せめて もの 意味。 1、「それからというもの」はどういう意味でしょうか「もの」は何です

「1mgなら安全」は誤解!軽いタバコの健康リスク [タバコ・禁煙] All About

せめて もの 意味

海外への渡航が難しい今、せめて各国の味で旅気分を味わいたいもの。 そこで、マレーシア通の古川 音さんに簡単にできるマレーシアごはんのレシピを教えていただきました! あみあみ状の可愛いクレープ。 といっても、甘いスイーツではなく、カレーとともに食べる軽食です。 一口サイズのフィンガーフードで、ホームパーティーにもぴったり。 ターメリック色のマレーシア版クレープのレシピ 料理名は「ロティ・ジャラ Roti Jala」。 ロティとはパンのような粉もの全般、ジャラはあみ状のもの、という意味。 レシピはアスリシェフに教えてもらいました。 ぽこぽこと穴の開いたネットのような見ため。 もっちり、しっとりした食感。 生地にターメリックを加えているので、エキゾチックな香りがカレーによく合います。 レシピは簡単で、テフロン加工のフライパンと100円ショップで売っているソースの容器さえあれば、10分でできます。 クレープのように生地を薄くのばす技術も必要ありません。 おもな材料は、小麦粉、牛乳、ターメリック、卵。 ちなみに、現地では牛乳ではなくココナッツミルクを使う。 指で押して出すタイプの容器がおすすめ。 2 フライパンに油を薄くひき、弱火で生地をあみ状に焼く。 両面で1分ほど。 生地を押し出しながら円をいくつも描いていくと、自然にあみ状になる。 できるだけ均等の力で容器を押すと、線の細さが一定で美しい。 3 皿に取り出し、4つに折りたためばできあがり。 カレーにつけてどうぞ。 合わせるカレーは何でもOK。 マレーシアのカレーに挑戦してみたいなら、のレシピ「日本で買える食材&スパイスでできる! マレーシアの本格チキンカレーの作り方」をご覧ください。 さて、ロティジャラはマレーシアでおめでたい色とされる黄色であり、片手で気軽に食べられるので、結婚式などの人がたくさん集まるときの料理として人気。 人口の約60%を占めるイスラム教徒がおこなうラマダン 断食月 明けのお祭りの定番料理でもあり、家庭でロティ・ジャラを手作りすることも多々。 家に訪れる親戚や近所の人の分まで作るため、「小麦粉3キロ分のロティ・ジャラをひたすら焼き続けたことがあるよ」とお祭り前日の思い出を語ってくれた友人もいました。 あみのカタチは、漁師が魚を捕るときに使うネットをモチーフにしているそう。 ちなみに、ふくらし粉のようなものは一切入れていないので、もっちり食感を楽しみたいなら、焼きたてを食べましょう。 ホットプレートで、お子さまと一緒に作っても楽しいです。 マレーシアのパーティー料理をぜひお試しください。

