新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事。 大伴家持歌碑(おおとものやかもちかひ)|鳥取市

新年のご挨拶🌸新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事

新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事

明けましておめでとうございます 本年は戌年 招福干支 東京人形町 土鈴の犬:神楽坂 起き上がり小法師 会津 自宅で 万葉集その六百六十五 新年の歌:戌 「 新 あらた しき 年の初めの 初春の 今日 けふ 降る雪の いや重 し け吉事 よごと 」 巻20-4516 大伴家持 新しい年の初め、この初春の今日降る雪のように めでたいことも次々と積み重なれ。 「いやしけ」: あとからあとから絶えることなく。 759年、因幡国庁 鳥取県 での賀宴で詠われたもので 万葉集掉尾 ちょうび を飾る一首。 当時、正月の大雪は豊年の瑞兆と考えられており、さらに、 この年は暦の上で元旦と立春が重なるという吉日。 幾重にもめでたい新年の歌です。 「 春立つや 新年ふるき 米五升 」 芭蕉 「ふるき米」は旧年中に人が瓢箪にいれてくれた米。 「さぁ、我家のひさごは米五升も入って心豊かな新年がやってきた。 」と寿ぐ作者。 「 犬ころが 越後獅子より あざやかに 舞ふとて二人 手のひらを打つ 」 与謝野晶子 犬ころ:子犬 本年の十二干支は戌、動物は犬が当てられています。 「戌」は「一」と「伐 ほこ 」を組み合わせた会意文字で、もともと 「刃物で作物を刈ってひとまとめに締めくくり、収穫する」意であったそうですが 干支名となったので原義が忘れられ「犬」と同義語になっています。 また「犬」は「いぬ」を描いた象形文字。 犬と戌がなぜ組み合わされたのかは定かではありません。 犬はあらゆる動物の中で最も古い家畜の一つとされ、今から2万年も前から 先祖である狼かそれに似た動物を長年にわたって飼い馴らし、交配を重ねて 生み出されたものと考えられています。 我国では縄文時代の遺跡から出土した骨などから、人々の良き伴侶して 生活をしていたことが窺われ、その祖先は今日の秋田犬と推定。 大和朝廷では「犬養部」という専門部署を設けて狩猟、警備、労役、軍用、 愛玩用に飼育させる重要な動物でした。 万葉集では3首 うち長歌2。 次の歌は番犬として詠われたもので、まずは訳文から。 「 赤駒を 馬屋に立たせ 黒駒を馬屋に立たせ そいつを大事に世話して 私が乗って行くように 可愛いい妻が おれの心に乗りかかってきてさ。 男の思い 」 「 そうそう、高い山の峰のくぼみに 射目を設けて鹿猪 しし を 待ち伏せるように 寝床を敷いて 私がお越しを待っている方なのだから 犬よ、やたらに吠えないでおくれ。 女の思い 」 巻13-3278 作者未詳 訓みくだし文 「 赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて そを飼ひ 我が行くごとく 思ひ妻 心に乗りて 高山の 峰のたをりに 射目 いめ 立てて 鹿猪 しし 待つごとく 床敷きて 我が待つ君を 犬な吠えそね 」 巻13-3278 作者未詳 赤駒: 栗毛の雄馬 赤駒、黒駒の対句によって勢ぞろいして馬に乗り 狩りに出かける様子を述べる そを飼い: 赤駒、黒駒を大切に飼育し 心に乗りて: 我が心に乗っかって離れない 峰のたをりに: 「たをり」峰続きの山の低くなった部分、鞍部で動物の通路 射目:鳥獣を射るために身を隠す場所 床敷きて: 共寝するために予め自分の着物を敷くこと 狩猟における収穫の宴の場で身振り,所作を交えながら 寸劇を演じたものと思われ 「 我家の守りについているワン公よ、私の恋の邪魔立てをするんじゃないよ」と おどけたユーモラスな一首。 伊藤博氏は 「 健康に満ちた、古代の狩場の高笑いがじかに聞こえてくるような歌で 興趣が尽きない。 生産に直結する男女のかような関係を、身をもって興じることは 幸の寿ぎにつながり、人々の歓楽をこよなく誘ったのであろう 」 と評されています。 「 かろやかに 駈けぬけゆきて ふりかへり われに見入る 犬のひとみよ 」 若山牧水 犬は古くから作物の獣害を追い払う霊性をもつ神の使いとされていました。 大和朝廷では薩摩隼人 狗人:くびと ともいう を宮廷の警護や儀式役に任命し、 隼人は見廻りにあたって吠声 はいせい を発していたそうです。 「吠声」とは犬の吠える声をまねたものですが、邪神、悪鬼を追い払い あたりを祓い清める呪術とされ、日常の警護のほか天皇の行幸の際にも 大声を出しながら先頭を歩き、さらに幕末に孝明天皇の大嘗祭でも 隼人発声がなされたといわれています。 現在いたるところの神社にみられる狛犬はこのような犬の霊性が 具象化されたものでしょうか。 「 犬吠 ほえ て 里遠からず 冬木立 」 正岡子規 ご参考: 戌年生まれの一代運勢 正直で義理堅く、自尊心が強い。 おおむね他力本願で成功する天運。 したがって謙虚にして、目上に従えば中年になって抜群の出世をする。 但し、強情さを謹んで謙虚にしないと、悔いの多い人生を送る憂いがあるので要注意。 十二干支の話題辞典 加藤迪男 東京堂出版より 万葉集665 新年の歌 戌 完 次回の更新は1月5日 金 の予定です。

