無名草子 現代語訳 紫式部。 東京学力会のBLOG : テスト対策

無名草子「清少納言と紫式部」

無名草子 現代語訳 紫式部

2020年7月 月 火 水 木 金 土 日 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 最近の投稿• アーカイブ• カテゴリー• 投稿者• 108• 64 こんにちは。 ゆりかと申します。 今回は今年度中世文学自主ゼミで扱う『無名草子』の魅力について語っていきたいと思います。 とその前に、まず自主ゼミの説明を簡単にしたいと思います。 昼休みに学生が自主的に学びの場を提供する、平たく言えばサークルのようなものです。 内容や時間帯 月曜日なのか水曜日なのか等々 は各ゼミによって異なります。 学生中心に活動しているので、通常の授業のように堅苦しくもなくもっと自由な意見交換ができます。 資料の作り方や勉学のことは先輩が優しく教えてくれます。 きっと後期の演習や発表などに役立ちますよ。 ちなみに中世文学自主ゼミは水曜日の昼休みに活動しており、場所は百年館8階の石井先生の研究室です。 4月の12日・19日・26日のお昼休みにはもう活動しているので、興味がある方はぜひ見学にいらしてください。 さて、今年度中世文学自主ゼミで一年を通して扱う『無名草子』について説明していきたいと思います!冒頭は老女の元に若い女房たちがやってきて色々な話をしてください、と始まります。 会話調で『枕草子』を彷彿とさせるような活気のあるガールズトークが魅力です。 ツッコミや合いの手が多く、そこが面白いところだと思います。 もう少し詳しく話すと、後白河院に仕え、高倉天皇の御代まで内裏生活を送ったのちに、七十三歳で出家した老尼が最勝光院近くの古屋で女房たちのおしゃべりを聞く、ちょっとした女子会の構成です。 全体の約六割が物語論で、その後女性論が繰り広げられ男性論を始めようとしたところで終わっています。 そして、この時代は『源氏物語』や『枕草子』などが主に創作のベースとなっていました。 そのため、『無名草子』や『徒然草』などの中世随筆文学は『枕草子』に影響されたような表現があります。 和歌の分野では、歌壇の重鎮・藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは遺憾事也」という名言を残しています。 「『源氏物語』も知らないなんて、歌人としてお話にならない」という意味で、この発言を機に『源氏物語』が和歌の必須の参考書になりました。 物語批評に関しては『玉藻』『とりかへばや』など現在残っていない作品もちらほらあり、中には「『源氏』をまねてるが、失敗してて痛いよね」と酷評されているものもあります。 それもそのはず、この時代の物語はあまた作られており、現代でいうラノベのようなものだったのです。 まさに大量生産・大量消費ですね。 面白いものは残り、面白くないものは自然と消えていくものです。 紫式部は前世からの因縁で仏の力によってあれほどの大作を書いたのだ」という流れから、「私は『源氏物語』を読んだことがないの、だからどうか私に物語の見所を教えてほしいわ」と若い女房が言ったところから始まります。 そこから、「『源氏物語』の中でしみじみと心打たれる巻といえば、桐壺の巻以上のものがあろうか」、「『夕顔』はただひたすら、しみじみと同情心がそそられるわ」などなど女房たちのご意見はたくさんあります。 このように、どれどれの巻について一言コメントを付けられるということは、各巻を中世の女性はきちんと読みこんでいるということです。 つまり、「源氏の中ですばらしい人は誰?」とみんなで話ができる程中世女性にとっては常識的なたしなみだったことが分かります。 他にも、『源氏』を読んだことがない若い女房が、「『源氏』の中ですばらしい女性はいますか?」と質問しています。 これについては、「桐壺の更衣、藤壺の宮、葵の上の自信を律する心遣い、紫の上、明石の君は奥ゆかしく印象的です」と語っています。 