次の

【もの】と【こと】の意味の違いと使い方の例文

せめて もの 意味

まず、以下の会話をごらんください。 佐藤さん:「木村さんの車、しばらく貸してもらえませんか。 できれば1週間くらい」 木村さん:「1週間は無理ですよ。 せめて二三日ぐらいだったら、貸せないこともないけど」 【質問】 この木村さんの【せめて】の使い方に問題はないでしょうか。 私は特に問題は無いと考えているのですが、感覚的なものでして、その根拠が曖昧です。 「せめて」に関してネット辞書では、 「それで満足というわけではないが、最小限これだけでもという話し手の気持ちを表す。 少なくとも。 」 という意味と解説されています。 辞書のとおりを上記の木村さんの言に当てはめると、 ・「1週間は無理ですよ。 少なくとも二三日ぐらいだったら、貸せないこともないけど」 となりますが、「少なくとも二三日」という表現は、この状況においては不自然になります。 そうすると、 「1週間は無理ですよ。 せめて二三日ぐらいだったら、貸せないこともないけど」 という文における【せめて】という語の使い方に問題は無い、とする私の考えは間違いなのでしょうか。 諸賢のご回答をお待ちしております。 #1の回答者です。 >>> いざ辞書を探してみると、「少なくとも」で、和英では[ at least ]となっています。 >>> 文意として成立するのだろうか、と思ってしまいました。 一般に、英語の副詞と日本語の副詞は、一対一対応をしません。 >>> 今回ご提示いただいた、 「1週間は無理ですよ。 せめて、(日数を縮めて)二、三日にしてくれたら、貸せないこともないけど」 という例文にしても、 「少なくとも」という意味にこだわると、「少なくとも(日数を縮めて)二,三日にしてくれたら」 という意味になり、そうすると、 「少なくとも[ at least ]二,三日」と言うのであれば、「本当の気持ちとしては四,五日のほうが都合が良い」ことになってしまうような気がするわけです。 それは、まったく違います。 私が提示した文における「せめて」は、 「二、三日」にかかっているのではなく「してくれたら」にかかっているのです。 「せめて、そうしてくれたら」 「少なくとも、そうしてくれたら」 ということです。 >>> 私の検索した範囲では見つからなかったのですが、 「それで満足というわけではないが、最小限これだけでもという話し手の気持ちを表す。 少なくとも。 」 以外の意味を「せめて」に適用することができるのでしょうか。 そうです。 「せめて」は数量だけにかかる副詞ではありませんので。 「食事はおごるから、せめて帰りのタクシー代は払ってよ。 」 「社会人になって2年目なのだから、せめて遅刻はしないようにしてくれ。 」 「クルマは貸してあげるから、せめて二、三日以内には返してくれないか。 」 >>> たとえば「(こちらの)都合の良いように」「(こちらの)希望に沿って」などの意味があれば、今回のような場合も説明ができるように思うのですが。 上記の「せめて、そうしてくれたら」は、話し手の都合や希望を表しています。 以上、ご参考になりましたら幸いです。 ご回答ありがとうございます。 >私が提示した文における「せめて」は、 「二、三日」にかかっているのではなく「してくれたら」にかかっているのです。 :わかりました。 「して」は「縮める」の代用動詞?で、「せめて日数を縮めてくれたら」というご趣旨でしたか。 理解が遅くてすみません。 そうすると「少なくとも」という意味のままで解釈が可能になりますね。 「食事はおごるから、せめて帰りのタクシー代は払ってよ。 」は、 「食事代と同じ金額を支払えとまでは言わないが、少なくとも帰りのタクシー代は払ってよ」 「社会人になって2年目なのだから、せめて遅刻はしないようにしてくれ。 」は、 「社会人になって2年目なのだから、営業成績トップになれとまでは言わないが少なくとも遅刻はしないようにしてくれ。 」 という感じになるでしょうか。 「広辞苑」に「十分ではないが」という解説があるようですが、これとも通じるものがあるようです。 どうもお手数をおかけしました。 大変参考になりました。 ご回答ありがとうございます。 >私たちは文法的に間違った文章や会話をバンバンしてます :いや全くおっしゃるとおりです。 テレビ局のアナウンサーでも国会議員でも平気で間違った日本語表現をしますからね。 それだけ日本語が難しいということなのでしょうが、なるべく正しい表現に近づけていきたいものです。 私も、後で振り返ってみると冷や汗物の言葉遣いを平気でしたりしていますから、人のことは言えませんけれども。 >その人の感覚で文章や言葉を話せばいいんです。 :ただ、ひとつの言葉に関して同じ解釈を共有していないと、コミュニケーションに支障をきたしたり、誤解や感情的なもつれにつながることもあります。 「せめて」の使い方に関しては、単なる私の感覚だけではなく、本来の意味的にも根拠があったようなので安堵しています。 >「たとえば」も不自然じゃないですよ :なるほど。 気づきませんでした。 言われてみれば、それもよく使われる表現ですね。 大変参考になりました。 ご回答ありがとうございます。 広辞苑の解説を大変興味深く拝見しました。 今までは、「せめて」の説明が、 「最小限これだけでもという話し手の気持ち」 あるいは、 「少なくとも」 と[ at least ]を意味するものしか見つからず困惑していました。 今回の例文に当てはめると、 「少なくとも[ at least ]二,三日」と言うのであれば、「本当の気持ちとしては四,五日のほうが都合が良い」ことになってしまうような気がするわけです。 そうすると、文の意図とは別の意味になってしまいますよね。 しかし、教えていただいた中にあるように、「十分ではないが」という意味であれば、 「二、三日という日数に十分満足しているわけではないが」=「本当はもっと短くしたいのだが」 という解釈が可能になりますね。 これであれば意味は通ります。 単に「十分ではないが」という意味に捉えても良いのであれば汎用性があります。 おかげさまで少し安堵しました。 広辞苑は良い辞典ですね。 いざ辞書を探してみると、「少なくとも」で、和英では[ at least ]となっています。 文意として成立するのだろうか、と思ってしまいました。 今回ご提示いただいた、 「1週間は無理ですよ。 せめて、(日数を縮めて)二、三日にしてくれたら、貸せないこともないけど」 という例文にしても、 「少なくとも」という意味にこだわると、「少なくとも(日数を縮めて)二,三日にしてくれたら」 という意味になり、そうすると、 「少なくとも[ at least ]二,三日」と言うのであれば、「本当の気持ちとしては四,五日のほうが都合が良い」ことになってしまうような気がするわけです。 