事の山伏が保護をしています。 彼も後藤家に近い人間だったのか…。 7巻ラストのシーンが本当に恐怖を煽ってきます。 誰が犠牲になって供花村の因習は断ち切られるのか…それとも後藤家に軍配が上がってしまうのか…。

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