そして、「強く心ひかれる女性」の最後の方に「又、六条の御息所の中将こそ宮仕人の中にいみじけれ」とあることから、女房たちが「私と同じ官職の人だ」とモブに対してもきちんと目配りしていることが分かります。 また、女三の宮に対しては、柏木との密通の手紙を女三の宮の不注意で源氏に見つかってしまったことから、思慮分別が乏しいためだとして、非難されています。 なかなか辛口なコメントですね。 『無名草子』の女性論では、「本当に残念だが女ほど残念なものはない。 何事も道を習うならそれなりの人がでるべき。 女が勅撰集の撰者になれないのが悔しい。 しかし、紫式部が『源氏』をつくり、清少納言が『枕草子』を執筆したように、物語の作者の大部分が女性であった。 人前に出ない女性もいるが、それはそれでいい。 私たち人前に顔をさらして生きる女房は、紫式部や清少納言、小野小町のように女房として名を残し、あのサロンにあの人ありと言われたい。 後世まで名の残らないのは悔しい。 勅撰集に女の歌が入るのは本当に難しいんだ。 」という、中世女房としての嘆きが書かれている。 この『無名草子』という文学作品から、中世の女房たちがどういう人たちに興味を持ち、どういう不満を持っていたのかが分かるのです。 例えば、『源氏物語』を執筆した紫式部の仕えた一条天皇中宮彰子と、『枕草子』を書いた清少納言の仕えた一条天皇皇后定子のどちらの方がよりすばらしいか、という質問に対して、「定子さまの方が美人で帝の寵愛も深かったようですよ」と答えています。 いつの時代でもゴシップは人気なのだそうです。 このように、中世の女性たちは私たちが思っているほど、男性の三歩後ろを歩くような物静かでおとなしい女性ではなく、もっとエネルギッシュで自分から物事を発信し、発言していくたくましさを備えています。 アグレッシヴで自立した女性ですね。 石井先生のお言葉を借りるなら中世文学は「全体を通してうかがわれるのは、王朝文化に対する強い憧憬の念」があるのです。 中世において文化的リーダーであった美福門院加賀は、破廉恥な本を書いたために地獄に落ちたと語る紫式部を夢で見たことから、源氏供養を行ったと言われている。 『源氏物語』は今のように無条件に高評価を得る作品ではなく、恋愛や密通による王権侵犯というテーマを扱っているために危険視される側面もあったのです。 つまり、「仏教的にアウト!」だった訳です。 しかし、源氏供養によって、書写という仏教的な方法で供養され、火葬されます。 自分で書写した本を焼いてしまうことで、誰の手にも渡らない「わたしだけの『源氏物語』」になる訳です。 執着心や独占欲による歪んだ愛ですね。 石井先生はヤンデレに近いとおっしゃっていました。 つまり、村上春樹やアップルにアンチがいるのと同じように、当時は大変な『源氏物語』ブームだったということの裏返しなのですね。 そもそも仏教において愛欲は罪なのです。 ですから、愛欲を前面に出した『源氏物語』に対する弾圧は我々の想像の範疇を超えています。 だからこそ、無名草子においても「法華経の経文の一語も入っていないなんて」という批判も出てくる訳ですね。 と石井先生がおっしゃっていました 笑。 思い通りにならない政治や自然災害、自分に向けられることのない愛などの生活苦から、「自分ではどうにもならないやるせなさ」が人間を宗教に駆り立てるのでしょうね…。 紫式部の『源氏物語』は人間として普遍的な現実のやるせなさがよく現われているのです。 毎回ハッピーエンドで終わる「そんなの、綺麗事だよ…」と思う作品群とは一線を画しています。 そのため、『無名草子』では紫式部は仏の力を借りて『源氏物語』を作ったのではないかといわれているのです。 青空によく映えます。 桜は花びらが全て下向きなので、見上げる角度が一番きれいな花なんです。 日本の国花だけにはかなく美しい花ですよね。 以上、長文失礼いたしました。 by , , , Post navigation.