私の検索した範囲では見つからなかったのですが、 「それで満足というわけではないが、最小限これだけでもという話し手の気持ちを表す。 少なくとも。 」 以外の意味を「せめて」に適用することができるのでしょうか。 たとえば「(こちらの)都合の良いように」「(こちらの)希望に沿って」などの意味があれば、今回のような場合も説明ができるように思うのですが。 A ベストアンサー 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか? ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、 私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。 「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。 これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。 1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。 」 2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。 」 1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。 2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。 1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。 」 2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。 」 これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。 2は素直な人が話しているなら単なる並列。 ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。 とまあ、こんなところです。 前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。 色々な回答がつくといいですね。 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか?... A ベストアンサー 「話し言葉が抜け切れず」とありますが、この「話し言葉」とは、「書き言葉」に対する「話し言葉」ではなく、「友達と話すような言葉(いわゆるタメ口)」のことでしょうか。 ご質問の様子からすると「敬語を上手に使って話したい」ということであるように思いましたので、それを前提に書きたいと思います。 違っていたらごめんなさい。 ご質問にある「もしかして」「かも」は、どちらも敬語表現のある言葉ではありません。 敬語はほとんどの場合、動詞と名詞を尊敬表現や謙譲表現に変えます。 「もしかして」は「もしかしたら、もしかすると」の方が改まった感じはしますが、 道で恩師とばったり会い、「もしかして、鈴木先生ではありませんか(ございませんか)?」 などと言ってもおかしいということはありません。 質問者さんが「もしかして」を使ってはいけないのでは、と思ったのは、最近、若い人の間で 「もしかして、今ヒマ?」 など、質問するときに「もしかして」を多く使う傾向があるからではないでしょうか。 「もしかして」は、「(そんなふうには思っていなかったけれど)ひょっとして」というような意味です。 これは、私の推測ですが、「もしかして、今ヒマ?」というのは、「あなたのことをいつもヒマでしょうがないなんて、失礼な見方をしているわけじゃないよ。 今は、たまたまヒマそうだから聞くんだよ」というような一種の「気づかい」の意味で「もしかして」と付け加えているのではないかと思うのです。 それがだんだん、「もしかして」とつけ加えること自体が「気づかい」を表すようになっていっている気がします。 「失礼ですが」という意味に近いですね。 これは、一種の若者言葉だと思います。 たとえば 「佐藤さん、もしかして結婚しているんですか」 などといった場合、言った人は「こんなことをお聞きするのは失礼ですが、佐藤さんは結婚しているのですか?」という意味を込めているのかもしれません。 しかし、一般的には 「とても結婚しているとは思えないけど、ひょっとして結婚しているんですか」 という意味に受け取られると思います。 敬語表現を正しく使って 「佐藤さん、もしかするとご結婚なさっているんですか」 と聞いても、失礼なことに変わりありません。 「かも知れません」は、 「もしかすると、明日は雨が降るかも知れません」などと使えます。 「台風で欠航になるかも知れません」「私の説明が悪かったのかも知れません」など、誰のせいでもないことや自分に関する悪い推測に使うのは違和感がありませんが、「先生のやり方が間違っていたのかもしれません」など、相手の行動に関して使うと、暗に相手を責めているように聞こえる場合があるので注意が必要です。 これは、文法上の敬語の問題ではなく、相手を思いやる、傷つけないように気をつけるという気持ちの問題です。 敬語は、相手に尊敬の気持ちを持っている、あるいは相手を尊重している、敵意を持っていない、という気持ちを伝えるために使います。 尊敬語、謙譲語を完璧に使いこなしていればそれで良いというものではありません。 「プライベートな問題をいきなり尋ねない」「公の場で相手の非を責めない」というような「気づかい」も敬語の一部といえます。 「先方がまだいらっしゃらないのは、もしかすると、部長が書いてくださった地図が間違っていたのかもしれません」 敬語を使っても、部長は気を悪くしてしまうのではないでしょうか。 「自身」「私自身」は、敬語表現とは関係なく使います。 相手に対して「ご自身のことを第一にお考えになってください」などと使うことはありますが、これは「ご」が「自身」に尊敬の意味を加えているのです。 敬語に関するサイトには、以下のようなものがあります。 kcn. html 「話し言葉が抜け切れず」とありますが、この「話し言葉」とは、「書き言葉」に対する「話し言葉」ではなく、「友達と話すような言葉(いわゆるタメ口)」のことでしょうか。 ご質問の様子からすると「敬語を上手に使って話したい」ということであるように思いましたので、それを前提に書きたいと思います。 違っていたらごめんなさい。 ご質問にある「もしかして」「かも」は、どちらも敬語表現のある言葉ではありません。 