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ひきつづき、いや重(し)け吉事:沖縄・八重山探偵団

新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事

「万葉集」が存在すること自体、奇跡であり、世界有数の文化遺産です。 現存最古の歌集であり、今日まで続く和歌(短歌)の源流をなすものです。 日本には、古い文化遺産が多すぎて、有ること自体が当たり前になっていてその凄さを実感できていないのではないでしょうか。 詩歌などを選択し、編集したものをアンソロジーといいます。 「花冠」(前7世紀から前3世紀の詩集)古代ギリシアのメシアグロス編 「詩経」(前1100年頃から前600年頃)中国の古典 などが最古のものといえるようですが、「万葉集」は質・量とも世界に冠たる日本の古典文化の粋をあつめたものであるということがいえます。 「万葉集」には、400年頃の仁徳天皇の磐姫皇后の歌[85]から759年正月の大伴家持の歌[4516]まで350年間にわたる4516首の歌が集められています。 天皇・皇后から貴族、階層の低い一般民衆の歌まで含みます。 太宰府に送られた防人の歌や農民の歌などを含み、現代の我々の琴線に触れる秀歌が集められています。 万葉集に歌われた感情は、現在に通じるものです。 古代人とて現代人と少しもかわりません。 古いもので1600年、新しい歌で1300年前の個人の喜怒哀楽が生き生きとつたわってきます。 日本人として心情においてつながっていることを実感できます。 最終的な編集責任者は、大伴家持(718年〜785年)であるとされています。 彼は、公卿として従三位中納言まで登りつめています。 つまり大臣クラスの高級官僚であったわけです。 和歌を読めるということは、貴族のみならず、官人としての必須の教養でした。 よって武家の時代になってからも、みな和歌を詠んでいます。 律令国家の最盛期である奈良時代は、唐風文化の最盛期でもあり、漢文が公用語とされる時代でもありました、その中にあって、「やまと言葉」の和歌集を後生に残す苦労は並大抵のものではなかったはずです。 「古事記」と並んで、唐風文化に対する日本の古来の考え方を守った本としても奇跡の本であると言えます。 江戸時代に入って、日本の心をたずねる国学が興ったとき、先ず「万葉集」と「古事記」の研究から始まりました。 山上 憶良(660年〜733年)の歌を紹介します。 「貧窮問答歌」[982]であるとか、その反歌である「世間を憂しと恥 やさ しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば[893]」や子供を歌った「銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも[803]」が有名です。 それだけではありません。 古代の日本を考える上で重要な歌を残しています。 憶良が、親戚である遣唐使丹比真人広成を天平5年 733年)3月1日に送別した時の長歌です。 憶良は、遣唐使に派遣された経験をもち、従五位下、筑紫守まで出世しました。 今で言うと県知事クラスの官僚です。 「神代より 言い伝えて来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳(いつく)しき国 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知り足り… (神代の昔から言い伝えて来たことがある、この大和の国(=日本)は皇祖の神の御霊の尊厳な国(=万世一系の天皇が厳として存在する国)、言霊が幸をもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。 