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清少納言と紫式部 は仲が悪かったというのは本当なのか?

無名草子 現代語訳 紫式部

清少納言と紫式部 の仕えた相手 清少納言と紫式部。 二人はともに下級貴族の娘として生まれ、天皇のお后に仕えました。 清少納言が仕えたのは、の娘である定子。 紫式部が仕えたのは、の娘である彰子です。 定子も彰子も、ともにのお后でした。 図にするとこうなります。 ちなみに道隆と道長は兄弟ですが、道隆家と道長家は権力争いという意味ではライバル関係です。 確かに、こう見ると、権力を争う家の娘に仕える女性同士、互いにライバル心を持っていてもおかしくないように見えます。 作風の違い 清少納言の書いた「枕草子」は、中宮定子の周りに仕えた女房たちによって共有されていたセンスを伝えてくれるものです。 日々の話題や、使っていた言葉、ちょっとした受け答え、自然や風物、人々のあり方への洞察などが書き集められていますが、その価値観を代表する言葉は「 をかし」です。 一方、紫式部の書いた「源氏物語」については「 もののあはれ」を表現した文学だと言われます。 江戸時代の学者であるは「」の中で、 「物語はもののあはれを知るをむねとして(物語はもののあはれを理解することが主旨であり)」 と述べた上で、 「もののあはれを書き述べて、源氏の君をば、むねとよき人の本として(もののあはれ深さを繰り返し書き述べて、光源氏を、専らよい人の手本として)」 と述べて、源氏物語の主人公である光源氏を「もののあはれ」を体現する人物として描いているとします。 「をかし」はものを客観的に理知的に賞美する感じ。 イイネ!という明るいイメージの言葉です。 「あはれ」はしみじみとした感動を示す言葉で、ジワーっとしたイメージの言葉です。 清少納言と紫式部は互いに「文章で表現したかったこと」においても対立するように見えますね。 性格の違い では、二人は互いにどんな性格の持ち主だったのでしょうか。 清少納言については「枕草子」の中にこんな記事があります。 大進生昌という人に家に中宮定子たちが赴いた際の「生昌の家の門が狭くて、大変に通りにくかったこと」 についての会話です。 (清少納言)「などその門はた、せばくは作りて住み給ひける。 」(どうしてその門をまた、狭く作って住みなさっているの?) (生昌)「家の程、身の程にあはせて侍るなり。 」(家柄や身分に合わせてのことです。 ) (清少納言)「されど門のかぎりを高う作りたる人もありけるは」(でも、門だけを高く作っている人もいるわよ。 ) (生昌)「それは于定国が事にこそ侍るなれ。 」(それは于定国の故事ですね!) 「于定国が事」というのは「」などにある話で、要するに清少納言はここで「 漢文の知識を披露して男性貴族を驚かせている」わけです。 当時漢文は男性貴族の教養で、女性が漢文に通じているのはすごいことでした。 「知識や教養、機知に富んだ受け答えを披露して、相手を驚かせてしまうワタシ」について語ったエピソードが「枕草子」には、たくさんあります。 どうも清少納言からは「 気がつくと自慢話を始めてしまうキラキラ女子」の性格が伺えます。 さらに「 たくましく貴族社会で生き抜くバリキャリ系女子」のイメージも重なります。 では、一方紫式部はどうでしょう。 紫式部の日記である「」にはこんな記事があります。 「誇りかにきらきらしく、心地よげに見ゆる人あり。 」(誇らしくキラキラしていて、気分良さそうに見える人がいる。 ) 「『われは』と思へる人の前にては、うるさければ、もの言ふことももの憂く侍り。 」(「我こそは」と思っている人の前では、うっとうしくて、しゃべるのもダルいです。 ) 「 ああいうキラキラして我の強い人たちに比べて、私は人の中に混ざって働くのは向いてない」と苦悩を述べている部分です。 これは直接清少納言を名指ししているわけではないのですが、少なくとも、紫式部の内向的な性格が見えます。 性格という点でも、二人はどうも相容れなさそうですね。 次のページへ スポンサーリンク カテゴリー• 126• 377• 366• 1,431• 150• 816• 594• 173• 100• 180• 145• 135• 109• 567•

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無名草子『清少納言』解説・品詞分解(1)

無名草子 現代語訳 紫式部

====== 「同じことを繰り返して言うようですが、いくら言っても言い尽くせないほどうらやましく結構なことは、大斎院から上東門院のもとに、『所在ない気持ちを慰められるような物語がありますか。 』と、お尋ね申しあげなさったところ、(上東門院が)紫式部をお呼びになって、『何を献上したらよいだろうか。 』とおっしゃったので、『珍しい作品は何もございません。 新しく作って献上なさいませ。 』と申しあげたところ、『(では、そなたが)お作り。 』とおっしゃったのをお引き受けして、『源氏物語』を作ったということですが、それはすばらしく結構なことです。 」と言う人がありますと、 また(別の一人が)、「まだ宮仕えもしないで自宅におりました時、こうした物語を作り出したのでお召し出しになって、その(物語の)ために紫式部という名前をつけたとも申しますのは、どちらが本当でございましょうか。 その紫式部の日記というものがございました(が、それ)にも、『参内した初めのころは、りっぱな人だから気恥ずかしくもあり、気が置けるようでもあり、また、つきあいにくくもあるだろうと、(女房たちは)各自(私に対して)思っていたところ、(接してみると)たいそう意外なほどばんやりしていて、未熟で、一という文字さえ書けないような様子だったので、こんなだとは思わなかったと友達の女房たちが思っていられる。 』などと見えております。 主君(道長公)の御様子などを、たいそう結構なことにお思い申しあげながらも、ほんのわずかでも好色めいてなれなれしい態度で書いていない点もすばらしく、また皇太后官(中宮彰子)の御事をこの上なく結構なものとしてお書きするにつけても、(その中に)心もうち解けてきて親しくお仕えしたあたりのことも、また道長公の御様子も(彼女に対して)たいそう親しみを持っておられたことなどを書き表しているのも、(紫式部の)性格には似つかわしくないようであるようです。 (しかし)一方これはまた(道長公の)御性格のあらわれでありしょう。 」 ====== これで間に合うでしょうか?.

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