敬語はほとんどの場合、動詞と名詞を尊敬表現や謙譲表現に変えます。 「もしかして」... Q 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。 「を通じて」 1.秘書を通じて社長との面会を乞う。 2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。 3.テレビを通じて広告をする。 4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。 「を通して」 1.書物を通して世界を知る。 2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。 3.仲人を通して娘の縁談を進める。 4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。 どうか、よろしくお願い致します。 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を... A ベストアンサー 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。 ) なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。 ・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。 医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない( 4のご回答でも指摘がある。 ) ・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。 更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。 私なら、もっと軽い感じに、 「実践的な臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床の経験を重ねる。 」 「臨床の実践経験を積む。 」 などなどでもよさそうに思います。 4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、 2と 4は、似ているようです。 改めて、いくつか意見を述べておきます。 一つ目は、 「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、 「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、 ということです。 (短めの漢語は、中間。 ) 二つ目は、 「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。 「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、 もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。 三つ目は、 「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。 「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。 四つ目は、 「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、 「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。 これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。 改めて考えても、 2 3も、 4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。 4では >「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの 3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.) とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。 3では >「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、 >(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。 ) >具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、 >ということです。 の 「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」 というのは、"単なる" に意味の重点があって、 「秘書に重きをおかない」という意味です。 ところで、質問では、 「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 」 とありますが、 この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど... A ベストアンサー 「しまう」には「了う」という表記もあります。 「仕舞う」だけは常用漢字表の音訓で書き表せますが、「了う」「終う」は表外音訓になります。 公用文や新聞では仮名書きの「しまう」を使うことになっています。 いくつかの辞書を見た限りでは、「しまう・しまい」の見出しの漢字はまちまちで、使い分けには触れていません。 また、能楽の「仕舞」との関連などに触れた辞書も見当たりません。 能楽の「仕舞」を見出しに立てている辞書も、「しまう・しまい」との関連は全く触れていません。 ということで、「しまう・しまい」を「仕舞う・仕舞い」と書くのは、おそらく当て字であろうと思われます。 片付ける。 シはスル(為る)の連用形で「仕」は当て字。 とあります。 室町時代には「成し遂げる」の意味で使用。 「終りにする」の意味は江戸時代からの用法。 さらには「入れ収める」「片付ける」「殺して始末をつける」の意味も。 補助動詞としての「シマウ」は江戸時代からで、「~し終える」の意味や強調としても用いられたとのことです。 能楽の「仕舞」は、これらの「しまう・しまい」とは意味のつながりが全くありません。 たんなる憶測ですが、音が同じ「仕舞」の表記を借りて「しまい」に当てたのかもしれません。 「しまう」には「了う」という表記もあります。 