此の事は今の世の人も悉く目のあたりに見、かつしっている。 …)[894]」 日本の高官であり、唐を知っていました。 さらに、白村江の戦いに敗れて帰国した武官の子供でもありました。 その唐と百済と日本の特徴を肌でつかんでいる国際教養人の憶良が日本を定義して 皇神の厳き国=皇祖の神の厳といます国つまり古代より天皇の統治する国 言霊の幸はう国=言霊が幸をもたらす国 万世一系の天皇の存在と、よい言霊によりよきことを招き寄せていることを今の世の人も悉く目のあたりに見て知っていると歌っているのです。 この言霊の力については、古今和歌集のかな序でも確認できます。 「やまと歌は、人の心を種として、よろず言の葉とぞなれりける。 …力をも入れずして天地(=天や地を守る神々のこと)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ=精霊のこと)をもあわれと思わせ、男女の中をもやわらげ、猛きもののふのこころをも慰むるは歌なり。 」 つまり、言霊によって天や地を守る神々も目に見えぬ精霊をも動かすことが出来ると述べているのです。 ドナルド・キーンは、このかな序を書いた紀貫之は、「詩には超自然的な存在を動かす力があると説いていて、これは欧米で超自然的な存在が、その霊感に動かされた詩人を通して語るのだと信じられていたことと反対である。 」と述べています。 圧倒的な唐化の時代である奈良時代にあって、日本としてのアイデンティティを主張した「万葉集」を学ぶことによって、グローバリズムの中で、本来の日本の良さを忘れている私達は、日本の歴史を肯定的に学び直す必要があるように思います。 まさに「温故知新」です。 万葉集を源流とする和歌は、やがて古今和歌集 905年 から新続古今和歌集(1439年)までつらなる21の勅撰和歌集(天皇の命によって編纂された和歌集)につながっています。 さらには、今日宮中行事として定着している「歌会始の議」につながっています。 毎年お題が発表され、応募して選ばれた歌人は、高校生であろうと老人であろうと地位にかかわらず今日でも宮中に呼ばれ天皇・皇后の前で和歌が朗詠されます。 万葉集時代の「和歌の前に平等」の精神が今も息づいているのです。 言霊に力があるのかということについて、宇野正美の講演会で不思議な話を聞きました。 大東亜戦争の激戦地であった硫黄島には、たくさんの兵士が眠っています。 自衛隊が駐屯しているのですが、この島では浮かばれない兵士の幽霊が自衛隊員を悩ますのを通例としていたとのことです。 天皇皇后両陛下が硫黄島にこられ慰霊の和歌を詠まれたあとは、怪奇現象がなくなり、自衛隊員が幽霊に悩まされることは、なくなったということです。 言霊には力があるのです。 古来日本人は、よき言霊によりよきことを招き寄せることができると信じていたのです。 否、知っていたのです。 「万葉集」の結びの和歌は、 「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ(=つづけ)吉事(よごと)[4516]」とあります。 雪が降り続くように良いことが続きますように、という祈りの込められた「万葉集」は、今日まで受け継がれることとなりました。 国歌「君が代」も、日本国及び日本国の象徴であります天皇が永遠に弥栄えますように、との伝統にのっとった祈りであることがわかります。