「仕舞う」だけは常用漢字表の音訓で書き表せますが、「了う」「終う」は表外音訓になります。 公用文や新聞では仮名書きの「しまう」を使うことになっています。 いくつかの辞書を見た限りでは、「しまう・しまい」の見出しの漢字はまちまちで、使い分けには触れていません。 また、能楽の「仕舞」との関連などに触れた辞書も見当たりません。 能楽の「仕舞」を見出しに立てている辞書も、「しまう・しまい」との関連は全く触れていません。 ということで... A ベストアンサー 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。 それも「かかわる」でなく「かかる」です。 「人命に係 かか る問題」「係 かか り結び」など。 前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合 常用漢字の基準では 「係わる」でなく「かかわる」です。 結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。 漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。 ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。 漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。 一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的 「関わらない」「係わらない」 にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。 ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。 念のため。 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい... A ベストアンサー No.1の方のおっしゃるとおり、二つとも日本語としてきちんと存在します。 「正しい言葉」という表現事態に違和感を感じますが、まあ「正しい言葉」です。 例文挙げればなんとなくお分かりいただけるとおもうのですが。 <気を使う> 「お正月でお義母さんのところにも挨拶に行くんだけど、あそこに行くと、いつも気を使っちゃって疲れるのよね。 」 みんなといたが、みんなが退出して恋人と2人きりになったとき 「気を使ってくれたのかな?」 この場合おそらく、気を利かせる、がより相応しいですが、気を使う、でもOKだと思います <気遣う> 見舞いのお礼 「お気遣いありがとうございます。 」 「気を使っていただいてありがとうございます」って言ったらイヤミです。 父親が子供に 「静かになさい。 お母さん疲れてるんだから、気遣ってあげなきゃ。 」 基本的に、『気を使う』は「使う」ので、意図的であり、あれこれ考えて行動します。 NO.2の方のおっしゃるとおり、疲れます。 笑 『気遣う』は、自発的・内在的にある優しさがベースの概念だと思います。 『気を使う』ときは何らかのフィードバックを期待する策略を巡らせている場合もありえますが、『気遣う』のは無償のいたわりです。 No.1の方のおっしゃるとおり、二つとも日本語としてきちんと存在します。 「正しい言葉」という表現事態に違和感を感じますが、まあ「正しい言葉」です。 例文挙げればなんとなくお分かりいただけるとおもうのですが。 <気を使う> 「お正月でお義母さんのところにも挨拶に行くんだけど、あそこに行くと、いつも気を使っちゃって疲れるのよね。 」 みんなといたが、みんなが退出して恋人と2人きりになったとき 「気を使ってくれたのかな?」 この場合おそらく、気を利かせる、がより相応しいで... A ベストアンサー 人の死自体を悲しむ言葉としては、 「悲しみで胸が張り裂けんばかりの思いです。 」 などという表現が良く使われるもののひとつです。 ただ、死は様々な形で訪れますから、その時の状況に応じて多様な表現があります。 また、失恋などの場面でもよく使われますが、 「胸が張り裂けそう」とも言いますね。 「胸がちぎれそう」 「胸がつぶれる思い」 なども全て悲しみの表現として有効です。 ただ、「胸が痛い」は実際に身体的な症状を指す場合もあるわけですが、 精神的な面では『辛い気持ちになる』というニュアンスでしょうか。 その人の死自体を直接的に悲しむというよりも、弔辞などで、 「まだ、やりたいことがたくさんあっただろうと思うと、胸が痛みます。 」 「残された幼いお子さんのことを思うと胸が痛みます。 」 などのように、【間接的な悲しみの表現】として使われる場合が多いように思われます。 これに対して、 「心が痛い」は、字から受けるイメージほど重くは受け止められていないかもしれません。 「心痛のあまり病気になる」 「心痛のあまり病状が悪化する」 「心痛のあまり痩せる」 などという表現もほぼ慣用句的に使われていますが、 「心が痛い(心痛)」は、どうも『ストレスで苦しい』という程度の意味になるような気がします。 ただ、単独では、 「胸」は肉体的イメージ、 「心」は精神的イメージ、 がそれぞれ強いはずなので、「心が痛い」と言うほうが悲しみの表現に適しているように感じるのは、とても自然なことと言えるでしょう。 人の死自体を悲しむ言葉としては、 「悲しみで胸が張り裂けんばかりの思いです。 」 などという表現が良く使われるもののひとつです。 ただ、死は様々な形で訪れますから、その時の状況に応じて多様な表現があります。 また、失恋などの場面でもよく使われますが、 「胸が張り裂けそう」とも言いますね。 「胸がちぎれそう」 「胸がつぶれる思い」 なども全て悲しみの表現として有効です。 ただ、「胸が痛い」は実際に身体的な症状を指す場合もあるわけですが、 精神的な面では『辛い気持ちになる』と... A ベストアンサー もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。 話す時はどちらでもいいですよ。 ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。 「すいません」はちょっとくだけた感じかな。 でも、これはあくまで私個人の語感。 人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。 書くときはもちろん「すみません」にしましょう。 これも、話す時にはどちらでもいいです。 「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

次の

「せめて」の意味は?

せめて もの 意味

1mg、ライト、スーパーライト……「軽いタバコ」なら少しは健康的と言えるのでしょうか? 「タバコは体に良くないことはよくわかってます。 だから、軽いタバコにしてがんばってるんですよ」 何度目かの禁煙のお話をしたAさん(55歳男性)は語気を強めてこうおっしゃいました。 営業職らしいかっちりしたスーツを身につけたAさんは、「タバコは止めなくてはならないと思っているけれども、止められない。 だから、がつんとくるタバコから、昔は頼りなくて吸えたもんじゃなかった『軽いタバコ』に変えてがんばっているんです」というメッセージを目に込めて、じっと私を見つめていらっしゃいます。 「そうなんですね。 色々とご自分でも工夫されているんですね。 」 Aさんの熱い視線を受け止めながら、私は続けます。 「禁煙の話なんて馬耳東風という方もいらっしゃるなかで、何とかしたいという気持ちを行動に移されているのはすばらしいことです。 しかし、軽いタバコはどういう意味なのか、ご存知ですか?」 軽いタバコにしても無意味! 喫煙とがんリスクの関係 タバコの健康被害が共通のコンセンサスを得られるようになってきた時代の影響でしょうか。 「低タール」「1mg」「ライト」「スーパーライト」「ウルトラライト」などなど、タバコの健康被害の程度をなるべく薄めたような表現を使ったパッケージが数多く見られます。 しかし、残念ながらこれらの製品も、多くの喫煙者が期待するような「ライト」なリスクとは大きく異なるのが現実です。 タバコの箱に表示されているタールやニコチンの量は、一定の条件下で機械が吸引した煙の中に含まれる量を示したものです。 「軽いタバコ」と聞くと、紙巻きタバコの葉の成分を工夫してニコチンやタールの量を減らしたタバコだと思っていませんか? しかし、実態はそうではありません。 タバコの葉の中身はほとんど変わらず、フィルターだけが異なるのです。 「軽いタバコ」のフィルターには、その周囲にぐるりと小さな穴が並んでいます。 つまり、タバコの煙を吸い込む際に、周囲の穴から空気が流れ込んで、結果的に煙が薄まる、というのが基本的なからくりです。 「なーんだ」という感じですね。 しかし、喫煙者はニコチン依存症のため、自分に必要なニコチンを摂取するために深く吸い込んだり、根元まで吸ったり、小さな穴を塞いで吸ってしまうことがわかっています。 つまり、「軽いタバコ」というのは幻想で、ニコチンなどの有害物質の摂取は期待したほど減らず、逆に一酸化炭素については多く摂取することになる可能性があるということです。 健康を考えるのなら「軽いタバコ」ではなく、やはり禁煙が鉄則 「タバコが止められないから、軽くして、せめてもの努力をしている」 そのお気持ちはよく分かります。 しかしタバコは、やはり止めるしかないのです。 これだけは意志として、きっぱりとお伝えします。 止めづらい原因はこのサイトでも解説していますし、止めるための最新の方法もご紹介しています。 是非情報を活用し、煙がなく、健康を損なわないタバコフリーの生活を送れるようになるよう、頑張ってください。

次の