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18. 万葉集の奇跡

新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 読み:あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと 作者 大伴家持 20-4516 万葉集 最後の歌として、作者が自ら収録 現代語訳 新しい年の初めの初春の今日降る雪のように、積もれよ、良いことが 解説と鑑賞 本歌は、令和の典拠である「梅花の歌32首」の序文作者大伴旅人の息子、大伴家持作の万葉集の一番最後の歌になります。 元日と豊年を歌った歌で、元号が令和に変わる来月も、また「新しい年」と言えそうです。 作者大伴家持について 父大伴旅人は歌人として活躍しましたが、大伴家持も、文武両方に優れた大伴氏の一族を率いていくべく、さらにいっそう歌人として優れた歌を残すと同時に、万葉集の編纂にも貢献した人物です。 この歌の詠まれた意図と背景 この歌は、 因幡守であった大伴家持が 天平宝字3年の正月の一日に催した新年の宴で、部下たちに披露したのがこの賀歌です。 正月の大雪は、豊年の瑞兆であり、万葉集の編者である 大伴家持は祝言性の豊かなこの歌を、万葉集の最後に据えることで、万葉集を万世の後まで伝えようとする志を籠めたものでしょう。 上手な歌、秀歌というのではなく、お祝いの歌として、この歌が万葉集の最後の締めくくりとなっているところに大きな意味があります。 語句の解説 「新しき」は読みは古い読み方で、「あらたしき」との読み。 「いやしけ吉事」は、「いや」は接頭語で「ますます」「いよいよ」の意味。 「しけ」は「しく」の「あとからあとから、絶え間なく続くこと」の、その命令形。 「吉事」は、「良いこと」の意味です。 一首の解説 この歌は元日と、実りの豊かな年となるといわれる元旦の雪とのめでたさを重ねて序詞としています。 「新しき年の初めの初春の今日降る」の部分が「雪」にかかります。 この「雪」は単なる雪ではなくて、元旦に降る雪であるからこそ、二重におめでたいのです。 そのように、実際に元旦と豊年の良いことが目の前に起こっていることで、それを二つ並べた上で、さらに「しけ」、つまり「重なれ」と言ったのです。 暦日からの意義 また、この歌には、それにはとどまらない 暦日からの意義もあります。 ちょっと難しいのですが、詳しく述べてみますと、この歌が詠まれた当日は、暦日からいっても、立春新年(天の紀)と正月新年(王の紀)とが19年に一度重なる「歳旦立春」」という特別な日でした。 王権賛美のこころ そして、大伴家持はこの暦日というものにも詳しい知識がありました。 というのは、古代の暦というのは、帝王が独占する当時の時間的な根本原理であり、国守であった大伴家持はその統治の執行者でもあります。 つまり古代には、暦の神秘性は政治ともかかわりがあったのです。 この歌が詠まれた日の真のめでたさは、その19年に一度のイベント「歳旦立春」にあるということになります。 すると、重なっているものは、豊年の雪と新年だけではありませんで、もう一つ「歳旦立春」という要素があり、実は大伴家持が表したかったことはその点でもあるのです。 万葉集「万葉」の意味は そもそも、万葉集の「万葉」の意味は、「葉」は世・時代の意味であり、万葉というのは、「万世」または「万代」と書きよろづよとよまれる、永代のことです。 天皇の宰(みこともち)として、自らが収める国の豊年と、統治が永遠に失われることなく続く、そのめでたさというのが、この歌の本質であり、そして、万葉集が文字通り「万葉」までも伝われという祈念が、この歌を万葉集の末尾に配置させたのです。 斎藤茂吉の評 斎藤茂吉は、ある意味「形式的な歌」としながらも、「年の初めの初春の」の「の」をもって続けた伸び伸びとした調べを指摘しています。 また「吉事」の名詞止めと、「吉事」との言葉の特異性、その声調にも注意を喚起しています。 ぜひおめでたい年の初めに、この歌を思い出して朗詠してみることをおすすめします。 また、ピーター・マクミランさんが、この歌の英訳を朝日新聞に掲載していますので、英語になったこの歌も併せてお読みください。

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